わたしは、小学生(文京区立誠之小学校)の時に「政治クラブ」で活動しましたが、それ以来「公共」とはずいぶん長い付き合いです。わたしは、その時以来ずっと、公共とは民主主義の下での公共でなければならないと確信してきましたが、ある偶然で3年程前から「公共哲学論争」の中心者として発言することになりました。
わたしは、2005年6月に山脇直司東京大学教授の紹介で、日本・韓国・中国における「公共哲学」の最大の推進者である金泰昌(キムテチャン)氏と知り合い、その後頻繁に交流を重ねましたが、2007年5月からは金氏の申し出により「哲学往復書簡」(「楽学」と「恋知」の哲学対話)を始めました。
また、同時に『白樺教育館』での長時間に及ぶ討論も行われました。『白樺教育館』には、金泰昌氏が4回、山脇直司氏が2回、稲垣久和氏が1回訪れ、対話、討論を行いましたが、すべて半日をかけた長時間のやりとりでした。対論の相手は、わたしの他、古林治氏、荒井達夫氏でしたが、討論に参加した我孫子の白樺同人からも多くの発言がありました。
そうした背景があって、金氏とわたしとの「哲学往復書簡」での「公共」を巡る論争は、参議院における「公共」への注目を生んだと言えるでしょう。なお、この2007年に行われた「『楽学』と『恋知』の哲学往復書簡・30回」は、今年2010年8月に東京大学出版会から刊行されました。金泰昌編著の『ともに公共哲学する』のメインとして当時のまま収録されています。 それでは、2008年1月22日に行われたパネルディスカッションに始まる『公共』を巡る議論を歴史的に振り返り、その意味と意義を判然とさせていきましょう。
この討論会では、立場や思想は四者四様でしたが、公共哲学運動を共にすすめる金氏と山脇氏は、官僚が担う「公」と市民が担う「公共」は分けて考えなければならないと主張し、武田は、主権者の意思と税金でつくられる「官」は、本来は市民的公共(ないし公)を実現するためにのみ存在する機関でしかなく、官は公であり市民的公共とは別のものとする「公共哲学」の主張は、民主制国家では不成立であると述べました。また、「国民全体の利益と国家の利益は異なることもある」、という金氏の国家観から出る主権概念の違いも鮮明となり、「戦後の天皇主権から国民主権への転換は極めて重たいもの」とする武田の思想と厳しく対立しました。荒井氏は、主権を天皇に絡ませた金氏の解釈に大きな違和をもち、武田の意見に賛同を表明し、議論は平行線で結論を得るには至りませんでした。 「私は、公共哲学が公務の世界で注目されていく中で漠然とした不安を感じていた。それは、「学問としての公共哲学」において通説的見解とされている、いわゆる「公・私・公共三元論」が、憲法の民主制原理・国民主権原理に反するのではないか、と感じられたからである。
このパネルディスカッションでは、続発する公務員の種々の不祥事を受けて、もう一つのメインとして「公務員倫理」の問題が議論されましたが、そこでわたしは、倫理を考えるための哲学的基盤は、己の存在が何であるかという存在意識の明晰さである、と言いました。公務員とは何か、という存在規定が明晰にならないと、倫理について語ることは始まらないのです。しかし、ここでも金氏及び山脇氏は、「そうではなく、倫理は自己と他者との関係だ」として武田と対立しました。 3. キャリアシステムに関する意見調査ーー「歪んだ想念」 ちょうど、この年、2008年の6月6日にキャリアシステムの廃止を目的とする国家公務員制度改革基本法が、第169回国会において成立しました。 そこで、荒井達夫氏は「キャリアシステム」について各界の人の意見を集約する必要を感じ、参議院行政監視委員会調査室・内閣委員会調査室・総務委員会調査室の合同で、「国家公務員制度改革とキャリアシステム」に関する意見調査を実施することになりました。わたしも意見を求められましたが、これは、実に幅広い層からの意見集約で、そのメンバーは以下の通りです。意見論文は、2008年11月の『立法と調査』別冊に発表され、参議院のホームページでも見ることができます。 有識者の意見(あいうえお順)
結果は、1、2の例外を除き「キャリアシステム」には反対である、というもので、しかも厳しい意見が多数を占めたのでした。
4. 客員調査員(哲学講師)となり、「主観性の知」を育成する講義を行う。
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2009年11月22日(日)、日経新聞 「街の哲学 人を動かす」 |
話は少し変わりますが、ちょうど講義がはじまった10月に、以前から『白樺教育館』における教育のありように注目していた日本経済新聞の記者がわたしの話を聞きに三度来館し、「愉しい哲学の会」と「大学クラス」にも体験入学しました。 記者も本(ルソーの「社会契約論+ジュネーブ草稿」)を用意して熱心に授業に参加しましたが、その模様を含めて11月22日の日経に【社会人】第58話−この手で導く−「街の哲学 人を動かす」と題する記事が載りました。
わたしの33年間の教育と哲学の実践を紹介する記事でしたが、その最後の部分に、参議院での講義についても触れています。
「・・・33年間、市井の哲学者として地域に根差し、市民との対話に徹してきたタケセン(武田康弘)が今年10月、請われて非常勤の国家公務員となった。参議院行政監視委員会の客員調査員に任命され、国会に所属する官僚に哲学の講義を始めたのだ。行政監視委員会は、キャリア官僚の不祥事などを契機に発足した参議院独自の常任員会。依頼された講義内容は、「日本国憲法の哲学的土台を明らかにする」。参議院行政監視委員会調査室の首席調査員、荒井達夫は、「公務員倫理やキャリアシステムの問題の本質を『武田哲学』の視点で明らかにしてほしい」と期待する。・・・公共哲学をめぐり官僚とタケセンの対話がはじまった。」(2009.11.22日本経済新聞)記者は、和歌山章彦氏。
この直後の12月には、『行政監視と視察』(山下栄一行政監視委員長による視察報告書・147ページ)が出され、参議院議長に提出されました。
この視察報告書は、視察した数の多さに圧倒されますが、その内容も深く踏み込んだもので、感心します。1年1カ月の間に、宮内庁、防衛省、外務省、財務省、東京税関、日本銀行、警察庁など32か所の視察を行い、明晰なレポートを一冊の本にしたものです。
2009年10月14日 山下行政監視委員長(左)と会談する二人の客員調査員(右の二人、武田と竹田青嗣氏)、奥は 西澤利夫 行政監視委員会調査室長 |
その5−6ページには、「行政監視は『官=公=国家』を打破する活動」という見出しで、行政監視の本質が書かれていますが、そこにはわたしの言葉が紹介されています。
「なお、「官」と「公」の関係については、現在、行政監視委員会調査室の客員調査員を務める哲学者の武田康弘氏(我孫子市白樺文学館初代館長)が、次のように述べている。
「公(おおやけ)という世界が市民的な公共という世界とは別につくられてよいという主張は、近代民主主義社会では原理上許されません。昔は、公をつくるもの=国家に尽くすものとされてきた『官』は、現代では、市民的公共に奉仕するもの=国民に尽くすもの、と逆転したわけです。主権者である国民によってつくられた『官』は、それ独自が目ざす世界〈公〉を持ってはならず、市民的公共を実現するためにのみ存在する。これが原理です」
これは、日本国憲法が依拠する民主主義思想の哲学的根拠を明らかにする極めて重要な指摘であり、行政運営及び行政監視の思想的土台となるとおもわれる。」(P.6)
わたしは、この自明であるはずの原理が、現実政治の場で明晰に意識され踏まえられてこなかったところに、現代日本社会の混乱と不幸の原因があると見ています。
例えば、政治家の中には「国家のために」という言い方をする人がいますが、これは、明らかに間違いです。国家とは、民主主義の下では主権者である市民の「一般意思」がつくる機構であり、それとは異なる「国家」(state)なるものは存在しないのですから、「国民のために」という言辞は成立しますが、「国家のために」は成立しないのです。政治家は「一般意思を実現するために」働くのです。
また、戦前の天皇を中心とした国家主義(=国体思想)とは無縁と思われる現代の行政官僚も、同じく国家主義の想念に囚われて「上から目線」で国民を見ているのには驚きますが、「市民的公共」とは別に「公=国家」があるという歪んだ思想から抜けられないのは、彼らのもつ「エリート」意識ゆえでしょう。受験知の勝者は頭がいい!特別だ!と思う愚かな想念を助長するのが「キャリアシステム」ですが、それゆえに上記の民主主義の原理を自分のものとすることができないのです。
近代民主主義国家とは、一般福祉(広義の福祉)を実現する目的で、主権者の意思によりつくられるものですから、政府や官は、市民の共通利益実現のためにのみ存在する機関です。市民的公共以外の公(おおやけ)または公共とは、空語・虚妄でしかなく、「市民的公共」とは異なる「国家の公」は存在しないのです。 国家とは、わたしたち市民の意思と税金でつくる機構であり、政治家や官僚は市民が雇う代行者に過ぎません。
結論を言えば、民主主義とは単なる制度のことではなく、一人ひとりの人間を主権者=国家の主体者となし、その自由と責任によって国家を運営していくという「哲学思想」です。従って、民主主義を現実のものとするには、考え・対話し・決定する力(思考力・対話力・自治力)を育む「教育」が不可避のものとして要請されます。民主的な「公共」実現のためには、一人ひとりの市民・国民とは主権者のことであり、主権者の上には誰も存在しないという原理を明晰に意識することが必要ですが、その「はじめの一歩」は、教育なくしては歩み出せないのです。
では、最後に、今年2010年の6月24日に行われた【新しい公共】をテーマとしたパネルディスカッションについて記しますが、実は、ここでのパネラー4名のうち3名は、18年前1992年に我孫子市民会館で行われたパネルディスカッション【ふつうの復権】と同じ顔ぶれなのです。このエピソードは、6.24のパネルの内容を深く知る上でとても有用と思いますので、まずは、18年前の我孫子の時空にスリップ!
緑と市民自治6号 (92年10月10日発行) |
わたしが我孫子市民会館で主催した「ふつうの復権」と題するパネルディスカッションは、現状変革の政治・社会運動が依拠していたマルクス主義の発想を、哲学次元から変えるための企画でした。当時は、市民運動も旧左翼的な思想に依拠していて、巨大理論に頼る悪弊から抜け出せずにいました。自由対話による等身大の思想の構築、民主的倫理に基づく生き方、生活世界からの哲学の立ち上げとは異なり、特定のイデオロギーや戦略的思考が横行し、「民主主義」とは、真剣に追求すべき価値、深化・拡大すべき課題ではなく、一応の価値に過ぎないという風でした。
1992年10月17日のパネル「ふつうの復権」の案内は、『緑と市民自治』6号に載せ、思想内容を詳しく記しました。このミニコミ紙は、わたしの発案で、当時我孫子市議だった福嶋浩彦氏が発行していたものです(福嶋氏とわたしの二人でつくり、新聞折込で我孫子市全域に4万部を配布)。
以下に少しコピーしましょう。まず、冒頭には、
「『ふつう』ということの価値を明晰に自覚すると、人間の生は大きく変わります。人間の生き方や社会の問題について考えるときは、<専門的な知>ではなく<ふつうの知>にこそ意味があると言えます。」と書かれ、
また、本文には、
「・・わが国の伝統的な様式主義的思考法(型の文化)とマルクス主義の唯物論は、共にはじめに「客観的正しさ」(こうあるべきだ)を置き、物事や人間の生き方に最適な規格や様式があると妄想しています。対立する左右両派は、その実、思想の深層においては全く同じ土俵にあるわけです。」
「・・人間の関心・欲望・目的の共同性が、結果としての客観とか正しさの〈像〉をつくっているのであり、「正しさ」それ自体はどこにも存在しません。ここに「対話」=「民主主義」が要請されるゆえんがあります。真理は、わたしたち一人ひとりの主観の相互性がつくるのであり、予め決まっているものではないからです。」(文・武田康弘)とあります。その下には、パネラーの四人、武田康弘(40才)、竹田青嗣(45才)、佐野力(51才)、福嶋浩彦(36才)の顔写真とコメントが載っています。
わたしは、民主主義思想を支える哲学的基盤は、「現象学」だと考えていました。生活世界に根ざす「主観性の知」こそは、あらゆる客観学の究極の基盤であり、客観学を超えたより高い品位をもつこと、「ふつう」の意味の明晰な自覚が、主権在民の民主主義の価値を鮮明にすること、それが直接参加型の市民自治を生む新たな哲学になるはずだという思い。それらがこの「ふつうの復権」を企画したわたしの考えでした。
当時、独自の現象学解釈で急上昇中だった竹田青嗣氏は、「現象学は根源的な思想というのではなく、陰画(ネガ)のようなものであり、世界のイメージがはっきりしている場合には、あまり役立たないものだ」と考えていましたが、わたしは、そうではなく、現象学は最もラディカル=根源的な哲学だと見ていました。唯物論哲学では不可能な認識の原理論(純哲学)であり、それは、各自の主観を鍛え、相互性=自由対話によって「公共」をつくるための究極の支えになるものと捉えていたのです。そのわたしの企てを前進させるために、竹田氏が著した『現象学入門』(NHKブックス)は大変大きな力になると確信して、当時は社会・政治活動には興味の薄かった竹田氏をあえてパネラーとして招待したのでした。
まさに、「新しい公共」(=民主主義に基づくほんとうの公共)を支える哲学をつくるための努力だったわけです。
では、6,24「『新しい公共』について考えるパネルディスカッション」(政府の行政運営の基本方針である「新しい公共」への認識を深めることで調査室の能力向上をはかることを目的とする)の当日の模様ですが、ここでは、シリーズ『公共哲学』(東大出版会)で主張されていた「公」と「公共」の区別(「公」と「私」と「公共」の三元論)は、近代民主主義国家においては成立せず、有害であることが確認され、官を公(おおやけ)と位置付ける考えは、明確に否定されました。
福嶋浩彦氏 |
福嶋浩彦氏は、長年の責任ある政治家(首長)としての経験を踏まえ、「新しい公共」を考える円卓会議の委員として、断固たる調子で、
「官の公共、役所の公共、政府の公共などは存在してはならない。政府や行政とは、公(おおやけ)でも公共でもない。市民が市民の公共をつくる上で必要になる道具に過ぎないのだ」
と述べました。
「新しい公共」とは「市民の公共」と同義語である、というのが福嶋氏の持論です。
竹田青嗣氏 |
竹田青嗣氏は、「公と私の間に公共を置くといのは、どうも意味不明で、こういう考え方はいろいろな思惑が入り込み、紛らわしい。」と言い、
公・私・公共の三元論は、近代民主主義の原理を曖昧にする見方でしかない、という考えを示しました。
郷原信郎氏 |
郷原信郎氏は、「今まで「官」は、組織の中ですべきことを行うのが『公』だとしてきたが、現在では、その考え方は社会の要請に応えない。私がいた検察などは、特に旧来のキャリアシステムが維持されていて、組織が自己完結しているために、市民に対して説明責任を果たさない」と話し、
官に巣食う「市民的公共」とは異なる「公(おおやけ)」という考え方の問題点を、自身の経験に照らして厳しく指摘しました。
武田康弘 |
わたしは、「武田康弘氏は、今日の公共哲学論争を巻き起こした人物」(『立法と調査』297のP.62)と評される通り、公と公共の区分けという「公共哲学三元論」への批判を繰り返し述べてきましたので、その問題には直接触れず、官治主義により主権在民の民主主義が曖昧にされてしまう深因を指摘しました。それは、新しい公共=ほんらいの公共=市民の公共をつくるための前提である【教育】(自分の頭で考え、対話・議論し、自分たちで決定する日々の練習)の重要性です。意味論の追求ではなく、パターンを身に付けさせるだけの受験知教育からの脱却が必要不可欠であり、それがなければ、新しい公共(=市民による公共)など実現するはずがない、と述べましたが、
郷原さんは、「わたしの一番言いたいことを先に言われた!」(笑)と、くやしがるほど共鳴していましたし、竹田さんも「武田さんの教育が非常によいモデルを示してくれているが、新しい公共の実現は、長いスパンでみれば、教育の全体のコンセプトを変えていくこと以外にはない」と締め括りました。
立場も人生の歩みも異なる四者でしたが、それぞれの主張は豊かなハーモニーとなり、明晰かつ濃密な内容のディスカッションになったのではないでしょうか。 参加者の官のみなさんの熱心な聴講と活発な質問は、大いに会を盛り上げましたし、荒井達夫さんを中心に、行政監視委員会調査室のみなさんの尽力も光りました。みなさんに感射!です。
この日の報告―全発言は、「行政監視情報」(別冊)−「新しい公共」について考えるパネルディスカッション・関係資料― として発行されています。
白樺教育館のホームページ(製作・古林治)で見ることができます。
2010年10月1日 父の命日に。
追記: |
なんと、上に紹介した『「公共」をめぐる哲学の活躍』が参議院行政監視委員会調査室発行の「行政監視情報 平成22年10月15日号」に載ってしまいました。
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関連記事追記 2019年11月24日
追記 2010年11月14日
写真付きPDF修正(iPhone対応) 2010年10月16日
写真付きPDFを追加 2010年10月7日
2010年10月5日
古林 治