今日は、12月23日(土)の第5回白樺討論会のご報告です。
公共哲学をさらに深く広めるため、また前回までの積み残しの課題に答えるため、公共哲学の御大、金さんの再登場です!
午後1:00から6:50までの長時間、こってりと楽しく緊張感ある討論会を経験することができました。
Photo: Someya
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激しい異論・反論を織り交ぜ緊張感に包まれながらも
ジョークの飛び交う楽しい討論。
Photo: Someya
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熱く熱く語る金さん.
『公共哲学とは、公共する哲学のことである!』
Photo: Someya |
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公共哲学とは、公共する哲学である.
対話する、共働する、開新するダイナミックな実践.
『同』を前提にするのではなく、『異』を前提にする『和』が大切.
金さんが力強く、自身の強烈な実体験を元に語った公共哲学は実に力強く説得力あるものでした。これまでの討論会から一歩も二歩も踏み込んだ内容となりました。金さんには大いに感謝です。
改めて公共哲学の広がりを心から期待したくなりました。
一方で、新たな疑問も浮かび上がってきます。金さんという存在がなく、他の人が同じ言葉を発したときどうなるか、金さんの書かれたモノが一人歩きしたときにどうなるか、です。
果たして公共哲学の意義が伝わるのでしょうか。公共する哲学として流布するでしょうか。
これまた大きな問題であるように思いました。
機会があれば、この問題について討論したいものです。次なる進展に期待しましょう。
なお、以下にタケセンのブログ『思索の日記』に載っている速報をご紹介します。 |
2006/12/24のBlog
昨日12月23日の白樺討論会では、
公共哲学とは、名詞ではなく、「公共する哲学」=動詞であること。
したがって、「公共哲学」という実体があるわけではなく、誰かが(学者であれ政府関係者であれ)定義できるものではないこと。
真に対等な対話の精神と実践(金泰昌さん言い方では、「対話する・共働する・開新する」)を公共する哲学と言うのであり、固定した方法・内容・言語をもつのではないこと、
以上をしっかりと確認することができました。その点では共通了解が得られました。
したがって「民知の実践」と「公共する哲学」は重なる点が極めて多いことも明瞭になりました。
いくつかの「違い」もまたはっきりしましたが、この違い=「異」があり、それを互いに認め合うことで、「同」ではなく「和」を生み出すことの重要性を再確認しました。
年末を締めるにふさわしいなかなかよい討論会でした。冗談、軽口も飛び出し、脱線もあり、バラエティー番組!?のような一面も(笑)。
「異」を尊重するのは現実には極めて難しいことですが、金さんとの間ではそれがうまくできています。「同」を求めるダルイ精神から決別し、「和」を実現すること。「共同体」ではなく「共和体」としての社会の実現こそ、ひとりひとりの悦びを生み出す前提であること、これらは、何度確認してもしたりない核心点です。
武田康弘 [ 更新日時:2006/12/24 21:44 ]
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討論が終わって発言の機会が少なかった参加者たちから一言づつ.(代表でお二人)
Photo: Furubayashi
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6時間弱の討論が終わって、恒例の集合写真. 下はカメラマンの染谷さんと途中退席の方.
おまけ.
白樺教育館の秘密兵器(16歳).本質をズバッと一言で言い当ててしまうのは、ゆがんだ知によって毒されていない若者しかできませんねえ.あ〜おそろしや.
Photo: Takeda |
おまけ その2.
翌日の反省会の様子. 楽しく、率直に、より創造的に!
Photo: Furubayashi |
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