法とは人間がよく・楽しく・気持ちよく生きるためにのみあるもので、具体的な生活世界で上手に使いこなすものである。もしそうでなければ、単なる無意味な 強制―法の前に人間がひれ伏すというバカげた逆転が起きる、ということを、論理のみならず日々の生活においても主張し、貫いてきたわたしは、まさか、検事 というお堅い仕事をしてきた人から、わたしの思想とまったく同じ考えを聞くとは思わず、とても楽しくなりました(笑)。
法令の「遵守」、さらには、社会的規範の領域も「遵守」という精神に侵されているいまの日本は、完全な思考停止状態であり、これでは「真の法治社会」とは 無縁で、恐ろしく、愚かであるという郷原信郎さんの主張は、哲学的にもまったく「正しい」もので、一読されることをお勧めします。
郷原さんの一連の検察庁批判が極めて的を得たものであるのは、このような明確な思想的背景を持つからでしょう。最新刊の『検察が危ない』(ベスト新書)における検察とマスコミの実態の叙述には背筋が寒くなりますが、検事としての23年間経験、明晰な論理、社会的公正への情熱が生む「真実」の提示です。
それにしても、法や規範を「何も考えずにただ守る。守らせる」というレベルの低い思想と態度(=人間の昆虫化)を生みだす元になっている日本の教育は、極めて重い罪を持ちます。受験主義を支え、管理社会・受動性社会を生みだす暗黙の想念=「思想」を元から断たなければ、この愚かな状態から脱することは不可能です。
2010-05-25
〈武田康弘)