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76. 市民自治を創る(福嶋我孫子市長・武田館長)

 久しぶりの更新です。
 大分時間がたってしまいましたが、昨年(2006年)の1月に公共哲学の推進者である金泰昌さん が教育館の授業に参加しました。その日の午前に2時間、武田康弘館長と福嶋浩彦我孫子市長を交えての三者会談がありました。そのときの様子をまとめて『公共的良識人』紙に発表して欲しいという要請が金さんから武田館長にありましたが、後日もう一度鼎談をし、それを再現したものを載せようという話になったため、以下の原稿は未発表になりました。

 なお、福嶋浩彦市長は一月で退職しましたが、その基本路線は星野順一郎新市長に受け継がれています。今日はその貴重な原稿をそのままこのホームページでお見せすることにします。

古林 治


市民自治を創る(福嶋我孫子市長・武田館長)
                         白樺教育館館長 武田康弘

 昨年(2005年)11月に金泰昌(キムテチャン)氏から「白樺教育館」の授業と民知の会に参加し、その実際を体で確かめてみたいというお電話があり、年明け早々に来館されることになっていました。
それからほどなくして、テレビ朝日の「サンデーモーング」で我孫子市における市民と官との新たな関係づくりの模様―実験が紹介されましたが、まったく偶然にそのテレビ番組を見られた金氏は、福嶋浩彦我孫子市長の取り組みに感激して、番組終了後に私の自宅に電話をかけてこられました。
福嶋浩彦さんは、私が主宰する哲研(「哲学研究会」ー今年から「民知の会」へと発展)の創設時(1987年)からの中心メンバーであり、私の心友でもありますが、彼の言動に強い興味を示された金氏は、教育館来館時に市長とも会談をもちたいと希望されました。金氏は、「活私開公」と共に「公私共媒」という概念を深く民主制を拓く重要なキーとしています。しかし「公私共媒」は、公共哲学の推進者たちからもユートピアだと見なされて賛同を得られてはいませんでした。ところが、我孫子市ではそれを理論のみならず現実のものとしていることを知り、深い共感と熱い感動をもたれたのでした。
1月28日(日)「白樺教育館」での2時間にわたる会談で、金氏は鋭く本質に迫る質問を連発し、市長も極めて真摯に受け答え、私を含めての鼎談は実に愉快で有益なものとなりました。金氏は、その後引き続き「白樺教育館」のソクラテス教室―「高校・大学・一般クラス」(4時間)の授業にも参加され、金氏自身も貴重な体験に基づく感銘深い話をされましたが、その模様をここで再現することは紙面が許しませんので、残念ながらカットです。
それでは以下に、「お上の公共」という発想を元から断つ我孫子市長・福島さんの書き下ろし論文「市民自治をめざして」を載せましょう。


市民自治をめざして    我孫子市長  福 嶋 浩 彦

●新しい公共をつくる

 公共の分野を行政が独占する、あるいは支配する、という時代はとっくに終わった。
民間企業も公共サービスを担っているし、新たな公共の担い手として登場したNPOやボランティア、コミュニティビジネスなどの活躍も目覚ましい。これらの民間の主体と行政が対等な立場で協働して、民と官で共に担う「新しい公共」を創ることが求められている。
これからの行政の役割は、公権力を伴わなければできない仕事(必要最小限の「許認可」など)と、市民と共に作ったまちづくりの目標に向かってあらゆる市民や企業の活動をコーディネイトし、下支えしていく仕事、この二つが中心になるだろう。公共サービスを実際に提供する事業は、徹底して民間に任せていくことが必要だ。
ただしこれは、全てを市場経済に任せてしまうということではないし、ましてや、公共自体を小さくしてしまって良いという意味ではない。少子高齢社会のことを考えても、環境問題を考えても、公共の果たす役割はますます大きくなる。
コミュニティの中で公共サービスを担う仕組みをつくり、多様な民間の主体を育てていくことが大切だ。公共を担う民間の主体を豊かにすることによって、公共サービスはより充実させつつ、スリムな市役所を実現できる。「大きな公共」と「小さな(地方)政府」を目指していきたい。

●全事業対象に民営化提案を公募

 我孫子市は今年3月、市のすべての事務事業(数にすると約1200)を一覧にして公開し、民間から、民営化・民間委託の提案を公募する。民間というのは企業でもいいし、NPO法人やボランティア団体でもいい。
ただし、「今の市の仕事をそのままでやり方で、安く委託を受けます」という提案はなしにする。委託の場合は「市のやり方とはまったく違った方法で、もっと良いサービスをずっと安く提供しますよ」という提案や、さらに「市がこういう協力さえしてくれたら、税金を使った市の事業ではなくて完全に民間の事業として、もっと良い内容でやりますよ」という提案を募集したい。
駅前の行政サービスセンターを、定年退職した人でつくるNPO法人で丸ごと引き受けます、という提案もあるかもしれない。高齢者の配食サービスを、お弁当屋さんかレストランが完全な民間事業としてやります、という提案もあるかもしれない。また、実際に、クリーンセンターの廃棄物処理に関して提案を準備してくれている地元の企業グループもあるし、市の緊急通報システムに替わる、高齢者や子どもたちの安全を守る事業を検討してくれているNPOもある。
提案が現行法とぶつかるときは、構造改革特区の提案につなげていく。また、手法としては、指定管理者を使うもの、市場化テストを使うもの、さまざま出てくるだろう。
とにかく例外なく市の全ての事業を対象にして、もらった提案を外部の有識者と市民、市職員で構成する審査会で検討する。審査の基準は、コストとサービスの質を総合的に見て、結局市民にとってプラスになるかどうか、という点につきる。この審査を通して、民間に任せたほうがいい事業、本当に市がやらなければならない事業、民と官との役割分担をもう一度根本から問い直していきたい。

●市民が行政を変える

 「新しい公共」の一方の担い手である行政は、当然、主権者である市民のコントロールの下に置かれなければならない。市民が行政をコントロールする基本は選挙だ。ローカルマニフェストの意義もここにある。マニフェスト型選挙を通してこそ、市民が地域の理念や政策目標を選択していくことができる。
同時に、日常的に市民が行政のあらゆる分野に徹底して直接参加する、どんどん介入していく、ということが同じくらい重要だ。実は、これが行政を変革する最も確実な方法でもあると考える。

1.補助金の公募と市民審査

我孫子市は、総額2億円ほどの市単独の補助金を1999年度でいったん全て廃止した。その上で、あらためて補助金を欲しいという団体を公募し、応募のあったものを市民による補助金検討委員会で審査。その結果に基づき、2000年度から全て新しい補助金としてスタートした。
<既得権の廃止>
この新しい補助金制度のねらいの1つは、既得権をなくすこと。補助金の中には、交付が始まった頃とずいぶん時代の状況が変化し、補助の必要性が低下しているものもある。しかし、既得権が物を言い、ほとんどそのまま継続されてきた。
一方、新しい時代の要請で始まった新しい市民活動の中には、市として支援したいものも多いが、そんな団体から新規に補助金の要請があっても、残念ながら「予算が無い」と言って断るしかないのが実情だった。これらを全て同じスタートラインで検討する必要がある。
2000年度からの補助金ついて、市民の検討委員会が合計111件を審査した。「一切の聖域、例外を設けず、遠慮なく審査を」と要請し、本当に遠慮無く切り込んでもらった。そして検討委員会の提言書に基づき、従来からの補助金のうち27件が廃止になった(統合も含む)。
一方、新規の補助金は12件で、子どもの新しいイベントや福祉分野のNPO、まちづくり団体などが多数を占めた。これらの補助金が、また新たな既得権になっては何にもならないので、3年で必ず白紙に戻す。2003年からの補助金の審査では、廃止が19件、新規交付が15件となった。3年前に引き続いて応募があったものに関しては、補助金を継続する必要があるかどうか特に厳しく審査した。
<市民と行政の新しい関係>
この制度のもう一つのねらいは、市民と行政の関係を変えることだ。市民は「なんとか1円でも多く行政から補助金をもらおう」と考え、行政は「お金がない、お金がない」と予防線を張る、というのではなく、限られた財源(税金)を補助金としてどのように使えば市民生活の向上やより良いまちづくりにつながるのか、行政と市民、あるいは市民同士で議論し合える関係を作りたいと思う。
このため、検討委員会での評価が低かった団体が、公開の場で自分たちの活動を再アピールする「公開ヒアリング」も開いている。

2.民間から試験委員

我孫子市は職員採用で、面接などを行う試験委員5人のうち1人は、民間から参加してもらっている。採用者を決めるまでの一定期間だけ非常勤特別職として委嘱する。商社の役員、デパートの人事課長(女性)、大手ホテルの支配人など、民間企業の人事担当者が多い。
そのねらいの一つは、人物評価に民間の視点を取り入れることだ。例えば、大手ホテルの支配人は、毎日あらゆる種類の非常に多くのお客さんと接している。人と会って一瞬にして、どういう性格のどんなタイプの人かを見抜く力がずば抜けている。もちろん面接だけではなく、合否の判定会議にも加わわってもらう。
<聖域にこそ市民の参加>
〈どの団体に補助金を出すか〉ということや、大変な競争率のなか〈誰を職員として採用するか〉ということは、ある意味で行政にとってデリケートな決定である。少し前までは「聖域」とも言える分野だった。そんな所にこそ、市民に参画してもらう。介入してもらう。それによって、行政の決定が市民感覚を持ったものになるし、行政の透明性も高まる。現在、我孫子市の職員採用は完全に公平で、一切の縁故採用はないと断言できる。

3.「オオバンあびこ市民債」の挑戦

我孫子市は一昨年、古利根沼(約16ヘクタール)を開発事業者から4億3千万円で保全のために買い取った。古利根沼は、昔の利根川の風情をそのまま残した貴重な自然環境だが、これまで何回も埋め立て開発の危機に直面してきた。
市は沼を買い取る財源として「オオバンあびこ市民債」2億円を市民に発行した。「オオバン」は我孫子の〈市の鳥〉の名前だ。
市民債の利率は、全体の発行経費(利息や事務経費の合計)を踏まえて、市独自の計算方法で定めた。結果として年利0.58%となり、同条件の国債の利率0.80%を下回った。これまでの常識を覆す、国債よりも利率の低い市債が成り立つのどうか注目されることになった。
結果は、発行額2億円に対して、1260件、10億3150万円もの応募があった。何よりも市民が、古利根沼の自然を守るという市民債の目的を支持したと言える。
市民債(住民参加型ミニ市場公募債)の発行で、市の資金調達先を多様化しておくことは、分権の時代に向けて必要なことだ。また、市債に対する市民の関心とコントロールを強めることができる。さらに今回の取り組みは、今後、市民との合意によって市独自の資金確保の方法を確立していける、という可能性を示したと考えている。

4.常設型の市民投票制度

地域の理念や方向性を決める重要な政策の選択において、市民の意向を直接反映する仕組みをつくることは、たいへん意味のあることだと考える。
もちろん市長や議員は、選挙で選ばれた市民の代表だ。しかし選挙の時、市民は、その候補者の全部の公約に賛成して一票を投じているとは限らないし、まして、選挙後に起こる新たな問題に対しての判断を、全て白紙委任したわけではない。もし、市長や議会の意思が主権者である市民の意思とずれていると感じた場合、市民投票制度があれば、主権者としての市民の意思を投票によって市長や議会に示すことができる。
我孫子市は04年3月に、「我孫子市市民投票条例」を制定した。全有権者(18歳以上、永住外国人を含む)の8分の1の署名をもって市民から請求があった場合、市長は市民投票を実施する。
市民投票制度で、新たに最も重い責任を負うことになるのは市民自身だ。市民投票で決めた場合、もうこれまでのように「市長が悪い」「議会が悪い」と言っていられない。
単に、市長や議会の決定に対抗するツールにとどまらず(もちろんこれが正当で有効な使い方の場合も多いが)、主権者である市民が自ら地域社会の在り方を自己決定していくツールとして、市民投票制度が使われることを願っている。将来、市税を上げてサービスを増やすか、サービスを我慢して減税するか、市民投票で決めるということもあるかもしれない。そこまで成熟すれば、市民自治も本物になるだろう。

●問われる市民の自治能力

 「新しい公共」をつくっていくためには、市民も自治能力を高めることが必要不可欠だ。市民の自治能力とは何か。一言で言えば、異なる立場、異なる意見、異なる利害関係を持つ市民同士がきちんと対話して、議論の中で、お互いに納得できる合意を自ら作り出していく力だと思う。
残念ながら多くの場合、市民は異なる意見を持つ人と対話するのを避ける傾向があると思う。我孫子市民の意識は決して低くはない、むしろ高いレベルにあると思っているが、それでも全体として見ればそういう傾向がある。お互いに話し合うよりも、それぞれが自分たちの意見に沿って行政が動くように市役所に要求する。そのほうが楽なのだろう。
<陳情政治の延長
  or自治に向けた参加>
市民参加を本当に行えば、市民同士の対立も必ず起こる。市民の中には様々な価値観や意見があるし、立場によって利害も異なるから、当たり前のことだ。利害対立の無い問題での市民参加は、いわば“練習問題”に過ぎない
いくら徹底して市政への市民参加を進めても、参加した場で、またそれぞれの市民がそれぞれの意見で行政に要望しているだけであれば、どこまで行っても陳情政治の延長だろう。参加した場で、異なる意見を持つ市民同士がきちんと対話をして合意を生み出してこそ、自治につながる参加になる
行政の職員も、市民がきちんと議論をしていけるようにコーディネイトしていかなければならないが、まだまだ不慣れであり力不足だ。ではどうすれば、こうした力を身に付けることができるだろうか。机の上の研修だけでは無理だと思う。
行政も市民も、実際のまちづくりの中でたくさん失敗し、何回も混乱を経験し、試行錯誤を繰り返しながら、実践の中でより成熟した自治能力を身につけていくしかないだろう。そして、その時はじめて真の市民自治が拓かれる。(了)


発想の転換=主観性の知       武田康弘   
●おきて破りの「緑と市民自治」紙発刊がすべての始まり

まず、皆が自分のありのままの「思い」を肯定し、そこから出発しようではないか。
深く豊かな「主観性」を互いに形成していこうではないか。
誰でも自分の頭の外には出られないのだから、絶対的な合意は得られないことを了解し合おうではないか。
人間・社会問題においては、「客観的真理」という想定は理に反するものであること。したがって、目指すべきは、原理的にはありえない「正しい」人間や社会とは?を考えるのではなく、「魅力」ある人間や社会とは?を考えること。これが武田の思想の芯ですが、その思想を支える認識論(哲学)の基盤は、解釈し直された「現象学」(最大の功労者は私の旧友・竹田青嗣さん)です。

1987年の冒頭から始めた「哲研」(哲学研究会)では、従来の客観主義的な思想や哲学(その象徴は社会主義・共産主義)と様式主義=「型」の文化(その象徴は近代天皇制・靖国思想)とは全く次元を異にする「実存論」的な思想とそれを支える「現象学」の探求をその主要テーマとしました。右派と左派の同時超克を目がけたのです。当時私が師事していた竹内芳郎氏(サルトルやポンティの訳者)の思想を徹底することで氏を乗り越え、「民知」(この造語は後のものですが)をつくろうと苦闘しました。直接体験(内在としての知覚―情感)から出発する哲学、従来の哲学とは次元を異にする哲学ならざる哲学を生むための猛烈!な努力を続けました。集団主義・権威主義・様式主義・序列主義を元から断ち、一人ひとりから出発するエロースの生を可能にするための思索を目がけたのです。

現・我孫子市長の福嶋浩彦(当時33才・我孫子市会議員)さんは、最初から「哲研」のメンバーでしたが、1988年6月に私の提案により個人紙『緑と市民自治』を発刊。我孫子市の全家庭に新聞折込で配布を始めました。福嶋さんと私の二人で作成・編集したそのミニコミ紙の内容は、上記の思想・哲学に基づいたもので、当時まだどこにもなかった「思想」をつくり、それに拠る新しい「実存論に基づく社会運動」を創造しよう!という意気軒昂なものだったのです。
当時、社会党市議だった福嶋さんが依拠していた「社会主義」という体系的な思想から「市民自治」という「民知」に基づく不定形な思想への跳躍が、その後の彼の発展・飛躍を可能にした原動力だと言えましょう。『緑と市民自治』の題字の上に書き込んだ基本理念は、「ひとりひとりの市民の英知で、直接参加民主主義を広げよう。」というものでした。

「合意」とはなかなか得がたいものであること、「客観的な真理」や「絶対的な基準」とは理に反するものであることを互いに自覚しあうことが、非生産的で無用な言葉の応酬や、互いの「真理」の主張による深刻な対立を回避するための基本ルールではないのか?こういう当時としては(今でも?)逆転の発想は、人を強くします。自ずと心と頭を鍛えます。しがみつく「学の伝統」や「思想信条」や「権威ある他者」は存在しないわけですから、自他の知恵、生活世界から立ち昇るふつうの知=健康な知だけが頼りであり、それを生かし合う道だけが残されているということになります。真理の保持者はいない、という民主制社会の原理=初心を絶えず賦活化させるこの「考え」を貫くことができるか否か?それが核心。

当時、一人の社会党市議であった福嶋さんは、実は、社会党内のルール破り!全戸配布の個人新聞―『緑と市民自治』を出すことで、一人の自立した政治家への道を歩み出したと言えます。この新聞の発行はその原点です。地域割りして出していた『社会新報・福嶋浩彦版』を廃止し、市内全域に配布する個人新聞を出すということは、当時どれほどの勇気を必要としたか?は、今では想像し難いことでしょう。
最後の確認、「青刷」を前にして、柏市の岡田印刷・待合室で再び悩む彼の姿は、今でも鮮明に私の脳裏に焼きついています。18年前、悪魔!武田の断固たる囁き?(その内容は秘密です〔笑〕)によって、社会党市議だった福嶋さんはルビコン川を渡ったのでした。

私も激しい闘いをその中心で担った11年前の市長選挙、僅差で当選し、千葉県初の市民派市長となった福嶋さんのその後の獅子奮迅の努力−その先進的な取り組みがようやく日の目をみるようになったことは何とも嬉しい限りです。この試みは閉塞した日本社会の未来を拓く政治的実践ですが、その土台となっている思想と哲学のアウトラインを同時に知って頂くことには極めて大きな意義があると思い、このエピソード風の小論を書きました。更に詳しくは、「公共的良識人」紙のバックナンバー・2005年7月号と10月号の武田論文をご覧下さい。(この論文は、「白樺教育館」のホームページー名称検索で出ますーでも見ることができます。「民知宣言」と「民知・恋知と公共哲学」の二つです。)

 

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2007年2月8日
古林 治

 

 
 
 
 
 
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