出会い
6月6日午前、まったく未知の方から電話がありました。
「キム・テイチャンと言います。武田先生の『実存として生きるー白樺フィロソフィーと民知の理念』を読んで深く感動しました。大阪に住んでいる者ですが、ぜひお目にかかってお話を伺いたい。」とのことでした。「では来週の水曜か金曜に。我孫子駅からお電話下されば、お迎えに行きますから。」と言って電話を切りましたが、「白樺教育館」の理念に共鳴して大阪からわざわざ会いに来られるとは、奇な人もいるものだな、と正直思いました。
その翌々日、宅急便で金泰昌(キム・テイチャン)さんからのお手紙と共にシリーズ「公共哲学」の別巻と公共哲学京都フォーラム「21世紀の日本の教育課程」、および「公共的良識人」のバックナンバーが送られてきました。
ああ、そうか!もしかすると山脇さんが絡んでいるのかな?後日分かったことですが、やはり「民知の理念」の文書を金さんに送ったのは山脇直司さん(ちくま新書「公共哲学とは何か」の著者・東大大学院教授)でした。私と山脇さんは、私のブログ「思索の日記」でもその一部を公開しているように、メールを媒介にした思想的な協働者?好敵手?(笑)で、5月22日に千葉大学の小林正弥さんが主催する「地球・平和・公共シンポ」で始めてお会いし、笑論・激論を交わした仲です。
話を戻しましょう。
金泰昌さんからのお手紙には、「実存として生きるー市民大学白樺フィロソフィーと民知の理念、に深い感動と熱い共感をもちました。先生がおっしゃるように官知の支配から民知の自立とその共有・深化・拡散が緊急課題であると実感して参りました。・・・・しかし生活者の自立と生の高揚に貢献する知(=民知)のありかたを探り続けるなかで確信が持てないまま専ら試行錯誤をつづけております。・・・」と書かれていました。
一読、私は「熱い」ものを感じました。自分よりも18才も年下の人間に対して「いろいろ教えていただきたく」と言える人はいません。私の心には「喜び」と共に「緊張」が走りました。金さんは、佐々木毅(東京大学前総長)さんと共にシリーズ「公共哲学」10巻の編者でもありますが、そのような「業績」は単にひとつのエピソードに過ぎないという風で、目指すものに向けて深化し続けようとするバイタリティー溢れる精神は、ほんとうに見事!です。
実存として生きるー民知の理念
では、金泰昌さんが感動して下さった「実存として生きるー白樺フィロソフィーと民知の理念」を以下に載せます。
これは、1910〜20年代「白樺派」のコロニーであった我孫子の地に、21世紀の新たな「白樺スピリット」を生み出そうとして私が創り、初代館長を務めた『白樺文学館』(2001年1月11日開館、資金は私の主宰する「哲学の会」のメンバーであった佐野力・初代日本オラクル社長が供出)の基本理念として書き、初版のパンフレット(12ページ・5万部発行)に載せたものです。現在この理念は、文学館ではなく、私が建てた『白樺教育館』(2004年2月1日開館)で日々具現化されていますが、1976年に創設したソクラテス教室(旧称「我孫子児童教室」)以来の基本となる考えです。
「生活世界」の中から新しい意味と価値をつくりだそうとすること。 日々見慣れたもののなかに新たな〈意味〉を見いだし、生活の中に小さくとも新しい〈価値〉を生み出してゆこうとすること。
それが人間が人間としての悦(よろこ)びをもって生きるための条件だ。
新たな意味と価値の予感の中に生きることを、私は、「実存として生きる」と呼ぶ。
そのような生は、硬化した社会システムとはなじまない。
なぜ? どうして? なんのために? 意味と価値を問うことは、必然的に既存(きぞん)の社会システムの固定化、マンネリ化を許さないからだ。実存としての生は、序列意識や権威主義とは相容(あいい)れない。
権威主義者は、序列と所有にこだわる。過去や過去の価値に拘泥(こうでい)する。しかし本当に問題となるのは〈今〉だ。未来への希望と現在の充実であり、過去ではない。 過去はこの今の判断に節度と落ち着きをもたらすために役立つが、それ自体が目的とはならない。過去の事実を知り解釈することの意味は、エロース豊かな未来を生み出すためにのみある。
未来は誰にとっても未知のもの。今の一刻一刻の行為〈考え・判断〉が、未来を決定してゆく。今の、未来へ向けての投企のありようが、〈私〉という人間をつくってゆく。この未来への投企を促(うながし)し、支える知が「生きた知」である。
生きた知は、具体的経験としての意識の流れからつくられる意味に満ちた知だ。 生成変化してゆく事象や精神をそれとして直截(せつ)に見ようとする。具体的な課題-問題、疑問-問い、関心-欲望から出発するこの知は、生きるパワーとエネルギーを生み出す 認識 である。
それに対して従来の知一学問は、終わったもの一出来上がったものから過去を解釈する「死んだ知」でしかない。既成の概念(がいねん)と範疇(はんちゅう)から出発する強制された記憶の集合物にすぎない。そこでは死んだ言葉=文字言語が崇拝され、権威的システムによって決定された過去の記憶が「学問」と言われる。学者の世界でいう創造とは、既存の概念と情報のパッチワークのことでしかない。このスタティックな理屈の膨大な建造物=知の廃墟は、人間の生を抑圧し、頭を不・活性化させてしまう。概念化が手段ではなく目的となるために、直観=体験能力が衰弱してゆく。やがて、言葉上の矛盾の指摘や辻褄(つじつま)合わせが知的な作業だと思い込むようになる。言葉‐概念の操作が、具体的な体験の悦びを越えた「エロース」に昇天(しょうてん)する。
この理屈‐形式‐知識による陰湿な知の支配に終止符を打つのが、新しい生きた知=実存としての生を支える知だ。一人ひとりの個人の生を勇気づけ、元気づける知だ。東大と官僚の官知による支配‐序列意識をその根元から裁ち切る知だ。
市民大学『白樺フィロソフィー』は、深い納得を生む意味に満ちた知をつくりだすための機関である。意識の深層に届き、黙(もく)せるコギトー(自己意識)に答える新しい学問は、生活世界の具体的経験の明証性から出発し、またいつでもそこに立ち戻ることのできる民衆の知=民知だ。この民知イコール広義の哲学は、民主制を要請し、逆にまた民主制を支える「知」でもある。
従来の学問は、学的世界という特殊な環境の中でしか生きられない脆(ぜい)弱で非人問的な知の体系にすぎない。権威と学の伝統という鎧(よろい)に守られていなければすぐに潰(つぶ)れてしまう。
もはや私たち市民は、意味のないスタティクな知の殿堂=廃墟に呪縛(じゅばく)されている必要はない。より大きな普遍性、腑(ふ)に落ちる知、民知の探求に乗り出そう。
出来上がった建造物や社会制度や人間精神や・・・・を見て結果を解釈する従来の知がつまらないのは、死んだもの‐輪郭(りんかく)線に過ぎず、実存としての生にとっての有用性がないからだ。テストゲームと他者を支配すること以外には役立たない干乾(ひから)びた惰性(だせい)的な知だからだ。やればやるほど生気を失う。輝きやツヤが消えて、溌剌(はつらつ)とした魅力が奪われてゆく。
事象や生の原理にまで降り、創造の只中(ただなか)に立って生成のありさまを見、知る生きた知、広義の哲学=民知には形式ばったもの、儀式めいたものは何もない。豊かな内容が自(おの)ずと形をつくり、また変えてゆく。囚(とら)われがなく、軽やかで、刺激的。ざっくばらんで、真剣で、愉(たの)しい。やればやるほど元気がでて、勇気が湧いてくる。
『白樺フィロソフィー』は、21世紀を担う新しい生きた知=民知をつくりだそうとするエロース溢(あふ)れる試みだ。それは、実存としての生を支える広義の哲学、新たに意味論としてつくり直される全ての「知」である。 〔2000年8月6日 武田康弘〕
民知宣言!
「民知」という私の造語は、白樺派の柳宗悦と陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎の造語「民芸」の思想を一般化し普遍化させた言葉=概念です。すなわち「生活世界」の生きた知のことですが、それは、「なぜ?」「どうして?」という人間の初発の問いに就くことで生み出される意味としての知=意味論です。
紋切り型(ステレオタイプ)の知、公式・パターンにあてはめて答える勉強、事象・事態を範疇(カテゴリー)に閉じ込める概念主義の学問ではなく、世界を掬い取るように見る強くしなやかな直観と思考に基づく民知は、生活世界の具体的経験から立ち昇る健康なイマジネーションに支えられてはじめて可能になるのです。
日本社会の「知」の特徴は、幼稚園から大学院、いや死ぬまで意味の探求をパスした只の「事実学」の累積というところにあります。「物知り」になることと「知的」なことの違いが分かりません。言語・概念中心主義が硬直した「論理」を生産し、立体から見れば影にすぎない二次元世界の拡張を「学問」と呼んでいます。
世間体を第一として生きる形式主義の日本社会は、平面としての知=事実学の培養池ですが、この「人間を幸福にしないシステム」は、明治政府によってつくられたものです。1890年(明治20年)代に超保守主義者―山県有朋らが確立した東大法学部卒の「官僚」が社会を支配するシステムは敗戦後も生き残り、今日まで市民精神=シチズンシップの育成を阻んできました。序列と権威の「エリート」主義は、個々人から発する健康なエロースを消去してしまいます。一人ひとりの自由な政治思想による社会参加―改革を抑圧しているのが、官僚たちのエリート意識です。彼らの思想ならざる暗黙の想念は、日本社会発展の最大の足かせとなっています。ただやっかいなのは、この官僚とは個人としての「エリート」ではなく、組織集団としての、集合意識としてのそれだという点です。彼ら自身が真に自分から出発する生を歩めないドレイ的存在であり、そうであるがために、自分たちが「悪」をなしていることの自覚がないのです。
日本には豊かな生を自分で生み出す「個人」がいません。あるのは序列意識だけです。内的な意味充実の世界がありません。これは底なしの不幸ですが、これをつくり出しているのが現代社会の「知=専門知による支配」です。哲学までも専門知に貶めて生の意欲を奪う管理主義の官僚社会を変えていくためには、知の変革=民知の実践が必要です。
公共哲学と民知
もし、「公共哲学」が学者的興味の対象でしかなければ、それは公共とは呼べません。「学知」や「官」ではなく、ふつうの人々の共同体や共同意識が本来の「公共」なのですから。公共とは、歴史的には500年以上前から惣村、一向宗自治区、自治都市などの形で日本でも広く行われていた自治政治の伝統に重なるものです。明治政府がつくった単一の価値観(天皇主義・国家神道や東大病―官僚主義のイデオロギー)による支配が「公共」を阻害している最大の要因です。本来は、ふつうの人々=「民」の公共サービスのためにつくられた「官」(役所、官庁等)が、それ自体自立した権力をもつことは許されないのです。「官」とは、私たち主権者が税金でつくった市民サービス機関にすぎないのですから。この簡明な事実を明晰に自覚することがポイントです。本来役人というのは民の活動(公共)を下支えするサービスマンのことです。主権者の上は存在しないのですから、政府機関・役所は「お上」ではなく「お下」です。これは原理です。民主政治を実現するためには山県有朋イズムからの脱却が不可欠です。
次に、少し認識論の話をしますが、私の言う「民知」とはフッサールの言う「生活世界」的な知のことです。これは、客観主義的な知=専門知をその一部として包み込む概念であり、多くの人が誤解しているように「専門知」と「生活知」の二つが並列しているのではありません。学的世界とは生活世界の中にその一部として含まれるのです(学⊂生活)。
金泰昌氏は生活知が公共知になることによって制度知の変革、進化に寄与し、また制度知は公共知を媒介にして善い意味での形と方向を生活知に与えると思っているようです。
ここでは紙面の都合上これ以上の展開はできませんが、これは大変重要な問題です。14年前、私と竹内芳郎と竹田青嗣による「現象学」をめぐる数回の討論会でも主題とした核心の問題ですが、認識論なき言説はただの理論であり哲学ではない、ということを太書きで強調しておきたいと思います。
ソクラテス・プラトンの恋知学としての哲学は真に公共的な知と言えますが、その知のためには従来の制度化された知のありよう・スタイルそのものを変更する必要があります。それが民知です。公共哲学を語る語り方それ自体を生活世界のおおきな土台の上に移すのが民知という知の役目だと思います。それは啓蒙ではありません。本質的な進化であり、より大きな普遍性をつくり出すことであり、より品位を高めることなのです。このことを了解するヒントが「民芸」思想―河井寛次郎の回心にあります。
河井寛次郎の「民芸」
「仕事を悦び・人を悦び・おのれを悦び・悦びそのものを悦び続けた」作陶家―河井寛次郎(1890−1966)は、1921年、31歳の時に東京高島屋で開いた第1回個展で「陶芸界に彗星出現!」と高評され、翌年の第2回個展では、批評家をして「国宝的存在」と言わしめるに至りました。中国陶器の高度な技法をマスターし、多彩な技による精緻で美しい作品は、まさに名手・名人と呼ぶにふさわしいものと映ったのです。
ところが河井は、1923年5月の第3回個展と同時期に神田で開かれた「白樺」主宰―柳宗悦による「李朝陶芸展」(朝鮮の雑器展)を見、打ちのめされるような衝撃を受けます。さらに柳の批評―「河井の作品は技術のイミテーションに過ぎぬ」を聞くに及んで、彼は煩悶の中に沈んでしまいました。
李朝雑器のおおらかな美しさ、つよい存在感、余分な作為のない純粋さ、生活の「用」に耐えるほんものの美の前で、精緻な技巧を優先させた自身の陶芸の小ささ・つまらなさを痛感した河井は、「回心」します。翌年関東大震災の後、親友浜田庄司と共に、高度な技巧による難しいものや新奇さを求めるものではなく、ほんとうにいいもの=健康な美しさを持つ陶器をつくろうと決意し、新たな人生を歩みだします。衆知の通りその後の「悦び」の作品群は世界中で絶賛されることとなりました。河井と浜田庄司、思想家の柳宗悦、彼らが発掘した棟方志功らによる民芸という思想とその実践は、美の概念そのものを変えていったのです。
ここに「民知」を理解する、いな了解するヒントがあります。知とは本来ふつうの人々のよき健康な生を生み出すためにのみあるーその原理を現実のものとする基本の構え・スタイル、それが民知です。知の概念・ありようを豊かで強いものに変えることで、真に公共の名に値する知を生み出すのが民知に与えられた使命です。
来訪・会談
紙面が尽きますので、最後に6月15日(水)の金泰昌さんと若手の研究者・厳麗京さんの来訪について書きます。拙宅と「白樺教育館」での5時間を越える会談は、多岐にわたるものでしたが、忌憚のない話ができ大変愉快でした。どうもありがとうございました。ただ来訪の目的からも、私の生き方や思想とその実践についての話が中心になり、金さん厳さんの公共哲学への思いとその成立過程についての話があまり伺えなかったのは少し残念でした。次の機会にはさらに踏み込んだ話をし、新たな思想の構想を共同で練れたら面白いと思います。「公共」とは?「哲学」とは?を民知の視線から解明・展開していくのはワクワクするよろこびです。
「金泰昌(キム・テチャン)氏と武田康弘」
「若手の研究者・厳麗京(ヤン・リジン・北京大学卒業後、東京大学研究生)さんと武田康弘」
最後に。いいものーほんものとは、実用と遊び心の融合から生まれるもの。エロース・悦びと共に。
(以下は、金泰昌さんの意向で、付け加えた「東大病」についての山脇直司さんとのやりとりのうち、私の部分の要約です。)
エピソード・「東大病」
以下は、「東大病」をめぐっての公共哲学ML内―山脇直司さんへの私のメールです。
武田康弘です。
1.思考ではない思考― パターン的思考とは、おおもとに戻して、具体的経験から立ち上げる「知」(ソクラテス的な知)ではなく、既存の理念や公式から出発する「知」(受験勉強的な知)のことで、これは東大の問題ではなく、日本の教育一般の問題ですが、象徴的に「東大病」と言えば分かりよいと思います。東大以外は大学ではない、という親がいます。一元的な価値信奉のヒステリーは「狂っている」としか言いようがありません。序列意識がつくる権威主義の支配は市民運動にまで及びます。 こういう同一価値観による一極集中は、みなを不幸にします。エロースが広がりません。東大関係者はじめ皆が「東大病」の解決に取り組むことが必要です。受験力ではなく人間力を育てること、人間の知的能力の多様さを深く自覚することが重要だと思います。問題解決の「はじめの一歩」は、この社会的ヒステリーをはっきり「病気」と認識することでしょう。
2.この問題は、経験的次元でどこの大学がいい、悪いという話とは違うのです。
「一元的な価値信奉は人間を幸福にしない、いくつもの違ったよさをもつ大学を育てなければいけない、、、」ということを東大の人も非東大の人も、心ある人は皆が一緒になって言わなければ、と思いますが、どうでしょうか?「官の支配」ということは、この問題と直結しているのですから。「公共善」をつくるためには各自が自分の所属する世界を相対化する営みが必要です。 「東大病」とは、日本人の多くが東大絶対の信仰をもっていることを指す言葉なのですから、東大関係者が率先して、「東大病」を治していく努力をされたらいいと思います。笑って自己変革のできる余裕のある精神が底力のあるほんものの「公共哲学」を生むと思います。内と外のラディカルな変革を共にしましょう!
山脇直司さんからは、「お返事、納得しました。」との返信メールが届きました。詳しくは、6月30日の私のブログ「思索の日記」をご覧下さい。山脇さんの返信他全文を公開しています。
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