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  • 140.武田康弘による公共の本質論が、都の職員の研修論文に
        -首都大学東京機関誌「みやこ鳥」-

  • 140.武田康弘による公共の本質論が、都の職員の研修論文に
       -首都大学東京機関誌「みやこ鳥」-

     館長・武田康弘による「公共の本質論」が、都の職員の研修論文(首都大学東京機関誌「みやこ鳥」)に引用されています。
     この場で何度も議論を繰り返してきた極めて重要な考え、『民主制社会における公共の位置づけ』がジワジワと拡がりつつあるのではないかと思い大変うれしく思います。
    以下は、タケセンによる、5月7日付ブログ『思索の日記』からの引用です。

     なお、これまでの経緯については、このページの終わりの『関連記事』を参照ください。


    武田康弘による公共の本質論が、都の職員の研修論文に
    -首都大学東京機関誌「みやこ鳥」-

     わたしが、数年前(2005年6月以降)に行っていた「公共」と「哲学」に関する論争は、シリーズ『公共哲学』(東大出版会)の編者&最高責任者である金泰昌さん、東京大学教授の山脇直司さん、千葉大学教授の小林正弥さんとのものでした。

      「公」と「私」という二元ではなく、その媒介項として「公共」を考えるという彼らに共通する三元論思想(オリジナルは金泰昌さんによる)と、わたしの民主主義の原理につき主権在民を徹底化させていく他はない、という思想の闘いであったわけです。

     この思想上の闘いを参議院調査室の荒井達夫さんが注目し、参議院におけるディスカッションや意見調査が行われたわけですが、その経緯と内容については、すでに『公共をめぐる哲学の活躍』(武田著)として公にしています。そこでもご紹介した通り、わたしの簡明な結語は、「参議院行政監視委員会」の活動をまとめた委員長報告書(山下栄一委員長による)に、公共の本質として記されています。

     「公(おおやけ)という世界が市民的な公共という世界とは別につくられて良いという主張は、近代民主主義社会では原理上許されません。昔は、公をつくるもの=国家に尽くすものとされてきた『官』は、現代では、市民的公共に奉仕するもの=国民に尽くすもの、と逆転したわけです。主権者である国民によってつくられた『官』は、それ独自が目ざす世界(公)を持ってはならず、市民的公共を実現するためにのみ存在する。これが原理です。」(武田康弘)

     この結語を「首都大学東京の機関誌=みやこ鳥」にある東京都職員研修論文でも引用しています。

     執筆者は、船橋拓さん(福祉保健局)工藤聡さん(財務局)木村忍さん(主税局)の3名です。東京都の全庁的な職員研修である「平成21年度都市政策研修」に参加したメンバーの有志3人が研修を継続した結果を発表したもので、標題は、【協働による社会的課題の解決:市民的公共性と地方自治体の果たす役割】です。

     この論文は、はじめに、明治政府によるPublicの意図的な誤訳である「公共」(公と共に)という言葉について述べ、Publicの本来的な意味である「皆のこと」が「国家による公共性」に意図的に収斂されてきたことを、長坂寿久さんの論説に依拠して述べています。

     次に、いま、国会において「公共哲学と公務員倫理」が重要な課題として論じられていると書き、東大教授の山脇 直司さんによる公共哲学の定義を紹介し、「しかし、学問としての公共哲学は、用語、表現仕方が難解であり、行政職員に理解が浸透していない」と断じます。つづけて、

     荒井達夫さんの「民主制原理を柱に展開すべきである」という『立法と調査』(2008年1月)の論文を引用し、武田康弘による「・・・官はそれ独自が目ざす〈公〉を持ってはならず・・・」という原理次元における三元論否定の文章を写し、「この思想が行政運営及び行政監視の思想的土台となる」という荒井さんの言葉で結んでいます。

     なお、この部分は、武田著の『公共をめぐる哲学の活躍』(参議院「行政監視情報」)からの引用となっています。

     その次に(2ページ後)、福嶋浩彦さんの、多様な民間の主体を育てていくことにより「大きな公共」と「小さな(地方)政府」を目がけるという主張が重要なものとして紹介されています。

     これは、 『白樺教育館ホームページ』76(福嶋浩彦・武田康弘「市民自治をつくる」)からの引用です。

    (※なお、福嶋浩彦さんは、わたしの同志として我孫子市議会議員時代から長年活動を共にしてきましたが、当時は我孫子市長、現在は消費者庁長官をつとめています。 
    ※また、公共をめぐる哲学対話は、東大出版会の竹中編集長の尽力で、 『ともに公共哲学する』の83ページから173ページに収められていますが、白樺教育館のホームページでも読めます。

      首都大学東京における都の職員研修でわたしたちの実践に基づく公共思想・哲学が使われているのを知り、とても嬉しく思いました。

    武田康弘


    誤解のないようにお願い 

    荒井達夫  2012-05-07

     一点確認しておきます。

      「公(おおやけ)という世界が市民的な公共という世界とは別につくられて良いという主張は、近代民主主義社会では原理上許されません。昔は、公をつくるもの=国家に尽くすものとされてきた『官』は、現代では、市民的公共に奉仕するもの=国民に尽くすもの、と逆転したわけです。主権者である国民によってつくられた『官』は、それ独自が目ざす世界(公)を持ってはならず、市民的公共を実現するためにのみ存在する。これが原理です。」(武田康弘)

     この武田説を東京都職員の方々が研修論文の中で引用し、さらに、「「この思想が行政運営及び行政監視の思想的土台となる」という荒井さんの言葉で結んでいます。」とのことです。

     確かに「みやこ鳥」の論文ではそう書かれているのですが、武田説が「行政運営及び行政監視の思想的土台となる」というのは、荒井の言葉ではなく、山下栄一行政監視委員長自身の言葉です(山下栄一「行政監視と視察 行政監視委員長・視察報告」6頁)。

      もちろん私も同意見ですが、この点は東京都職員の方による読み違えですので、誤解のないようにお願いします。


    論争の決着を確信 

    荒井達夫  2012-05-07

     「首都大学東京における都の職員研修でわたしたちの実践に基づく公共思想・哲学が使われているのを知り、とても嬉しく思いました。」(武田さん)

      「みやこ鳥」の研修論文には次のように書かれてあります。

      「このような先行研究から、公務員の存在意義とは民主制・国民主権原理に基づく憲法や国家公務員法から導かれるものであること。憲法や国家公務員法に基づき業務を遂行する公務員は、「全国民に共通する社会一般の利益」(=「市民の公共」)の実現を目指すこと。こういったことを公務部門で働く職員一人ひとりが自覚し学習する必要があると考える。」(136頁)

     これは「都市政策研究2011.3.10」に掲載された東京都職員の共著論文です。

      都職員の真摯な研究の中で重要な位置づけを与えられたことは、今後行政のあり方に大きな意識変革が起こる可能性を示唆するものと言えると思います。

      私たちの主張に実務家が真正面から反応する時が必ず来るだろうとは思っていましたが、実務上は「三元論」論争が決着済みであることを確信しました。


    まとめー本質論・原理論の重要性

    武田康弘  2012-05-08

      公共哲学という運動は、多くの経験と知識をもつ強烈な個性=金泰昌さんがいなければ成立しませんでした。日本人の学者の力量では、特定の「学」を運動にまで広げることは不可能です。

      実力者、金さんの「公」と「公共」の区分け・次元分けを第一に要請する「公共哲学」運動は、公務員世界=人事院による公務員研修の奥深くにまで入り込み、その勢いは増すばかり。ストップをかけられる人はいませんでした。

     原理的思考をしない金さんの理論に対しては、明晰で豊かな原理を提示していく必要があるのですが、遠慮がちで(笑)根源的思索力の弱い「事実学」の累積者にはそれは出来ません。そこでわたしは、哲学とは何か?公共とは何か?という本質論次元の討論をしたのです。わたしの足が地についたさまざまな個人的&市民的実践に照らして、金さんの理論を原理次元に戻して検証したわけです。

     「私」の実存からはじまる原理的思考により、「三元論」( 金さんは三次元相関性と呼ぶ )が出てくる大元を探り、本質論次元での討論をしたことで、ようやく金さんの博識と経験に幻惑されない言説が可能になりました。哲学次元での突破がなければ、わたしの簡明な結語(公共の本質論)は単なる常識論としての力しか持ち得ないのです。

     すべての有を支える無とも呼ばれる哲学=恋知(人間の生の意味と価値を原理的思考により探求する)には、あらゆる「事実学」「専門知」を超えた深く大きな力があります。目に見えないからこそ(放射能ではありませんが)。


    原理的思考の徹底

    荒井達夫 2012-05-08

      「哲学次元での突破がなければ、わたしの簡明な結語(公共の本質論)は単なる常識論としての力しか持ち得ないのです。」(武田さん)

      「原理的思考の徹底」ともいえるでしょうか。それがあるからこそ、武田さんは公共の本質を簡明な常識的言語で語ることができたのではないか、と私は考えています。


    感謝です。

    武田康弘  2012-05-09

     荒井さん
    どうもありがとうございます。
    わたしは、いつも、哲学的知識に頼らずに、具体的経験からはじめ、わたし自身の考える力を鍛え豊かにすることで、現実に応答するように心がけてきました。
    ほんらいの「哲学」とは、アカデミズムの専門知ではなく、現実の生の只中で具体的に「するもの」なのだと考えています。 もしそうでないなら、必ず知識量を競う方向に走り、自分で考える力(主観性の知)は衰えていきます。 結局は、哲学までも受験知と同類となり、情報収集と操作に陥ってしまうのです。
    もし、わたしが「公共の本質を、簡明な常識的言語で語ることができた」のだとすれば、とても嬉しいことです。高い評価に感謝です。


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