竹田青嗣著『新哲学入門』講談社現代新書 2022年9月15日刊のAmazon書評に、 彼と私の根本的違いを記しました。
竹田青嗣さんや彼のグループの方からの返信をお待ちします。
竹田さんとの長い交際をもつ私の直球コメント。 2022年9月24日
竹田青嗣さんとは旧知の仲、89年のNHKブックス「現象学入門」の見事な現象学解釈を広めるべく、我孫子市全世帯に配付の「緑と市民自治」紙(わたしの発案でつくられた福嶋浩彦我孫子市議・後市長の新聞)に詳しい案内を載せて、市民会館で「ほんとうとは何か」(真理論)の講演会を行ないました。
わたしは、現象学を、社会改革運動をマルクス主義的発想から根本的に変えるための認識論の基盤と位置付けてこの講演会(90年9月24日・我孫子市民会館)を企画したのでした。竹田さんは、その時はそこまでの思いはなかったかもしれません。
わたしは、小学6年生の時の思想的悩みから、人間の生の原理を欲望として捉え、その視点で自分や他人の生き方を見てきましたから、竹田さんの欲望論の投企は当然のものと思い、賛同します。
ただ最初に気になったのは、竹田さんは、西ヨーロッパ哲学(キリスト教スコラ哲学の改革版)の淵源をエーゲ海の知と見ていますが、これは欧米人に騙される日本の学者の典型で頂けないのです。水と油、多神教のギリシャを強い一神教の西欧の起原とするのは彼らの我田引水でしかなく、古代ギリシャはブッダ始原の仏教と対話し、ポリスの王たちは多くが仏教に帰依したのです。詳しくは中村元著の「古代インド」にあります。
この本は、竹田さんが長年かけて西欧哲学(一部はエーゲ海文明の知)を仲間と共に精魂傾けて読んできた成果ですが、おそらく今も今後も、大多数の日本人には関係の薄い西欧の話しでうめられています。西欧人の西欧のための言説が日本語で書かれていて、引用もまたすべて日本語訳本によっています。そして、【哲学言語ゲーム】というタームが絶対の前提に据えられています。全西欧哲学+エーゲ海の知が、哲学言語ゲームの展開として俯瞰され、竹田解釈により首尾一貫とした【絶対精神】のように提示されています。
ですから、ゲームに乗りにくい話し=竹田解釈にとって無意味とみなされる思想ははカットされ、20世紀最大のビックネームであったサルトルはまるで存在しなかったような扱いです(驚)。竹田さんが昔、西欧哲学が読めずに悩んでいた時に救世主となったフッサールにしても、竹田解釈学を進めるアイテムとなっています。まことに竹田による西欧哲学の全解釈ですが、昔、彼は、「哲学は趣味だ」とわたしに強調して言っていましたので、これでよいのかもしれません。
そのように遇すれば、個々の哲学者の解釈は優れていて、大学内哲学よりも本質をついていますので、役立たせることができます。その点ではお勧めです。しかし本全体を読むとなると、竹田解釈学を習うことが哲学することになり、ソクラテスが造語したプロソピア(恋愛の情+知=直訳すれば恋知)としての白紙に戻して自分の体験をもとに自分で考える営みではなく、西欧哲学の竹田解釈をよく知ることが「哲学」となります。
事実、熱心な彼の読書会の参加者である高校教師は、「自分は教育問題には関心がない」と言ったように自分の仕事や目の前で起きていることには関心がなく、哲学書の読書会が最大の関心事となります。わたしの周辺でも、哲学言語ゲームを竹田本を次々と読むことで行ない、自分の頭で考える代用品にし、それまで関心のあった社会問題は、本を読んで解決!(笑)となり、現実を変える行為はやめて、おとなしく読書する人になりました。人間から牙を抜いて保守化させる効果は見事なまでにあります。
実際、竹田さんは、「学校は国家空間だ。ゆえに生徒の自由も教師の自由もない」という基本思想をもつ「プロ教師の会」の本を朝日新聞で絶賛してみたり、blogにアメリカのイラク戦争支持を書いたりしていましたから、保守主義者なのでしょう。こうなると論理などどこにいったのか、となります。主権者を人民(≒国民)とする民主政国家では、学校は主権者とこどものために官が市民サービスのために設置するものです。それを国家空間だから自由がない、というプロ教師の会の思想を擁護するとは驚きです。人民主権のルソーの社会契約論について、とても的確な評価と解説をしているのに、何故? また、少なく見積もっても50万人近くのイラクの民間人を殺したアメリカへの支持はいまも変わらないのでしょうか?
わたしがお誘いし、参議院で一緒に客員調査員(官僚への講師)を務めたこともある竹田さんですが、哲学書の読解は得意でも、あまりに現実を知らないのは残念です。そのためにおかしな歪みが出てしまい、自己の少ない経験が絶対化してしまいます。公共問題も教育問題も実体験としてはほとんど知らずに、哲学言語ゲームの枠内で何でも言えるという勘違いが、とてもマズイ影響を自他に与えています。
ハイデガーは「あなたのハイデガーより」と幾度もヒトラーに書き、交流をもちナチに強力してきましたし、日本の西田と田辺も戦前の天皇制=現人神という天皇教を支持しましたが、そのようなその時々の現状への追認がもたらす愚を避けるために、よくよく注意してほしいものです。
また、現実政治への批判はなく、いつも政治批判をしてる側への批判ばかりなのは、日本の社会問題解決は、在日韓国人の自分には関係しない、と思っているのでしょうか。残念なことです。これらは、竹田さんには幾度もお話してきたことです。
竹田読書会は、将棋のプロ養成所のようなものですが、「哲学は趣味だ。」とするならば、それでよいでしょうが、わたしは、哲学とは西欧人の書いた哲学書を次々と読んでいくものではなく、世界の誰もに得と徳をもたらす楽しく有用な営みであると考えています。白紙に戻して考えるというこどもが得意とする頭の自由で柔軟な用い方のこと。
ソクラテスによる哲学者・正訳は恋知者の定義は、「知を求め、美を愛し、楽を好み、恋に生きるエロースの人」です。すべての始原は恋(惹きつけられる)で、エロース、英語ではキューピットが人を人間にするわけです。昔の映画「ローマの休日」で、王女は新聞記者との恋で人間になりました。恋知とは、人間になることです。ほんらいの哲学=恋知は、哲学言語ゲーマーになることではありません。言語は広大なイマジネールに支えられてはじめて意味と価値をもつもので、イメージとの往還が必須です。詳しくは、サルトルの処女作「イマジネール」(想像力の問題)が参考になりますが、読まなくてもふつうの多くの人は了解しているでしょう。
竹田真理学に陥っている方は、ご自身の日々の体験につき、それをご自分の頭で考えて、ご自分の現実を生きるようにと願います。哲学書はアヘンだでは困ります。
55人のお客様がこれが役に立ったと考えています―(2022.11.9)
参考:以下、竹田青嗣さんに触れた関連記事です。
227. 恋知エピソード1 Love of thinking 1991年 討論塾 討論会
4.竹田青嗣さんとの出会いと対談 1990年7月23日
7.竹田青嗣さんの哲学書読みとしての哲学について 2022年4月18日
8.解題的紹介 竹田青嗣著「言語的思考へ」 2001年4月
153. 原理と現実と 『地方自治・職員研修』‐巻頭言
127. 「公共」をめぐる哲学の活躍 ‐‐ これですべてがわかる!!
122. 「新しい公共」について考えるパネル・ディスカッション 参議院
(行政監視委員会調査室、内閣委員会調査室)主催
116. 二人のタケダ(竹田青嗣・武田康弘)思想
荒井達夫著(参議院『立法と調査』論文)
111. 10月より武田館長 参議院・行政監視委員会の客員調査員-講師に
96.『立法と調査 別冊 2008.11』発行のお知らせ
特集 「国家公務員制度改革とキャリアシステムに 関する意見調査」
94. 写真速報 『公務員を哲学する-市民社会と公共性を考える』ー市民アカデミア2008
93. 参議院調査室からの論文依頼 『「国家公務員制度改革とキャリアシステム」 について』
63. 8・7会談-竹田青嗣氏・山脇直司氏・武田康弘氏
36.「教育館」への四人のエール
民知の図書館
・「自分」を生きるための思想入門 竹田 青嗣
・自分を知るための哲学入門 竹田 青嗣
・はじめての現象学 竹田 青嗣
・言語的思考へ 竹田 青嗣
・哲学ってなんだ 竹田 青嗣
・現象学は思考の原理である 竹田青嗣
・共生社会のための二つの人権論 金 泰明
・フロイト思想を読む 竹田 青嗣・山竹 伸二