昨年(2009年)12月に小池静子氏による『柳宗悦を支えて 声楽と民藝の母・柳兼子の生涯』という本が出版され、タケセンのところにも謹呈として送付されてきました。
この本の巻末の略歴には著書として『柳兼子の生涯ー歌に生きて』(勁草書房、1989年)が記されています。
ところが、この著書は1990年に東京地方裁判所で著作権訴訟にかけられ、「発行、販売・配布の禁止および、速やかなる廃棄、謝罪広告の掲載、賠償金を支払うこと」という結果となりました。小池氏が著作権を侵害したのは、松橋桂子氏の『柳兼子音楽活動年譜』で、大量の無断便用でした。したがって『柳兼子の生涯ー歌に生きて』という著書はこの世には存在しないものです。
その後、松橋氏は、当ホームページでも紹介したように、『楷書の絶唱 柳兼子伝』1999年 という名著を著します。この書がなければ、柳兼子は「声楽家で柳宗悦の妻」以上の存在ではなかったでしょう。女性として、母として、妻として、芸術家として、社会運動家として生を全うし、白樺派を支える大黒柱の一人として生きた兼子を私たちはこの書によって知ることが出来ます。この書と松橋氏との出会いによって、武田康弘教育館館長(当時・白樺文学館初代館長)は、白樺派の5人として兼子を位置づけ、白樺文学館に兼子の部屋(音楽室)を一室設けることになったのでした。
『楷書の絶唱 柳兼子伝』はしばらく絶版でしたが、2009年に重版が出ましたので、柳兼子に関心のある方は是非、この本を手にしていただきたいと思います。お勧めですヨ。
設立当初から白樺文学館でも販売していましたが、文学館が我孫子市に移管された今も販売されています。
また絶版になってしまうかもしれませんので、お早めに!
ところで、『楷書の絶唱 柳兼子伝』の巻末にもあるように、松橋氏が参考にした関係資料は膨大な量になります。直接訪ね歩き、人に会い、資料をひっくり返し、自ら調べるという一連の作業には気の遠くなるような時間と労力が必要であったことはご本人からも聞きました。誰がどこでどのように何をしたのか、このことを明らかにしておくことはより良い文化を育んでいくための最低限の条件であるはず。
小池氏の新刊本は『89年刊の『柳兼子の生涯』を大幅に改稿。』と紹介されていますが、残念なことに、参考資料・文献として松橋氏の名、『柳兼子音楽活動年譜』および、松橋氏の著作、『楷書の絶唱 柳兼子伝』の名は一切記されておらず、多くの人は不自然に感じるのではないでしょうか。
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『柳兼子音楽活動年譜』
日本民藝協会 1987年4月
柳兼子に関する唯一といって
よい貴重な資料.
この資料なくして兼子について
語ることはほとんど不可能に
思えます. |
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