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27.柳兼子(やなぎかねこ)をたたえて
   【お話と歌曲の夕べ】 その後

 【お話と歌曲の夕べ】も満員御礼で終了しましたが、今日はちょっとその後のお話について触れます。

 柳兼子を知る数少ない貴重な人たちが一堂に会したということは、この先ただでは済まないということになります。いや、正確に言うと、ただでは済まさないタケセンがいるということです。さて、どうなりますやら。

【お話と歌曲の夕べ】後の1ショット.
後列左から 故 清瀬保二氏の長男、柳兼子の唯一の内弟子で兼子が絶大なる信頼を置いていた大島久子さん、前述清瀬夫人、相川 マチさん、松橋桂子さん.
前列左から、タケセンの生徒のご両親で清瀬家と姻戚(いんせき)関係の小別当夫妻、それにタケセン
2002年12月28日
梶池亭にて
撮影:武田弘人
左からタケセン大島久子さん相川 マチさん、松橋桂子さん.
『我孫子がなんだかとてもなつかしい。
兼子さんは幸せよ。あんなよい催しを我孫子でやってもらえて。
写真うれしくて、何回も取り出してみているのよ。お葬式のときに使うわ。 』

写真嫌いの大島さんが何度も松橋さんにそう語ったそうです。
2002年12月28日
梶池亭にて
撮影:武田弘人

 講演後、タケセンが、『何かすごいことになりそうな気がする。』と言ってました。ははーん、なんか考えてるなあ・・・・・これ、私の直感。
 後日、松橋さんと私との対話。
『もうこれで最後よね、書くのは。(講演録のこと)』
『そうですか。来年の今頃もなんかやってるような気がしますけどね。』
『えー、やらないわよ。』

他愛のない会話ですけど、実はいろいろな話が水面下で。

講演 松橋桂子
松橋さん
(2002年12月28日撮影:飯村和夫)

 実は、タケセンと松橋さんの間でこんな話もあったそうです。
『柳兼子が日本最高のアルト歌手で、白樺派のメンバーと共に社会活動・文化活動にも大きな実績を残してきたこと、一人の女性として素晴らしい生き方をしてきたことは松橋さんの著作を通じて随分知られるようになりましたよね、でもまだ兼子の歌が具体的に他の歌手と何がどう違うのか、一般の人にわかるようにする必要があるんじゃないですか。』
『うーん・・・・ でも私はもう書かないのよ。』
『兼子の歌の素晴らしさをよく知る人ってもう松橋さんと大島さんしかいないんでしょう。一人でそんな素晴らしいことを抱え込んじゃ駄目ですよ。もっと多くの人と分かちあわなきゃ。』
『うーん・・・・』

こんな話も。
『清瀬保二のCDってあるんですか。』
『ないのよ。』
『清瀬保二って作曲家として評価されてないんですか。』
『そんなことないわよ、まともな作曲家なら誰しも日本最高の作曲家だって知ってるわよ。』
『じゃ、どうしてないんですか。一般の人はほとんど知らないですよね。』
『うーん・・・・』

 そんな会話があってしばらくして、芦田 田鶴子(あしだたずこ)さんのピアノリサイタルがありました。2003年2月11日(火・祝) (かん)芸館ホールでのことです。

芦田田鶴子
ピアノはショパンが愛用したPLEYEL(フランス)、日本には12-3台があるようですが、公開しているのはここだけとか。 2003年2月11日 撮影:武田康弘

 素晴らしくエネルギッシュな演奏だったそうです。兼子の生命力が受け継がれているんでしょうか。私も行きたかった。
 当然、アンコール!の声が上がったそうですが、 最後に演奏したのがベートーヴェン ソナタ ハ短調 Op.111で、さすがの芦田さんも疲れきってアンコールはちょっと・・・・ と思いきや、
『じゃあ、松本さん、代わりに!』のタケセンの掛け声でパチパチパチ。

 アンコールで松本さんが演奏したのはショパンで、これまた詩情豊かな素晴らしい演奏だったということです。
 松本さんは芦田さんに師事していた新進ピアニストで、この日は芦田さんの演奏を聞きに参加されていました。

松本
松本和将さん
2003年2月11日 撮影:武田康弘
芦田芦田さんと松本さん
芦田さんのエネルギッシュな演奏は精神の健全さばかりではなく、写真からも見て取れるように、ダンスで鍛えられた強くしなやかな身体にもあるようです.
『あなたなんでここにいるの?』と芦田さん.松本さんは現在ベルリン留学中なのになぜかこの日、芦田さんのリサイタルに突然現れたのでした.
2003年2月11日
撮影:武田康弘

 さて、リサイタル後、再びタケセンの探索(挑発?)が始まります。
『清瀬保二について誰か書いてくれませんかね。』
松橋さん。
『一番いいのは、作曲家の佐藤(敏直)さんなんだけど、昨年亡くなったのよね。』
『じゃあ、あとは松橋さんしかいないじゃないですか。誰か弾いてくれないですかね。芦田さんは。』
『どうかしら。弾いてくれるかしら。』
『弾いてくれますよ!』

楽譜

 今どうなっているかといいますと、松橋さんが持っている清瀬保二の楽譜のいくつかが既に芦田さんの手に渡っているのです。松橋さんも何か調べ始めているような雰囲気。
 多分、いつか近い将来、清瀬保二に関する松橋さんのお話と芦田さんの演奏が聞けるのではないかと実は私は期待しています。
 とりあえず、松橋さんのお持ちだった清瀬保二の楽譜を元に仲間内で演奏会を開いてみようか、という話が持ち上がっている最中です。

追記:
生前、清瀬さんは、松橋さんに、自分の願いとして楽譜とレコードを出して欲しいと言っていたそうです。これ、ごく最近聞いた話です。
もうやるしかないですね、松橋さん。(2003年2月23日)

 話は変わりますが、柳兼子が公けの場で最後に歌ったのが1977年10月21日の[清瀬保二歌曲の夕べ]でした。
 すべてを歌い終わり、アンコールのときに客席に来ていた清瀬保二にピアノをお願いしたんだそうです。それが、【《石川啄木歌曲集》より[いつとなく]】でした。私も改めて聞かせてもらいましたが、ピアノも歌もそれまでとはまったく別物のように力強く驚くほど生命感に満ち溢れたものでした。力強く[ひびき]わたるピアノ、それに負けじと生命力を感じさせる兼子の歌、これが公開の場での最後の歌となりました。とても象徴的ですね。このとき、柳兼子85歳、後にも先にも録音された唯一の清瀬保二演奏のピアノでした。
 ちなみに、これは【永遠のアルト 柳兼子】に収録されています。

清瀬保二と兼子
あ りし日の柳兼子と清瀬保二
1977年10月21日 [清瀬保二歌曲の夕べ] 
清瀬保二ピアノ伴奏のアンコールが終わった直後の写真.左側のサインは清瀬保二直筆.
提供:松橋桂子

 さて、今回は清瀬保二の話がかなり出ていましたが、実は清瀬保二自身が白樺派と無縁の人ではありませんでした。
 この辺の話は次回のお楽しみに。

 最後になりましたが、芦田さんのピアノリサイタルを聞きに行った『タケセンの演奏評』をご紹介しておきます。

芦田田鶴子・ピアノコンサート

 芦田田鶴子(あしだたずこ)さんのピアノ演奏は、一音一音にエネルギーが漲(みなぎ)り、躍動感あふれる輝かしい音で構成されていました。
弱音部までもしっかりと力を保ったベートーベンとシューマンは、圧倒的な迫力で、アルゲリッチを彷彿(ほうふつ)とさせるものです。特にベートーベンの最後のピアノソナタ作品111は、ドラマチックで躍動的な1楽章と、祈りとこの世を超越した舞踏のような2楽章とのコントラストが見事でした。
 若いときに柳兼子さんの薫陶(くんとう)をうけた田鶴子さんは、「白樺スピリットに共鳴します。」と言いますが、その通りに覇気と気迫に満ちた演奏を披露してくれました。
 この次は、埋もれてしまっている日本最高の作曲家―清瀬保二のピアノ曲をメインに据えたコンサートをぜひ我孫子でやってもらいましょう。

武田康弘

修正2003年2月23日
2003年2月20日  古林 治

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