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28.清瀬保二(きよせやすじ)の人と音楽語法

 前回は [柳兼子をたたえて【お話と歌曲の夕べ】 その後]をお伝えしましたが、その中で清瀬保二(きよせやすじ)についてかなり触れました。今日は、その清瀬保二についてタケセンに語ってもらいましょう。
 その前にちょっと前振りを。
 松橋さんとタケセンの会話の中でこんなことがあったということです。
『清瀬保二って白樺スピリットにも何か共通するものがありますね。』
『そうなのよ、清瀬さん若い頃、
武者小路(むしゃのこうじ)の[新しき村]に参加しようと思ったことがあったのよ。』
『エーッ!!』


清瀬保二の人と音楽語法

 「その質において日本人最高の作曲家は、清瀬保二(1900〜1981)であろう。」と言われる。しかし清瀬の弟子であった武満徹(たけみつとおる)のCDは、数多く売り出されているが、清瀬保二のCDは、柳兼子が歌った歌曲を除くと、オーケストラ曲も室内楽曲もピアノ曲もほとんど発売されていない。したがって、彼の曲がどのようなものなのか?は、一般には知られていないのが実情だ。

 1900年生まれの清瀬保二は、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)より15年下だが、二十歳くらいのときに、バイオリン一つを持って「新しき村」に入ろうと考えたそうだ(松橋桂子談)。結局、作曲ができなくなると思い、入村はしなかったが。また、そのころは勉強の方針が分からず悶々(もんもん)とした日々を過ごしていたが、「ロダンの言葉(抄)」(高村光太郎訳)を読むことで、基本方針が定まったという。こうしたことからも窺(うかが)われるように、清瀬は当時の多感な青年たちと同じく、白樺派の醸(かも)し出す思想に共感していたことが分かる。さらに付け加えれば、彼の母はいつも就寝前に親鸞の思想を広めた蓮如(れんにょ)の文章を読むのを日課としていて、幼い頃より保二はそれを傍(そば)で聞いていたということだ。

 それでは以下に、「清瀬保二の音楽語法」について記そう。これは、昨年亡くなった作曲家の佐藤敏直氏が、月刊「あんさんぶる」72号に載せたものを、私(武田)が抜粋・編集したものである。主に歌曲とピアノ曲について書かれている。(資料提供はいつものように松橋桂子さん。深く感謝しています。)

清瀬保二と兼子
あ りし日の柳兼子と清瀬保二
1977年10月21日 [清瀬保二歌曲の夕べ] にて
提供:松橋桂子

 清瀬氏は、旋律発明家という意味でメロディストである。氏の多様性をもった旋律はとうてい分析できるものではないが、その特徴の一つとして日本伝統の五音音階がある。しかしそれは伝統に縛(しば)られたものではなく、清瀬氏の感性を通過した「清瀬風五音音階」である。
 旋律の多様性が、氏の作品を、かびの生えた「伝統」から追い出し、現代性をもつエネルギーをたくわえ得る資質になっている。
 氏の旋律の広がりを示す例として「琉球舞踊(りゅうきゅうぶよう)」を上げよう。沖縄の旋法は本土の五音音階とは根本的に異なる構造をもっているが、氏は、琉球音楽を耳にしたその記憶でいとも簡単につづけざまに三曲も書き、しかもその旋法を自身の土俵で処理しているのである。何と共感幅が広いことだろう。
 清瀬氏の歌曲の特徴は、言葉の処理に一母音一音という徹底した姿勢があること。もう一つは、西洋的な意味でアウフタクトが全くないことである。日本語が強弱アクセントではなく、高低アクセントであることをまだ氏が知らなかったころの初期の作品においても、氏の旋律は氏の郷土のイントネーション(高低)を忠実に再現している。日本の作曲家の中で、言葉に対する姿勢をこんなに長い間くずさない扱いをみせてくれる人はいない。
 次にそのひびきについて。言うまでもなくひびきと旋律は密接な関係をもっている。旋律が多様であれば、ひびきの語るものも多様になる。太い骨格の中に旋律と同じような多様性あるのが清瀬氏のひびきであるが、それは、西洋にも日本にもない、先人の誰もが行わなかったひびきである。どちらかと言えば厚い傾向をもち、ふっくらと鳴る。簡潔な処理の中に、なんと含みの多いことだろうか。
 氏のピアノ作品は、舞曲と題されたものが多い。「私の音楽の特徴の一つはリズミックであることだと思う」と氏は語る。一見間の抜けた感じもちながら「暗示性」をもって発展してきたと思われる原始的なスタイルのリズムに日本的なものを感じると言うが、氏にとって伝統的なリズムはあくまでもヒントであり、清瀬氏の身体でデフォルメされ、自由闊達(かったつ)に発展している。
 氏の音楽は、江戸情緒でも、室町文化でもなく、土器や埴輪(はにわ)のような太古にその焔(ほのお)があるとみるべきで、そこから発する息吹が、いかにも人間の踊りを彷彿(ほうふつ)とさせるような世界なのである。土に素足で立つ人間の姿といってもよい。清瀬氏は「私はマーチが好きだ」という。すなわち極めて思索的な側面と、極めて生命の始原的な側面とを兼ね備えているのである。実は清瀬氏の本質はこうした知性と生命力の交わり中に存在するのだといえよう。
 清瀬氏の作品はあらゆる色彩をもち、また明瞭な輪郭と鮮明なリズム、簡素な構成の論理の中に、実に多くの語らいを秘めている。音楽の流れがぎくしゃくと曲がりくねることなく、感情に対して自然な勢いをもっている。
 清瀬氏は自己に誠実である。感動に率直な、虚飾のない作曲家である。氏は激しくものを言う。しかし終わると実にさらっとしているのだ。完結しているのである。やはりアポロ的であるに違いない。

2003年2月18日  武田 康弘

2003年2月20日  古林 治

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