日本音楽集団創立45周年記念シリーズ
「現代邦楽の黎明〜清瀬保二から長澤勝俊へ」によせて
池田逸子
たぶん1965〜6年頃だろう。私の日木音楽集団初体験は。長澤勝俊の「子供の四季」「人形風土記」「子供のための組曲」、三木稔の「古代舞曲によるパラフレーズ」
などを聴いたと思う。新年の熱気がステージにも客席にも立ち込めていて、耳に飛び
込んでくる音楽は、それまでの邦楽の印象を覆すような新鮮な息吹が満ち満ちていた。
旗揚げ公演で演奏された清瀬保二の初の邦楽作品「尺八三重奏曲」を聴いたのも、おそらくその頃のはずだ。3本の尺八が描き出す音楽は淡々として簡潔・明澄。作曲家の己の信念にもとづく書き方を貫いて、全く衒いがない。だが簡潔さは演奏の質を間う「罠」でもある。同じ年に邦楽4人の会と日本音楽集団の管楽メンバーとで放送初演された「日本楽器による八重奏曲」は、なぜか前作ほど演奏の機会に恵まれていない。私も生演奏で聴いた記憶がないので、今回はとても楽しみだ。
長澤勝俊が師・清瀬保二から学んだことは、時流におもねず、自分の言葉(音)で本心を表現するということだった。その、いわば芸術創造の基本のキを胸に刻んで書いたのが、現代邦楽黎明期の不朽の名作「子供のための組曲」や「人形風土記」である。
今回演奏されるのはそれらの成果のうえに立って書き進めた70年代と80年代の作品。野坂恵子(現・野坂操寿)が委嘱初演した二十絃箏曲「錦木によせて―五つの小品―」はいまや多くの箏奏者たちのレパートリーになっている。これを二十絃箏誕生から40年になる今年、久しぶりに野坂の演奏で聴けるとは何とラッキーなことか。大合奏曲「大津絵幻想」も私のお気に入りの曲である。土俗的な民画・大津絵を題材にしたこの作品には民衆的なエネルギーが脈打っている。律動的なダイナミズム、ユーモラスな音の身ぶり、余韻にみちたリリシズムなどなど。楽器を絶妙にあつかって縦横無尽・闊達にくりひろげられる、作曲家58歳の音世界に遊ぶ愉しさは格別だ。
清瀬保二(1900年1月13日〜1981年9月14日)
大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)生まれ。旧制松山高等学校在学中に作曲家を志す。1919年上京、山田耕筰、プリングスハイムに短期間師事、以後独学で昭和7年にデビュー、1934年チェレプニンにより海外に広く紹介された。
啄木の歌に若くして作曲し、幾つかの名曲を残し、日本の音を求めた多くの作品がある。1942年作曲「日本祭礼舞曲」は1981年福井謙一氏のノーベル賞授与式で演奏された。
若い頃はピアニストとして主としてフランス音楽を多数紹介した。日本現代作曲家連盟初代委員長ほか各種団体役員をし、海外も何度か公式に訪問した。弟子には武満徹、佐藤敏直、仲俣申喜男、長澤勝俊がいる。
長澤勝俊(1923年8月2日〜2008年1月10日)
1923年東京に生れる。日本大学芸術学部修了。清瀬保二に作曲を師事。1964年の日本音楽集団創立に参加。
1949年以来人形劇団「プーク」の音楽を監修。1986年歌舞伎・市川猿之助「ヤマトタケル」などの音楽を作曲。
1990年紫綬褒章を受章。6回の日本音楽集団の海外公演に参加。「子供のための組曲」「組曲・人形風土記」「大津絵幻想」「萌春」「錦木によせて」他邦楽器のための作品多数。日本音楽集団の名誉代表を務める。2008年1月没享年84歳。 |