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7. CD《永遠のアルト 柳兼子》 および
  『楷書の絶唱 柳兼子伝』 松橋 桂子 著

 2001年4月26日に3枚組のCD 《永遠のアルト 柳兼子》がグリーンドア音楽出版より発売されました。
まずは1000組の発売ということです。1000組というと少ないように感じられますが、通常のクラシックCDが500組程度ということですから、むしろ多いと言うべきでしょうね。

 さて、このCDの発売までにはいろいろな話がありました。実のところ、この件に関してはタケセンも関係しているのですよ。 今日はその辺の話をちょいと。


 白樺文学館時代のホームページのトップは白樺派の5人の絵になっていますが、館長だったタケセンは当初、白樺派を代表する人間として4人(武者、柳宗悦、リーチ、志賀直哉)を想定していました。

 それでも柳兼子という存在がどうにも気になって仕方がなかったようで、あちこち兼子のLPを探し回ったのでした。結局、とても手に入る代物ではないということだけがわかったのです。
とある日、以前、千葉県柏市で開催された白樺派の文人に関する企画展のパンフレットの中に、柳兼子について書いている松橋桂子さんという方を見つけました。
思い立ったらすぐ連絡。
松橋さんが兼子のLPを持っているというわけで結局貰い受けることに。
ただし、このLPは兼子の80代の時のものでフラストレーションはたまるばかり。
『もっと若い頃のを聞きたい!』

 

 松橋さんという方は、以前にもちょっと触れましたが、作曲家であり、 『楷書の絶唱 柳兼子伝』1999年10月20日出版 の著者でもあります。
タケセンがはじめて松橋さんとコンタクトしたときは、まだ執筆中であり、そのような本が書かれていることさえも知りませんでした。
後に、兼子伝が出版されたと聞き、一気読みして仰天。
『こりゃ、とんでもない女性だ!』
(とんでもない女性とは柳兼子と著者の二人を指してます。)

柳兼子伝楷書の絶唱 柳兼子伝
松橋桂子著 株式会社水曜社
3500円+消費税
普通の本屋さんにはあまり置いてないと思います。民藝館にもないとか・・・

 何がとんでもない女性かといえば、当時の事情を考えるとわかりやすいかと思います。
富国強兵、軍国主義の中にあって女性は家庭を守るものという意識が徹底して教化されていた時代です。親の許しがあって結婚しても(音楽)学校を退学せねばならず、恋愛をテーマにした歌は歌えず(歌曲の多くは恋愛歌ですよね.)、男女混声合唱をするといっただけで、教鞭を追われるという、女性にとって自立するということがいかに難しい時代であったかちょっと想像してみて下さい。
その時代の中で、兼子は主婦として母親として、白樺派の一員として、優れた一芸術家としての女性を全うしたのでした。
(当時の我孫子は電気やガス、水道などもちろんありませんでしたし、お店などもないに等しかったのですよ。これは主婦としてはひどく大変なことです。)

 そればかりか、経済的な面でも柳宗悦、白樺派の活動に大いに貢献したのです。民間の国際交流を積極的に続けながら、朝鮮民族美術館設立のための資金、白樺派が構想した白樺美術館設立(実現せず)のための資金の多くも兼子がリサイタルなどを通じて獲得したものでした。
また、こんな逸話も残っています。
『兼子見ろよ、これがお金で買えるんだよぉ、ありがたいじゃないか。』
各地の雑器(民藝)を買い漁る宗悦に言われ、その気になってなけなしの財布をはたくこともままあったとか。でもなんという口説き文句でしょう。これいいですね。

 戦前、自他ともに認める日本最高のアルト歌手であり、本場ドイツで絶賛された初めての日本人でもありながら、全盛時の作品は現在わかっている限り、ほとんど残っていません。
また、評価といえるような評価もされていません。
兼子は柳宗悦とともに朝鮮独立を公言し、朝鮮支配を批判していたため、私服刑事に見張られ、特高にも監視されたこともありました。
戦時中も、国民の士気高揚のために軍国主義化する音楽界から身を引くような形となり、実質的な音楽活動が途絶えてしまったのです。
加えて、戦後の混乱期を抜け出てようやく現場復帰を果たしたものの、当時まだ一段低いものと見られていた日本歌曲の唱法の確立に情熱を傾けていたせいもあり、半ば忘れ去られた存在となりました。ときおり、小規模なリサイタルを各地で催していたものの、LPを出すようなレベルのものは録音されなかったようです。
現在残っているのは30代と80代のときの数枚のSPとLPのみです。

 

 2000年2月、タケセンが松橋さんに電話。

『もっと若い頃のものってないんですかネェ?』

『あるわよ。』

『エッ! エエッ!!』

『私と大島久子(旧姓秋山、兼子の内弟子)が持ってるわよ。』

『も、もってるって、何を持ってるんですか!』

『テープよ。』

『そ、そんな、駄目ですよ。デジタル化しとかないと駄目になっちゃいますよ!』

『え〜、何で? デジタル化ってなぁ〜に?』

というわけで、グリーンドアさんにデジタル化を依頼、30万円という話で、松橋さんと大島さんで折半でやってもらうことに。
ところが、後日、グリーンドアさんから連絡。
『これ、CD化させてもらえませんかね。』
テープを聞いてグリーンドアさんかなりびっくらこいたようです。
その後、著作権の問題とかいろいろあって、リリースがかなり遅れました。
遅れた理由の一つにこんなこともあったとか。
松橋さんから

『ノイズはないんだけど音が何か生きてないのよね。』

『それはちゃんと言わなきゃ駄目ですよ。ノイズがあってもいいから声が生きてなきゃ意味ないですよ。』

というようなやり取りがあって、またデジタル処理のやり直しがあったようです。

柳兼子CD

 CDのタイトルは当初、『ハバネラ』という構想だったのを松橋さんが断固拒否し、『永遠のアルト』というタイトルになりました。
これには松橋さんの『柳兼子という人間を正当に評価し、記録を残す』という長年の情熱と執念がこもっているように思えます。

 

 2001年1月11日白樺文学館 開館式。
この日、実は松橋さんとタケセンは初めて直接会ったのでした。
当日、取材に来ていたNHKの熊沢ディレクターもその会話に参加し、興奮して番組制作に没入することに・・・
2001年3月22日、柳兼子のCDを特集した小番組『声楽の母 幻の録音テープ発見』が放映され、各地で大きな反響を呼んだということです。

 というようなわけで2001年4月26日にCD 《永遠のアルト 柳兼子》がグリーンドア音楽出版より発売されました。今私の手元にも一組あります。60代から70代にかけての兼子の成熟期の録音ですが、語りかけるような歌い方はストレートに聞くものの心に入り込んできます。

柳兼子 永遠のアルト 1957〜77年 CD3枚組み
      定価 7500円 プラス消費税 (グリーンドアGD-2001〜2003)

CD入手の方法⇒

ちょっと長くなりましたけど、今、CDと兼子伝を手にしながらこんな人が居たんだ・・・ と、ちょっと驚いています。
兼子については柳宗悦の妻で声楽をやっていた人程度にしか、これまで説明されてきませんでしたからね、兼子も喜んでいるのではないでしょうか。

(このページは白樺文学館時代の2001年5月4日にアップした〔白樺だより4〕に加筆修正したものです。)

   
2002年5月25日 古林 治
 
 
   
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