Home > 教育館だより目次 > 69.『6.3金さんとの対話』の感想 ー 染谷裕太、中西隼也、中野牧人、楊原泰子、古林 治、清水光子(+川瀬優子)、舘池未央子
 
 

69.『6.3金さんとの対話』の感想 ー 染谷裕太中西隼也
  中野牧人楊原泰子古林 治清水光子(+川瀬優子)
  舘池未央子

金
Photo:中野牧人

 先日開催されたばかりの【5.14民知の会・設立記念シンポジウム&パーティ】では、金 泰昌(キム・テチャン)さんの講演が、都合により急遽キャンセルとなってしまいました。そのこともあって、この度、民知の会にて金さんとの対話が実現することになりました。 6月3日(土)午後2時から7時まで5時間にわたる濃密な対話でした。今日はそのご報告です。
  タケセンのコメントおよび参加メンバー中の8名の感想文を載せますのでじっくりお読みください。

全体

金泰昌(キムテチャン)氏、武田康弘館長、福嶋浩彦我孫子市長
photo: 古林 治

2006年7月7日 古林 治


6月3日ー「友人たちの学校」での対話的思考

 6月3日に「民知」発祥の地、我孫子市の『白樺教育館』で行われた金泰昌氏と白樺同人たちが奏でた共感、賛同、平行、対立、が織り成す「対話的思考」の会談は、参加者みなに、大いなる収穫と同時に、次への課題もまた鮮明にしたようです。 当日は、さまざまに異なる人生体験をもつ人達が、自身の具体的経験を踏まえながら、普遍的な了解をつくり出すべく努力し、休みなく5時間に渡って論談しましたが、その実りの一端を参加者それぞれの感想として以下に載せしましょう。15名のうちの8名です。
  なお、わたしの造語、民知という言葉=概念は、実体としてのそれではなく、知の遇し方のことですが、去る5月14日に、1987年以来の「哲学の会」を発展させた「民知の会」設立を祝うシンポジュームを我孫子市の生涯学習センター「アビスタ」の大ホールで行いました。その会の話者のお一人が金泰昌氏でしたが、金氏は当日、日本に戻ることができなくなり、代わりに金氏の僚友―山脇直司氏が話者として参加されました。その模様は、68. 5.14民知の会・設立記念シンポジウム&パーティ で見ることができます。
また、昨年二度にわたり「公共的良識人」に掲載された「民知」の論文もアップしてあります。併せてご覧下さい。

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61.民知宣言!「公共哲学」編者ー金泰昌氏来館・会談

友だち同士のような話言葉による対話授業―「友人たちの学校」と呼ばれたアカデメイアの精神を現代に活かそうというのが『白樺教育館』の理念です。その理念を支える知のありようを「民知」と呼ぶわけですが、民知に熱く共感され、今年二度目の来館となった金泰昌氏には、深く感謝しています。

武田 康弘(白樺教育館・館長)

8人の感想

1.6月3日の対談の感想

染谷裕太(大学二年・19才・塾生)

2.6月3日の感想

中西隼也(大学4年・塾生)

3.民知の会 座談会の感想

中野牧人(大学3年・塾生)

4.「民知」という考え方

楊原泰子(白樺教育館・学芸員)

5.金さんとの対話

古林 治(白樺教育館・副館長)

6.民知という広い土台―6月3日の感想

清水光子(+川瀬優子)

7.民知―蝶々の共鳴

舘池未央子

印刷される場合には、以下のPDFファイルをご利用ください。
impression_060603.pdf


6月3日の対談の感想         染谷裕太(大学二年・19才・塾生)

染谷
Photo:中野牧人

 6月3日の対談は老若男女関係なく、様々な立場の人が集まり、そして話し合い、とても面白かったです。あの場にいた人達は皆、自分の体験、経験からものを言い、自分が思っている、考えていることを話していました。これは当たり前のことだと思うのですが、僕が小、中、高校そして現在の大学まで教育を受けてきた中で、自分の考えをちゃんと持っていて、それを生徒に対してしっかりと言える教師は1人しかいませんでした。これは生徒にも同じことが言えると思います。日本の学校教育では「どれだけ知識を覚えているか」が重要であり、「どう考えるか」は全く関係なしとされます。そう思うと自分は日本ではまず出来ないような貴重な体験をしたと思いました。

 話が少しそれましたが、6月3日の対談で色々な話を聞き、その多くは「なるほど、そうか」と納得したり、共感しましたが、ちょっと疑問に思うこともありました。それは、金さんの言っていたことで、現在の日本は本来、生活世界の必要からつくられたはずの専門知が、さも生活世界よりも上位であるかのように振る舞い、生活世界と専門知が切り離されている。だから、その2つを媒介する公共知が必要だ。というものです。前半は確かにその通りだと思うのですが、それを解決するために媒介する知をつくる、というのは違うのではないかと思いました。

 元々、専門知というものは生活世界の問題を解決するために、ある分野をより専門的に研究したほうが良いということでつくられていったものだとすれば、専門知と生活世界は本来つながっているものです。しかし、それがなぜ宙に浮いてしまっているかというと、専門知から本来の目的や意味が失われ、まるで生活世界よりも上位にあり、独立しているかのようになっているからだと思います。

 だから、僕はこの問題を解決するには、専門知を本来の目的、意味に立ち戻らせること、逆転している生活世界と専門知の立場を元に戻すことが重要だと思っています。なので、金さんの言う、媒介するものとしての公共知というものの意味がよくわかりませんでした。その時はこのことを聞けませんでしたが、また同様の機会があれば、聞いてみたいです。それにあのような議論を一回で終わらせてしまうのは非常にもったいない気がします。回数を重ねればもっと濃い内容になると思うので、ぜひ第二回目をやりたいと思います。

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6月3日の感想         中西隼也(大学4年・塾生)

中西

Photo:中野牧人

 金さんとお会いするのは今年の1月28日以来の2回目でした。前回は、主に金さんの実体験の基に、全体知が求められる生活世界では客観学(事実学)は部分的にしか通用しないことや、客観学を盲目的・受動的に学ぶことの恐ろしさなどの話がされました。その時の感想は、「事実学は事実人しか作らない」(フッサール)という「現象学」とは恐らく違う土俵に立つ金さんが、同様の指摘をしていることに衝撃と感銘を受けました。

 快い「衝撃」を私に与えてくれた金さんは今回民知の考え方を広めようと「民知と公共哲学」という題目で対話をするためにいらっしゃいました。金さんの日・中・韓の知の捉え方の違いや、我孫子市長・福嶋さんの市政に対する話など、どれも他では聞けないような話ばかりで圧倒されっぱなしの5時間でした。

 主な内容の感想として、私は金さんと武田先生の原理の捉え方の違いはこんな風に感じました。金さんの原理の捉え方はキリストorイスラム教原理主義などの宗教や国ごとに異なる世界の捉え方の種類・方法で、武田先生の原理の捉え方は宗教や国の差の下にある一人ひとりの人間がどのように知を得るかという根源的な原則という風に捉えているのだと思いました。建築に例えると、武田先生の捉え方は基礎工事の部分の次元で金さんはビルや一軒家、野球場などの建築物の種類の次元で捉えていると思います。

 もちろん金さんのいう国や宗教ごとの違いを認識することは大切なことでありますし、また武田先生のいうどのように人は知を認識するのかをわきまえておくことも大切なことだと思います。お二人は原理という言葉で別次元のことを話していたのだと思うのです。

 内容の感想はさておき、今回の全体的な感想はどこか報告会のような感じがしたことです。何故なら、会の形式が一人ひとりが何かについて数分話し、それについてまた誰かが数分話すといったものだったからです。そのため今回は問題提起で終わってしまったと思います。原因は私も含めそれぞれこの時が初対面であるという人が多い状態だったことで、自分がどんなことをしていたり思っているのかという自己紹介的な話をせざるを得なかったことと、私を筆頭にシャイなところが出てしまい対話の雰囲気ではなく緊張感が漂っていたためだと思います。ですから、これで完結していいのかなというのが終わってからの率直な意見です。さらにこのテーマを深めるためにも同じメンバーでもう1〜2回やったらよいのではないかと思います。

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民知の会 座談会の感想        中野牧人(大学3年・塾生)

中野

Photo:武田康弘

 6月3日の座談会では、金さんの実体験をもとにしたお話を聞くことができて非常に良かったと思います。特に、日・中・韓の思考の仕方についての金さんの考察は興味深く聞かせてもらいました。それについての武田さんとのやりとりも面白かったと思います。またそれに関連して、金さんは民族・国籍によって原理のあり方はそれぞれあるのではないか?という提案をされました。またそれについて武田さんは原理とはもっと人の深いところにあって、民族・国籍を超えて普遍的に言えるものであり、だからこそ原理といえるというような話をされたと思います。私はその話を聞いている場でこう思いました。――確かに、世界中には、国家間や民族間で様々な問題や紛争、さらには戦争があります。おそらくは、金さんの目はそういうところに向いているではないか?確かにある種の絶対的原理というものをお互いに押し付けあうだけでは問題は解決しない。お互いが様々な原理を容認してこそ、問題は解決するのだろう。――

 後日ですが、私はもう一度この事を考え直してみる機会がありました。金さんが言われる原理はいくつもあるというお話は、自分にとって説得力を持っていました。しかしながら、私が今勉強している哲学や、認識論といったものもその内の一つの原理なのか?という漠然とした疑問が残りました。それでは哲学が目指す、普遍的な原理というのは全く意味のないものなのかと。それについて、わたしは、武田さんからアドバイスを受けた上でこう考えます。世界中に存在する「原理」の衝突の解決策が、原理には隠されているのではないでしょうか?つまり、様々な「原理」が互いに認め合うためには、さらにその下にある違った主張をする人々がじっくり話し合いのできる場を作るような原理があると思うのです。そしてその原理には必然的に「原理」の衝突を緩和するような力があると思います。私は、その本当に深いところにある普遍的原理というのが哲学であり、今回の会で話し合われた民知なのだと思います。

 もちろん、哲学・民知の理想を掲げているだけで世界の問題が解決できるとは思っていません。また、金さんもそのあたりを懸念したのかもしれません。ここで書いたことは、つい話が大きくなりすぎてしまったようですが、私が今できることは生活の中で民知を実践して行くことだと思っています。まずは、自分の意見を言うこと、そして人の意見を聞くことから始めたいと思います。

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「民知」という考え方       楊原泰子(白樺教育館・学芸員)

楊原

Photo:集合写真より

 6月3日の「民知と公共哲学との出会い」は金泰昌さんを囲んで、幅広く様々なことを話し合うことが出来、有意義な出会いでした。長時間の対談でしたが、時が経つのを忘れるほどでした。金泰昌さんの、世界、特にアジアを視野に入れた「公共哲学」構想も、もっと詳しくお聞きしたいと思いました。さらに時間が許せば、「民知」という考え方が日々の生活の中でどう生きているかを具体的に語り合いたかったと少し残念に思った部分もありましたが、次の機会を待つことにしましょう。

  私もそうですが、多くの人は難しい「哲学の言葉」や「哲学者の名前」が出てくると、それだけで引いてしまいます。多くの場合「それはどういう意味?」と問い返す勇気もなく、それ以上の深い議論は避けて通ることになってしまいます。「哲学」は一部の「レベルの高い人」のもので、我々には関係ないものだと思っていました。ですから、従来の「哲学」では机上の論理では社会を変革出来ても、実際には人々の心を動かすことは出来ず、社会に何の影響も与えることが出来ないのだろう思っていました。しかし、「民知」を知ってからは本来の「フィロソフィー」は難しいものではなく、人がより良く生きるために何よりも大切なものだったのだと、それまで避けてきた無知を恥じています。そして、そこには、一人ひとりの心のうちから社会を変えていけるという大きな可能性をも見出すことが出来ます。私にとって「民知」とその提唱者武田康弘さんとの出会いはとても嬉しい魅力的なものでした。こんなことを言ったら笑われるんじゃないかと躊躇したり遠慮したりせず、率直に疑問をぶつけることが出来、言葉のやり取りの中で、疑問が解消され、心からの納得を得ることが出来ます。このような場を持つことが出来るということは私の人生にとって、この上なく幸運なことだと思います。知らないことは恥ずかしいことではなく、知ろうとしないことの方が恥ずかしいことだと素直に思えるようになりました。

 対談の中でもお話ししましたが、私は、朝鮮から日本に留学中、治安維持法違反で逮捕され、終戦の半年前に福岡刑務所で獄死した尹東柱という詩人の調査研究を続けています。その清冽な詩魂に魅せられ、どうしてもその詩の意味と詩人の生涯の真実を知りたくなりました。私のようなまったく何の専門知識を持たない素人が個人的に調査研究をするという無謀なことを始めてしまったのですが、ここでも「民知」の考え方に背中を押してもらい、励まされました。日々の生活の中で、心を揺さぶられる素晴らしい出会いがあり、そこに夢や目標を見出し、その目標に向かって努力する。そして、ささやかではあっても何らかの結実があり、深い納得を得られることは、何ものにも代え難い人生の大きな喜びです。ここでいう知の喜びとは、表面的な感情をいうのではなく、過去の辛い現実に目を閉ざしたり、軽視したりせず、真直ぐに真摯に向き合い、多くの葛藤を経て初めて、心の深部で得られるものだと思います。

 尹東柱の詩は国を奪われ、名前を奪われ、母語を奪われるなど、自国の文化を根こそぎ消滅させられるという危機感の中で、民族の悲しみや苦しみを表したもので、平和への強い願いがこめられています。加害の側の人間がその真実を知ろうとする時、日本人としての罪責に向き合うことを避けて通ることは出来ません。歴史は過去から脈々とつながっていて、私たちは過去からの帰結の中で生きているので、戦後生まれたものであってもそこから免れることは出来ません。過去を掘り起こしていくことは辛い作業ですが、未来のために大切な仕事だと思い続けています。

 尹東柱は「哲学書」をよく読み、特にキルケゴールを耽読していました。キルケゴールの思想のように、客観世界の側からの変革ではなく一人ひとりの心のうちから変えることで、平和な世界を築きたいと願っていたようです。尹東柱の幼馴染、文益煥牧師は、「わたしは確信をもって言うことが出来る。福岡刑務所で息を引き取る時、彼は日本人のことを考え、涙を流しただろう、と。人間性の深みを見すえその秘密を知っていたから、誰も憎むことが出来なかっただろう」と書いています。また「いちどキルケゴールについて語り合ったが、彼のキルケゴール理解が神学生の私よりはるかに深いことに驚かざるを得なかった」という記述も見られます。尹東柱の詩が時を越え、民族や言葉の壁を越え、広く愛され続けているのは、その詩に現れた普遍性にあると思います。普遍性を持つからこそ60年以上を経ても、我々の心に真直ぐ届くのです。「フィロソフィー」の本来の姿である「民知」を考える時、民族受難の苦しみの中で、自らのあるべき姿を必死に求め、葛藤しながら詩を書いていたであろう、この若き詩人のことを思います。

 国境線は人々の心の中にあるものなのかもしれません。国や民族を越えて、知を愛し、人類共通の普遍性を求めて語り合い、心の深いところで理解し合える友が増えれば、今よりずっと良い関係を築くことが出来るのではないでしょうか。

 「公共哲学」の中国、韓国、日本での広がりに期待しています。

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金さんとの対話        古林 治(白樺教育館・副館長)

古林

Photo:中野牧人

 金さんとの対話、とても楽しかったです。特に、中・韓・日の相違についてのお話には、経験的にも腑に落ちるところ大でした。有意義な内容で、あっという間に5時間が過ぎ、やはり時間がまるで足りないな、という印象でした。機会があれば、また来て頂きたいものです。

 さて、金さんとの対話の中で私がもっと知りたいと思ったのは、【原理】に対する考え方です。イスラム教やキリスト教という原理、あるいは朝鮮人やユダヤ人という民族の歴史にかかわる情念のレベルで言うところの原理を、金さんは原理としてとらえていたように思います。それらの相違を知ることは、より良い関係を作り上げていく上での出発点と言えるでしょう。ですが、さらに踏み込んで、心の内部へと掘り下げた次元での共通了解の可能性について語り合うことが重要に思います。別の表現をすれば、普遍性(≠真理)の追求ということになるでしょう。【原理】とは、本来そのような人間の営みから生まれた考えであると私は思います。そう考えなければ、ルソーの提示した【市民社会の原理】すら、さまざまな原理のうちの一つに過ぎないということになります。(すでにここでは宗教はさまざまな価値観として相対化されているはずです。)

 言葉としては同じですが、いわゆる原理主義と言われるレベルでの【原理】と、共通了解の可能性を追求した結果得られた【原理】とは次元の異なるものであるように思います。前者は争いの火種ともなり、後者はより開かれた未来の可能性を秘めたものと言えるでしょう。

 短い時間では中々掘り下げた対話は難しいもので、金さんとの対話のあと、私はこのような疑念を残してしまいました。もし機会があれば、このあたりを明晰にしていけると大変うれしく思います。

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民知という広い土台―6月3日の感想   清水光子(+川瀬優子)

清水_川瀬

Photo:武田康弘

 6月3日の会合は、専門知・制度知と民知の関係が主題だったと思いますが、帰り路、娘(次女)の優子は、「二つに分けるから頭が混乱するのよ」と言っていました。

 わが国は、開国から明治と、ヨーロッパに追いつくまで、学問・制度・軍事と模倣、吸収することに専念しました。私の親達が留学して帰国後、各分野でトップレベルにいた事をよく覚えています。

 敗戦後、パージを免れた官僚がだんだんと権力を握り専門知識尊重となった事、学歴・資格・地位を利用して、権力・金力と結びつき、一般人よりも上位だと自負する様になった事をさして、金先生は制度知と云われたのでしょうか。

 武田先生の民知と云われることは、学んだ知識を生かして深く考える能力の事ではないかと思っています。

 民知(生活の経験に根ざした腑に落ちる知)が欠けている専門知による制度知の人達が権力を持ち方向を間違えるのは、恐ろしい事態です。

 私事ですが、唯一人と云えども我行かん、と武田先生が云われる様に、私としても、自分が岐路に立った時、深く考えることで困難であっても決断して道を選び、生きる姿勢を正してきたつもりです。今は年をとり動けなくなり、まわりの人の役に立てることは限られてしまいましたが、何事もシンプルにして生きたいと考えています。

 やはり、武田先生の云われるように、様々な専門知を生活に活かしていくためには、民知という広い土台が必要だと感じています。民知を自覚する事で、はじめて専門知も生きて働くのではないかと思います。

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民知―蝶々の共鳴         舘池未央子

舘池
Photo:中野牧人

 「北京の蝶々」という言葉がある。「蝶々のはばたきというごくわずかな行動が次々と仲間の蝶々に共鳴し、大きな風を起こし、ついにはニューヨークでハリケーンが生じる」という意味だ。少人数でも伝染力を持つ人々の活動が多くの人を巻き込んでいくようなケースに使われる。

 武田先生が提唱されている「民知」(生活経験に根ざした腑に落ちる知)は、まさに乖離してしまった日常生活と専門社会を再構築する概念で、歪められてしまった知のあり様を根底から見直すムーブメントといえよう。

 そういった意味で、6月3日に白樺教育館で開かれた金泰昌氏を交えての会談は、仲間の蝶々が次々と共鳴した瞬間だったのではないだろうか。それぞれが思い思い意見を述べ合う中で共感や疑問を抱いた。わずかなはばたきがいつの間にか共鳴し、次のステップへと前進することを望んでいる。このことが大事をなす時に最も必要なパッションだと思う。

 金氏は、会談の中で他者と共通認識を図る難しさの例えとして、日・中・韓の知の捉え方の違いを挙げた。日本語の「しる(知る・頷る)」は、中国語では真実を「しる」ことを示し、韓国語では納得して理解することを指すのだという。同じ文化圏に属する国同士でさえ言葉の捉え方にこれだけの違いがある。

 しかし、一人一人が生活経験に根ざした知をもってして、相手を尊重しながら理解しようと努めたならば、その時、民知が万国共通の知として国境をも越えるであろう。そのことが、ひいては世界平和にも繋がっていくものだと思っている。

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付 録

全景

当日の全景です。会が始まったばかりのときの写真で、期待と緊張からか、まだ皆さん表情が固いです。

並川清

当日はこの日の討論を記録に収めるため、プロのビデオカメラマン‐並川清さん‐も参加。


 2006年7月7日 古林 治

 
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