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59. 皇族の人権と市民精神の涵養(かんよう)

 ここのところ、改憲論議が盛んになってきてます。特に第9条に関してです。ですが、この国をどうしていくのかが不明なまま目先の状況に左右された議論に陥ってると感じるのは私だけでしょうか。
 私たちの国の未来をどうするのか、まずはこのことを明確にしましょう。
 タケセンの3部作の最後の文章です。異論・反論大歓迎です!!

 ちなみに、連作の前の文章はこちら
56. 靖国神社と君が代
57. 日本の政治家は、 国という言葉の意味も知らない!!

2004年9月3日  古林 治



皇族の人権と市民精神の涵養  武田康弘

 天皇制の問題については、ふつうの市民社会の常識にしたがい、本質的に考えれば、答えは実に簡明です。

 まず、明治政府がつくった「近代天皇制」とは、現代のシチズンシップ(市民精神)に基づく「人権と民主制」という普遍的な思想の前では、過去の有害な遺物にすぎないことは、火を見るより明らかです。
 また、古代からの「神話的な天皇像」については今さら言うまでもなく、これに現代的な価値を置くことは、あまりにも馬鹿げた話でしかありません。
 もちろん、個人的に天皇を「崇拝」するのも、皇室を「命」と思うことも自由ですが、国=政府の理念や基本方針として、天皇に神秘的―宗教的な意味を付与し、それを国民統合の象徴とすることは、全世界の良識=市民社会の理念そのものへの挑戦にしかなりません。

 したがって、天皇=皇室というものは、過去の日本の歴史的な遺産として、一般に「旧家」がもつような役割を果たしていくものと位置づければよいのです。
 現在の皇族の人々は、基本的な人権を、皇室外の日本人と同じく保障され、一人の人間としての自由と責任の下に生きることが求められ、また許されるべきです。北欧などの王室のように、市民社会に溶け込んだ自然な姿になることがよいことです。現代の市民社会の中に宗教性や神秘性を付与した国家シンボルをつくるなどは、極めて危険でおぞましいことですし、皇室の人々の人権を全く認めない越権行為にしかなりません。

 そのためには、憲法第一章(一条から八条)の天皇条項については、大幅に改めなくてはいけません。第一条の「日本国民統合の象徴」というような論理的にも現実的にも曖昧でおかしな規定を削除して、「過去の日本の文化遺産を守り伝える歴史的な旧家」として天皇家を正当に位置づけることが求められます。天皇個人については、現憲法が定めている国事行為からは解放し、文化的な国際親善や王室間外交に徹してもらうことが必要です。再び政治的に利用されないために、また彼らが一人の人間として伸びやかな生を送るためにも、一条の改定は避けて通れません。天皇家が行う結婚や出産や葬儀も、天皇家がその良識の下に判断し行うことであり、国家=政府が関与すべきではありません。
 それらは、家族がその信頼する助言者と共に決定することです。また、財産権を保証すると同時に、生活費も自己負担とすべきです。ただし、皇室としの最低限度の生活が危機に瀕したときには税金で補填すべき道も残しておく必要はあるでしょう。
 結論を言います。一条は、「主権は日本国の市民に存する」と簡明な記述に改定するのがよいでしょう。続けて、「首相は日本国の市民による直接選挙で選ぶ」こと。「天皇及びその家族は、歴史―文化的存在であり、国政に関する権能は持たず、国事行為も行わない」ことを明記すべきです。そうすることで、天皇家の人々に現代社会に見合った新しい活躍の道を開くと共に、その人権を全面的に保証することにもなります。

 次に元号問題です。一人の人間の死によって時代の名称―区分を変えるというのは、古代王政の空間・領土とともに、時間・時代も王が管理するという思想に基づくものですが、この制度が世界に唯一つ生き残ってしまったのがわが国の元号問題です。
 その死によって時代の名称や区分までも変えてしまう制度―誰も手の届かない超越的な人間が存在しているという感覚は、日本人の意識の奥深いところで、個人の自由意識と責任感を萎えさせてしまいます。「対等な個人がその自由と責任に基づいて公論を形成し社会を作り上げていく」という市民社会の原理がボヤケテしまうのです。新たな時代を開き歴史をつくる主体は、市民=公民=社会人としての自分であり、特権者はいないのだ、というシチズンシップ(市民精神)の育成を深層において阻害するのです。「エリート主義」という歪んだ考えを生み出してしまいます。
 また、この元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。例えば、天皇主権から国民主権へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます。これでは、ほとんど星占いと同じレベルで歴史の意味が語られる!というお粗末にしかなりません。「平成の世」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなるのです。パブロ・ピカソー1881年〜1973年、棟方志功−明治36年〜昭和50年では困ります。
 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきでしょう。現在、役所は、自民党―中曽根内閣が強行採決で決めた「法律」により、元号を強制されています。北朝鮮も驚く国粋主義!ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればいいのです。
 世界的にはイスラム暦も多く使われているので、ほんとうは、ギリシャのソクラテスの誕生年(紀元前469年)を起点とする暦を「世界暦」とするように国連が各国に提唱すればいいのですが、現在のところ、これは夢物語でしょう。(ギリシャ文化を受け継いだのがアラビア=イスラム文化ですし、仏教思想もギリシャ思想と出自―基本が同じですので、世界的な了解が得られるはずです。)

 次に住居の問題ですが、現在の皇居は、知将―太田道灌が15世紀・室町時代に建てたもので、徳川幕府の拠点―江戸城です。1868年(明治元年)西郷隆盛―勝海舟会談での江戸城無血開城を受けて、京都の天皇家が乗り込み移り住んだわけです。しかし、国民主権の新憲法制定後もずっとこの江戸城内に住み続けるというのは、おかしなことです。天皇家には本来の住まいである京都御所へ帰って頂き、自由に暮らしてもらうのがよいでしょう。歴史的にも天皇家は関東地方とは関係がないのです。皇居=江戸城内は、「江戸―市民公園」としてパブリックな場にするのが自然で、よいことです。余談ですが、そもそも天皇家を将門信仰の厚い関東の地に住まわせるのは気の毒というものです。(さらに余分な話をすれば、神田生まれの私は、将門を主祭神とする「神田明神」の『神田祭』の初日―5月14日生まれ!です)

 最後に日の丸と君が代の問題ですが、日の丸は天皇家とは何の関係もありませんので、国旗として問題はありません。戦後すぐならば、戦争責任を明確にする意味で変えてもよかったでしょうが。
 「君が代」の曲は、もともと明治天皇へ捧げられた天皇賛歌ですので、これを国歌とするのは、明らかに間違っています。あくまで、「明治天皇の歌」として残すべきです。この権威的で荘重な曲調は歌いづらく、現代日本には合いませんし、古きよき日本の伝統とも大きく異なります。
 中国とも朝鮮とも違う日本文化の特徴は、国学者・本居宣長がいう「もののあはれ」にあります。漢の国の「ますらおぶり」や朝鮮の「真っ直ぐで大らか」な文化に対する大和の魂とは、叙情的な「あはれ」を解するところにあります。優しく細やかな心を表す平易な歌が日本の国には適しているのです。
 私は、誰でも知っている歌―ふるさとへの想いを歌った「故郷」か、日本の国花―桜を歌った「桜」がよいと思います。歌いやすいですし、編曲も容易です。学校の入学式や卒業式などで、もし国歌斉唱が必要ならば、「君が代」の替わりに歌うとよいでしょう。まずは我孫子の小中学校から始めましょう。明治天皇賛歌の「君が代」を強制するという所業は、天皇家にとっても迷惑な話でしかないはずです。

 確認と結語です。
啓蒙時代を経て教育が全成員に普及した現代社会では、「市民精神に基づく民主制」以外の政体は認められないというのが人類史の到達した思想―結論です。個人的領域に限れば、どのような想念も許されますが、社会思想としては、人権を、具体的に言えば国連の「世界人権宣言」を無視することは認められないのです。個人の信仰や信念は最大限に保障されますが、市民社会の原理に反する思想を持つ自由はありません。とりわけ政治権力者が行う一方的な方向付け(現代の日本においては、自民党のタカ派や石原東京都知事の言動)は極めて危険であり、容認することはできません。明治政府―山県有朋が画策した「近代天皇制」の思想に基づく戦争と市民的自由抑圧の政策を是認する考えを現代の為政者がもつことは許されないのです。石原慎太郎のように自分の意向に沿った人間だけを「教育委員」に選定し、自国民絶対主義の教科書を用いて子どもたちの教育にあたることがどれほど恐ろしいことか!ヒトラーも正当な選挙で選ばれ、圧倒的な支持を受けて、ドイツ民族絶対主義による人権抑圧と戦争政策を進めたのです。日本でもドイツでも、「エリート主義」による方向付けがどのような結末を迎えたのか?よく思い起こすことが必要です。

 どこの国、地域で生きようとも、私たちは地球という生態系の中で人間として生きているのです。「人間としての普遍的なよさ」に関心をもつことのできる日本人として子どもたちを育てなければなりません。
 問答―対話による自由と責任の意識=市民精神の育成によって市民自治をつくりだしていくための実践教育が急務です。自治政治は、日本では500年前の戦国時代から全国各地で行われていたのです。戦国武将の統治は、惣村や自治都市や一向宗自治区など民衆の自治政治の上に成り立っていたにすぎません。人類的な普遍性をもっていたわが国の自治政治の伝統を現代に蘇らせるのは、何とも胸踊る作業ではありませんか。
 未来を担う子どもたちと一緒にこの古くて新しい課題に取り組みましょう。
 外的な価値のみを信奉する硬直した官僚組織に乗った国家主義者―国体思想をひきずるいやらしい体質の「おじさん政治家」―権威や権力を持って自己実現を図ろうとする最悪の人間には、早々と退場してもらいましょう。
 最も価値あるもの=至高のものとは、一人ひとりの内面世界です。外なる価値などには惑わされず、自分の良心を中心に生きること。ほんとうのこと・よいこと・美しいことを求め、柔らかでしなやかな強さをもつ不屈の魂を自己の中に育て、その種子を子どもたちの中にしっかりと植え、育てること。それが、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福をかちうることなのです。

武田康弘
2004.8.31

涵養(かんよう):

〔「涵」はひたす意〕水が自然にしみこむように、少しずつ養い育てること。


 

 
 
   
 
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