出典:2001年7月20日(金)毎日新聞朝刊(千葉版)
『幻の大辞典』見つかる
志賀直哉(しがなおや)、柳宗悦(やなぎむねよし)らが地元小学生に手渡す
大正時代、我孫子・手賀沼湖畔を白樺派の拠点に文筆活動を送った志賀直哉、柳宗悦らが「勉学向上」として地元小学生らに贈(おく)ったとの伝説を残し、「幻の大辞典」と呼ばれた漢和辞典が、同市内の旧家に保存されていた。我孫子の文化を守る会会員で白樺派研究家の村上智雅子さん(60)=我孫子市若松=の調査で19日までに分かった。【大矢武信】
保存されていたのは、同市柴崎の農業、湯下昌垣さん(63)方。1916(大正5)年、三省堂発刊の「漢和大辞典」(縦25.5センチ×横15.5センチ、1965ページ)で、重さは3.2`。「定価3円」とされ、当時では米3俵が買える価格。
表紙を開くと「贈與(ぞうよ) 文學士(ぶんがくし)・柳宗悦、同・志賀直哉」と署名されている。柳の直筆とみられるが、確証はないという。
湯下さんが父の垣雄さん(76年に73歳で死去)から聞いた話によると、17(大正6)年3月24日、我孫子尋常(じんじょう)高等小学校卒業式(児童57人)に志賀と柳が羽織(はお)り袴(はかま)姿で参列。6年間の成績優秀者として学年総代だった垣雄さんと渡辺多美子さん(渡辺藤正・元我孫子市長の姉)の2人が、志賀直哉から直接、記念品として手渡されたという。
垣雄さんは「志賀さんから手渡された時、あまりの重さでよろけてしまった」と話し、亡くなるまで大切に使っていたという。
村上さんによると、志賀直哉は15(大正4)年、宗悦の誘いで旧我孫子町弁天山に移住。ついて来た武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らと「文化村」をつくり白樺派運動を広めた。しかし旧帝国大、学習院出身の「文人」たちは創作活動が中心で、当時の農漁民など地元との交流は行わなかった。やがて志賀らは京都、九州などに散って行き「文化村」は自然消滅した、というのがこれまでの定説だった。
志賀らが数年間にわたって小学校の卒業式に列席し、成績優秀者らに大辞典を贈与(ぞうよ)していたとされる史実の確認は、白樺派研究の貴重な発見だとしている。
村上さんは「志賀(当時34歳)、柳(28歳)の2人が児童に辞典を贈(おく)っていたことは、地元との交流を大切にした証(あか)しで白樺派研究の大切な資料です」と話している。
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