17.志賀 直哉と武者小路 実篤/
  志賀直哉/
  『文学館』書体

 志賀直哉(しがなおや)と武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、この二人どんな人間だったんでしょうか?
普通のバイオグラフィを載せても大して意味はないでしょう。(どこかにのせますけどね。) ブレイクが指摘している通り、事実を積み重ねただけでは何の意味をつかむことにもなりません。
 ここはやはり、以前 タケセンが記したレジュメが一番彼らの人間像を表しているような気がします。


志賀 直哉と武者小路 実篤

 わがままでかんしゃく持ち、父親の言うことなど少しも聞かなかった志賀直哉。
  一番好きだった祖母にも、「年寄の言いなり放題(ほうだい)になるのが孝行(こうこう)なら、そんな孝行(こうこう)は真っ平(まっぴら)だ」と言い放つ。
  実業家である父の直温(なおはる)は「なんの因果(いんが)で貴様のような奴が生まれたのか」と言い、息子の死さへ願った。
  二歳年下の直哉の親友、武者小路実篤も、夢想主義者と酷評(こくひょう)され、危険思想の持ち主とさえ言われる始末(しまつ)。彼は海に向かって何度も叫んだ。
「おお波よ、海よ、空よ、ここに立つ一人の男を見よ。この男こそ唯(ただの)の男ではないぞ、よく覚えておけ。』 と。
  学習院で学業成績下位を争った二人(直哉は二度落第)は共に東大に入ったが、権威主義とつまらない講義を嫌ってほとんど授業にも出ず、中退。
※当時は、学習院から東大へは文科ならば無試験入学。

 異端(いたん)者と言われたこんな彼らが、親や世間の冷たい目に少しもひるまず 自分自身の真実 を掘り進めて、ついに独力で新しい時代を切り開いた。

 日本の人間開眼! 1910〜20年代(第一次世界大戦、ロシア革命前後)、ここ我孫子の地は『白樺』村とも呼ばれ、権威に頼(たの)まず旧来の道徳に抵抗した若き白樺派文芸闘士たちの一大拠点となった。
  彼らは大胆(だいたん)に自己を肯定し、互いにその強い個性を認め合って生きたのだ。

 さあ、彼らの息吹を吸おうではないか。

1999年3月
武田康弘
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志賀 直哉(1883-1971)

 山の手のお坊ちやん。学習院の異端(いたん)者。「私」の感性を拠点にした体制への反逆。

 天皇をバカラシイ存在とみなし、天皇制を批判。(50才半ばを過ぎ小説が書けなくなってからは、親和的になる。)
学習院を二度落第。夏目漱石を慕(した)って東大の英文科に進むが、東大の権威を嫌い中退。
「夏目さん」だけを慕い、授業には出ず、「友達耽溺(たんでき)」。

 運動神経抜群。スポーツ、特に機械体操が得意。
鋭利でかつ強く、率直。心身のすみずみまで行き届いた神経。

  「自己熱愛」- 自我への限りなき誠実と、徹底が、純粋(じゅんすい)意識としての「私」の世界を開く。
 『自分は文法は少しも知らないが、頭脳の構造には忠実に書く。』
筋肉質の力強い文体。
あくまで「私」の心身に直接響(ひび)く美を信じる。

 内側から惨(にじ)み出る自然な美を尊重し、過剰なもの・装飾的なものを嫌悪する。

 芸術至上主義を厳しく批判、生活の優位を主張。平和な家庭生活を目がける。

 迷信・俗信を嫌う。子供と動物を愛す。枇杷(びわ)の花(木)が好き。

 澄みきった透明で美しい目。深く 冴(さ)えて 優しく、極めて男性的一意志的な目。

 遺書により、記念碑の類を建てることを禁止。葬儀は無宗教で行われた。

1999年3月
武田康弘

 世間一般では、白樺派というのは、『お坊ちゃんたちの道楽』とか『生活の大変さを知らない理想主義者』程度に受け容れられてるようです。専門家もまたそのように指摘し、教科書もそのようなニュアンスで書いていますね。
 ですが、実際にはそうしたイメージとはほど遠い、『とんでもない連中』だったという感じがします。

 「年寄の言いなり放題になるのが孝行なら、そんな孝行は真っ平だ」

  これを聞くとギョッとする人もいるでしょうが、この放言はよく考えてみると、かなり本質的なところを突いています。
  私たちは、年配者や目上の人に対して敬意をはらう事を教え込まれてきましたが、 実のところ、その実態は敬意をはらうことではなく、服従することを教えられてきたのではないでしょうか。小学生くらいまでは年が上でも、『□○ちゃん!』と普通に呼んでいたのが、中学に入るころから急に変わります。『□○先輩!』に。タメ口をきいたら、『なんだ、一年のくせに。』といわれるのがオチでしょう。(私の息子も大分やられたことがあります。)当然、先輩や先生の批判など公の場では出来ません。

 あなたは上司と対等な議論ができますか?
 地位のある有名大学の先生(専門家)を公然と批判できますか?
 国会議員や高級官僚に対して対等に話が出来ますか?

 ちょっと前に、『俺だったらガツンと言ってやる!』と大見得切ったサラリーマンのオジサンが突然クリントン大統領(のそっくりさん)の前に出てオタオタするという缶コーヒーのCFがありましたよね。 酒の勢いで愚痴をこぼすのが精一杯かな。
 みな笑っていますが、多分殆(ほとん)どの人はそうなるんでしょうね。こうした私たちの心に根深く巣食う上位者への服従が、制度疲労の最大の原因じゃないでしょうか。それが一人一人の人間の豊かさを追求することを妨(さまた)げているのではないでしょうか?

 もし一人一人がそういう意識を捨て去ることが出来るならば、私たちの社会はもっと豊かなものになるでしょう。志賀直哉はそんなことを言ってるような気がします。
  既成の権威にある人々(専門家)にとって、こんな過激な人間を受け容れることが出来るはずもありません。『お坊ちゃんの道楽』程度のレッテルを貼ることが最も(彼等には)安全な方策だったのでしょう。そんな気がします。

 知れば知るほど、聞けば聞くほど、白樺派は正当な評価がされていないと感じるのは私だけですかね?

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『文学館』書体

 文字ばっかりになって寂しいですね。白樺文学館の正式書体が決まりましたので、お知らせしちゃいましょう。
 これまで使ってきた『白樺』の書体は雑誌『白樺』の表紙からとってきました。学芸員の 桜井さんがこれをもとに『白樺文学館』を作ってくれましたので、これをパソコンに取り込んでエイヤッと画像処理。それがこれです。

 今後これを使いますのでよろしく。文学館の看板もこれになります。(色はまだ未定です。)

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2000年9月16日 古林 治