神様にならないために
竹内 茉莉香 (高1)
人の内面を型にはめることは簡単です。
私が私の基準に基づいて思ったように図り、
「優しい人」だとか「冷たい人」だとか
そういう風に私の好きな型を選んで図鑑の中に
その人のページを作ればいいだけです。
自分にわかりやすいように人を型にはめると、
その人を理解したような気分になれて人と接するのがとても簡単になります。
人と接するのが簡単に、単純になればそれはそれで幸せじゃないか、
と思うこともあります。
誰かの感情を気にしたり、気を使ったり、しないで、
私の思いたいように人を見ていればいいのですから。
でも私にとってそれは幸せではないし、
それは他人を巻き込んで不幸な話だと私は思います。
なぜなら、人を型にはめてしまうと、
私は自分の世界の中でだけ神様のようになんでもわかっている存在になり、
その人も私も結局私の中で作り上げられた
バーチャルな世界の完璧な住人に留められ、
それ以上成長することは決してできなくなります。
そのバーチャル世界では私はなんでも知っている神様で、
他人は変わることのないAという存在、Bという存在でしかなくなります。
でも、それは、私にとってとても不幸せなことなのです。
私は私の中に作り上げたバーチャル世界の中の神様になって
成長できない人間になんてなりたくない、
だからこそ他の人と「対話」をするんだと、
そこに対話の意義があるのではないかと考えました。
私の中からわき上がってくる感情にさえ近いような言葉によって誰かと話し、
「異」に気づく事によって私の中にある「世界像」はどんどん変化し、
決して私はその世界で神様にならないで成長し続けられるのだと思います。
だから対話が必要なのです。
バーチャルな世界の王様、神様にならないために。
そして、対話は私の中からわき上がる言葉によって成されなければ意味がありません。
その人の感情や経験が伴わない机上のお話は、誰も成長させてはくれないでしょうから。