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《12/23金さん・武田さんを軸にした白樺討論会》について  12
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ふつうの言葉で討論を

中西 隼也 (青山学院大学経済学部4年)

中西

今回の討論会では、以前行なわれた金さんを迎えての討論会と同様に公共哲学の核の部分について話し合われました。公共哲学とは公共する哲学であるため動詞的な性質を持っていることや「異」であることを認め合うことで「和」が生まれるなどの本筋の話から、法文、論語、さらには漢字の語源の話まであり、僕は得るものが多くありました。

 しかし不覚にも私は、山脇さんや稲垣さんとの討論会そして最近の「白樺メーリング」の内容から、今回の討論会では公共哲学の三元論などの公共哲学の方法論についての対話がなされるのだと思っていたので、いつその議題になるのかを待ちながら聞くことになってしまいました。そのため、私は今回の会では確かに得るものはありましたが、物足りなさも感じました。金さんはこれから連続的に白樺教育館に足を運ばれるそうなので、そのときに三元論などをテーマにした議論をし、公共哲学をより豊かなものにしていけたらいいと思います。

 ただ今まで討論会に参加して来ていつも気になるのは、来館された大学教授の方々の話に外国語や専門用語が多く、また学者の方特有の言い回しがあり、何を主張したいのか?がよく分からなくなることです。これは討論会に参加する上で勉強不足だと言われればそれまでですが、対話をするときは自分の主張が他者になるべく正確に伝えられなければ自他共に「損」しかありません。白樺討論会に限らず、公共哲学を深め・広めていくためにはなるべく日常使われる平易な言葉で話されたほうがいいのではないでしょうか。また、対話をするときに一人が長く主張を述べていると、それを聞いている人は所々で疑問があっても話を最後まで聞こうとしているためにすぐには質問できません。その結果、もやもやしているうちに次の話題に移ってしまい、質問ができなくなってしまうことがあります。これは聞いている側も、話の途中でもうまく介入して、もっと対話するよさを引き出さなければいけないと思いますが、話される方も明瞭に短い時間で話す必要があるのではないでしょうか。

 これからの白樺討論会では発言する人は皆がわかるように話し、発言を聞く人は疑問があったらその場で質問をすることを心がけると、討論会自体がもっと面白いものになると思います。討論は「ふつう」の言葉でしなければ内容が深まらない、と感じました。

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