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金泰昌-武田康弘の恋知対話  5
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2007年5月23日 武田康弘
    学校序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能.
    ドレイがドレイを管理する社会

「私」が生かされない日本の現状を解明するための「問い」に感謝します。早速お応えします。

まず1について。
結果的には、両者は「相互強化的」であるわけですが、そのはじめの原因は、「反・哲学的な教育」にある、と私は確信しています。
また、日本の現状が「非・哲学的な環境である」というのはその通りですが、「日本人は元来哲学や思想が嫌いで物をつくることや実際経験したりすることを大事にする」というのは、ひどいウソとしか思えません。日本人の学者や文筆業者からこういう意見が出てくるのは、彼らが人々の「黙せるコギトー」の声を聴く耳を持たず、ただ活字化・映像化された情報に頼ってしか「現実」を見ることができないからでしょう。

次に2について。
「上位者の何に従うのか?」ですが、
まず、【下位者の「私」は上位者の「公」のために徹底的に抑圧・排除・犠牲になってきた】という現実を変えるための金さんの凄まじいまでの奮闘努力に深い敬意を表します。
お応えします。
日本における「上位者」とは、ほとんどの場合、「私」としての意見を持たない・言わない人です。そうでなければ上位者にはなれません。彼らは、自分の考えを鍛えるのではなく、上位者たるにふさわしい態度を身につけ、周囲にうまく合わせる言動に磨きをかけるのが生き方の基本形となっています。上位者となった人は、既成の価値意識とそれを支えるシステムの維持・管理を自己目的化し、通常それ以上のことはしません。
このように内実を追求せず、カタチのみを追うというのは、意味論や本質論としての学習・学問がなく、単なる事実学に支配される知のありようと符合していますが、そうだからこそ、出身学校名による単純な序列主義が成立します。ほとんどの日本人は、キツい言い方をすれば、東大を頂点する「学校序列宗教」の信者だと言えますが、この〈序列による意識の支配〉が「私」の発展を阻害してきました。哲学の命である自由対話が成立しないからです。

しかし、私は子どもが好きで教育を仕事としていますが、子どもの多くは、どうして?なぜ?と考えることが嫌いではありません。「事実学」を効率よく習得するために不都合となる【質問と対話】を嫌がる親や教師の意向に従わされ、変えられてしまうまでは。
結論を言えば、このようにカタチ・結果を優先し、序列に基づく統治が行われている社会では、「上位者」に従うのは、上位者の「何か」(内容)には関係なく、それが上位者であるからだ、という事になるわけです。序列主義の想念は、中学生がよく言う「先輩の命令には逆らえない」という言葉に象徴されています。
以上は、最後の問い―天皇制の問題と結びついています。

キムさんも強調されるように、狭い「私」=エゴを越え出るためには、徹底的に「私」につくことが条件となりますが、失敗と試行錯誤を嫌がり、決まった型に早く嵌(はめ)ようとする教育の下では、自我が内的には成長せず、「私」が「私」にはなれませんから、合意形成の作業がはじまらず、「公共」という意識も生じません。こういう社会では、上からの命令=「公」(既存システムの維持に必要な権力者の集合意志)だけがある、というわけです。
日本の「エリート」のほとんどは、受験知に囚われ、システムが命じる価値意識に従うだけで、失敗を重ねながら自我を成長させる生き方をしてこなかった人々ですから、かれら自身が、既成制度のドレイでしかなく、そういう意味では、日本とはドレイがドレイを管理する社会だ、とも言えます。中身・内容の進展ではなく、制度の維持それ自体を目的とするシステムの中では、具体的な現実問題に対しては誰も責任は取らない・取れないということになり、現場にいる人間だけが出口のない状況に追い込まれて苦しむのです。こういう無責任性の体系=集団同調主義による社会システムの最上位に天皇という存在を置くわけですが、それも個人としての人間ではなく、天皇制というシステム内人間=現人神です。したがって、現実に対する責任は取れません。グルグルと堂々巡りで、どこにも誰にも責任はなく、結局はなにごとも自然災害のようにしか意識できず、「しかたなかったんだ」ということになるわけです。

では、最後に、明治政府がつくった「近代天皇制」の定義についてです。
確かに「近代天皇制」=「国体思想」が「全体主義」であることは、私も間違いないと思いますが、「天皇教」とでも呼ぶべき「明治政府作成の擬似的な一神教」の「神」と規定した天皇を、同時に現実政治の主権者としたのですから、事は複雑で、「国家宗教に基づく全体主義」とでも呼んだらいいのではないかと思います。

この天皇による統治を支え、実務を行ったのが、東大法学部卒の官僚であったので、彼らは「天皇の官吏」と呼ばれていたわけです。周知の通り、この明治政府がつくった官僚制度は、戦後もその基本のありようを変えずに今に到っています。この「官」による「公」(権力者の集合意志)を「民」による「公共」(市民的な共通利益)に変えようとする金さんの努力には、ほんとうに頭が下がります。民主制社会における「官」は、ほんらい主権者である一人ひとりの市民の側に立って仕事をしなければならないはずですが、依然として既存のシステムを維持するための「公」という装置でしかなく、公共世界を拓くという発想にはなりません。

この現状を変えるには、「民から拓く公共」という発想の下に「官」を位置づけ直す以外にはないと思いますが、この点、金さんはどのようにお考えでしょうか?お聞かせ願えれば、と思います。

武田康弘

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