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41. 市民=シチズンとは

 『市民』という語は昔からありますが、最近富によく聞かれるようになりました。選挙が近づくと『市民派の○○』などと大きな声で訴える候補者も結構います。でも、この『市民』という言葉の意味をちゃんととらえている人は少ないのではないでしょうか。でも、無理もないんです。学校教育の中では教えられていませんし、わかれという方が無理な要求に違いありません。

 今日は、現代社会において、その根本的な考え方である『市民』の意味についてタケセンに触れてもらいます。
 きっかけは、タケセンが某国会議員と話をしたことでした。その対話の中で、『どうも市民の意味をちゃんと理解していないようだ。』という印象を受け、その意味についてかなり時間をかけて説明をしたのでした。そのときの要旨を簡潔に記したものをご紹介します。

 読んでいただければわかると思いますが、なぜ『市民』という言葉の意味を教えないのか、その理由がぼんやりと見えてくる気がしますね。


市民=シチズンとは

 市民とは、自分が一人の個人であると同時に公民=社会人であることを自覚した人のことです。
ここで注意しなくてはいけないのは、「公民=社会人」と、「国民」とは違う概念だということです。パブリック=公(おおやけ)の、ということと、国籍や民族とは何の関係もありません。
市民=公民=社会人とは、自分は社会の中での受動的な一人の人間だ、というのではなく、自分はこの社会をつくっている一人の人間だ、という自覚をもっている人のことです。
繰り返します。市民とは、「国民」ではなく「公民」のことです。

(おおやけ)とは、自分が生きている「場」のことは自分たちで考え、決定していくという「自由と責任」によってつくられるものです。
その地域で、その国で生活している様々に異なる人々(ピープルであって、「国民」ではありません)がよりよく生きていくためにはどのように考え、行為したらよいか?を考えることが、公(おおやけ)であり、パブリシティーとは、市民的な共同意識―市民的な共同体のことです。(官―役所が「公」なのではありません。官とは「市民」生活を下支えするサービス機関です。)

「国民」ではなく「市民」という概念は、民主制を支えるものであり、21世紀にふさわしい言葉=考え方です。

市民=公民になるためには、教育が必要です。個人が個人であると同時に公的意識をもった共同体の成員となるための基本は、家族という社会の最小単位のなかで自分の役割を考え、果たすところから始まります。

 21世紀における教育の柱は、国の人―国民の育成ではなく、精神的に自立した「市民=公民=本物の社会人」を育てることです。
 もちろん、日本の教育では、「古事記」を中心とした日本の神話や様々な伝統の文化を学ぶことは大切なことです。しかし、それを明治政府が拵(こしら)えた国家神道(=天皇教)の世界に呪縛されたまま知る、というのでは、あまりにお粗末です。また、歴史や伝統を学ぶことは、それに縛られるためではありません。伝統から新たな世界を発見し、伝統を現代に生かすという視点がなければ学ぶ意味がなくなります。そもそも歴史というものは、私たちがどのように生きたいか?という「夢―未来への思い」から絶えず再解釈されるものなのですから。

 あまりに当然のことですが、ふつうの多くの人々は、日本という国家のために生きているわけではありませんし、「よき日本人」になることが人生の目的でもありません。
 より普遍性のある考え方は?と問い、より充実した人生を送るには?と問うのです。よき人間として生きたい、よき人間を育てたいと思うのです。
 私たちの大多数は、日本語を使い、日本語で考え、日本の風土と文化の中で生きています。どう転んでも日本人である人間に、ことさらに「日本」や「愛国」を強調する教育をしようとするのは、ひどく不自然で、気持ちの悪い話です。背後には、国家主義や天皇―皇室崇拝のアナクロニズムのイデオロギーがあるのでしょう。真に一人の人間としての「精神的自立」に失敗した人は、必ず外部に「超越」的な価値をつくるものです。彼らは成熟した市民社会(そこでは一人ひとりの人間性が問われるのであり、国籍や民族や宗教が問題とされるのではありません)を築き上げていくための最大の障害です。
 
 ちゃんと考えることで、まともな思想を育てましょう。馬鹿げた「日本主義」では、日本人が世界の人々に敬愛される日は永遠にやってきません。自分たちだけにしか通用しない変な「常識」ではなく、「なるほど」と納得できる普遍性のある常識=良識を育てることがこれからの課題です。
必要なのは、国民を育てる「国民教育」ではなく、市民=公民を育てる「市民教育」です。市民=シチズンがつくるのは、「国民国家」ではなく、「市民国家」なのです。

 「市民が主役」(民主党の理念?)とは、そういう意味です。

2003.10.1  武田 康弘
 

2003年10月20日 古林 治

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