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34.「白樺教育館・本校舎」建築

 しばらく間が開いてしまいました。今日は長いご報告になります。

 さて、いよいよ白樺教育館・本校舎が今年中に完成します。旧ソクラテス教室の建て直しなのですが、後述する通り、ここは因縁の地ともいえる場所。ここで白樺教育館の活動がさらに活発になることは間違いありません。請う、ご期待です。


  完成予想図

 昔は二階がソクラテス教室でしたが、今度は一階です。子どもたちの元気な姿が直接見れることでしょう。

 

コンセプト設計とディテールおよび設備、庭・駐車スペースの デザイン設計= 武田 康弘
営業設計=椿谷法子(大成建設)。
実施設計=佐藤美帆(大成建設)。
施工=大成建設。

「白樺教育館」の建築理念  

特別ではなく普通、特殊ではなく当たり前。
建造物としてゆるぎなく強く安定している。
シンプルで美しく、使いやすく気持ちよい。
さりげなく濃(こま)やか、細部は創意工夫の連続。
虚飾を排し、気の流れがよく、親密な空間。
オーソドックスで新しく、黙って永遠存続。

                        武田康弘

  まずは引越し。 (2003年6月5日)左から阿部さん、タケセン、それに[とわの会]の面々(佐々木、長谷川、野老、青木さん、左から4人目は百代さん/武田夫人)。
撮影:阿部(弟)さん
 

工事

ソクラテス教室の解体後、基礎工事のために掘ってみると、何とそこには教室以前にあった建物のゴミがそのまま埋まっていました。
『何だ、こりゃあ!』
その建物っていうのが、昔の我孫子町役場だというのですから驚きです。この話を聞いて福嶋市長が、
『エーッ!』
 若かりし頃、市議時代から市長時代の初期まで、福嶋市長もこのソクラテス教室の下で活動していたのでした。

 6月24日(火)、地鎮祭。

地鎮祭
  近しい関係者(実際に教育館建設にかかわる方)だけの内輪の儀式.神主さんも無しのシンプルなものですが、開館時には大勢の人が来られるでしょう。
 文学館開館のときと同様に、しばらく完成までの経緯を逐次報告するつもりです。

地鎮祭

 地鎮祭に集まった方全員です。あとはカメラ構えてる私だけ。
地鎮祭
デザイナー
  左から、実施設計の佐藤美帆(大成建設)さんと営業設計の椿谷法子(大成建設)さん。
武田節
  どこでも変わらず、武田節です。
工事
 そして、その後。
まずは基礎工事から。
工事
 基礎の基礎です。
というわけで建築経過の続きはまたいずれ・・・・・

 最初に触れましたが、[因縁の地]についてタケセンからちょっと触れてもらいましょう。

我孫子市寿1丁目20-1・
白樺教育館・建設地 

 わたしのよき理解者であり、また我孫子において 柳宗悦(やなぎむねよし)兼子(かねこ)夫妻と最もゆかりの深かった飯泉泱(いいずみひろし・今年-2003年1月15日死去、3月で93歳))さんより譲り受けた寿1丁目20-1の我孫子町役場跡の土地は、私が私塾―我孫子児童教室・ソクラテス教室―を発展させた場所であり、「児童教育研究会」をつくり、市民運動による全国初の中学生男子の丸刈り強制の撤廃と、体罰の禁止を実現させた場所であり、「哲学研究会」を開き、新しい社会と実存の思想を生み出した場所であり、「オンブズマンと情報公開を考える会」を立ち上げ、千葉県初の決済前の文書と議会情報も含む情報公開条例制定のための活動の拠点となった場所であり、同志の市議会議員―福嶋浩彦が共に「合同オフィス」をつくり、 市長になった場所であり、、白樺文学館創設のための学習会・話し合いと、第一回「建築会議」の場所である。
そして何より数百人の子どもたちが通い続けた場所である。

この土地こそ白樺スピリットを生かす教育の場―「白樺教育館」建設に最もふさわしい意義ある場所である。

2003,5,5 武田 康弘


 この文に出てくる飯泉さんについては、次回触れることにします。これまで、白樺派の面々は我孫子の在の人とかかわりを持たなかったといわれてきましたが、事実は必ずしもそうではありませんでした。この飯泉さんという方が柳宗悦らと親交を持っていたのです。

 最後にタケセンからのメッセージを添えておきましょう。

 白樺教育館は、
今までのニーズには応えません。
新しいニーズに応えるのです。
白樺教育館の登場で、古いニーズは消え去ります。

 わたしは、狭く・固く・厭(いや)らしいエゴイズムに基づくニーズには応えません。そういうニーズが生じる心なき「精神」―知、歴、財の所有による偉がりーネクロフィリア(マニュアル・パターン、固定し死んだものしか愛せない精神)の源を断つために努力し続けます。
 その本音において、権力や財力に寄り添おうとする「育ちのいかがわしい」人間を、わたしは嫌悪します。
 よいこと・美しいことへの憧れをもつ子どもと大人が集うところ、
それが白樺教育館です。
 目先の即物的な価値しか知らない「現実主義者」は、結局「現実」に飲み込まれ、「現実」にもてあそばれるだけの哀れな存在でしかありません。
 内的世界を充実させ、喜びと輝きと発展をつくりだそうとする人々が集まるところ、それが白樺教育館です。
 いよいよ私たちの時代が始まります。
新しいニーズ、意味論としての知ー人間性豊かな本物の知の登場です。
マニュアルにしかすぎない今までのニーズは消え去るのです。

2003,7,10 武田 康弘

2003年7月22日 古林 治

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