タケセンの「思索の日記」 2021-10-04より
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わたしは、小学5年生から20歳まで長く胃を患ったとき、それが治るものかどうかを考えたことはなく、その時々で、よいと思われることをやってみる生活仕方でした。結果を期待したりはせず、希望をもったわけでもなく、ただ色々と試みてみて、少しはマシになるように生活しました。ずっと虎ノ門病院通いで、はじめは小児科、中学生からは胃腸科に通いましたが、十二指腸潰瘍は治りませんでした。定期的にレントゲン、そして胃カメラの検査でした。
20歳の時に、家の近くの「鴎外図書館」(今はない)で偶然に出会った『導引術』という本を読み、そこで紹介されていた呼吸法と胃潰瘍・十二指腸潰瘍を改善する簡単な体操を始めたところ、1週間で効果が実感でき、日々のなんとも言いようのない苦しく気もちの悪くなる症状が軽くなり、1か月も経たないうちに驚くほど改善し、その後の虎ノ門病院での定期検査(レントゲン)で、「傷がすべてふさがり、治っています」と言われ、驚きと喜びでいっぱいになりました。
そういう体験があるせいかどうか、わたしは、期待をもたず、希望さえ抱かず、今、いいな、やってみたいな、やりたいな、と思うことをして、言いたい、言わなばならない、と思うことを言ってきました。
どうなるかは、誰も推し量ることはできない。専門の大病院に長年通っても治らなかった病気は、図書館で出会った一冊の本に書かれていた内容を理解し、実践することで解決しましたので、専門家に従えば解決するものではなく、自分の心身全体での納得と直感を磨くことが大切だ、と知りました。
そうですから、何事でも期待したり、希望を抱くこともせずに、その時々を、精一杯「よく」生きること、考え、実践することが何よりも重要だと思います。
20代の時、サルトルの「何の希望も持たずに投企する」(「存在と無」)という言葉を見て、わたしは、その通りと思いました。わたしの経験そのものでしたから。
わたしは、高校生の時に全学議長(クラス委員全員一致で推挙)として校則や授業の方法などの改革を話し合いで成就させてから、50年以上にわたりいろいろな分野で数々のことを成してきましたが、いつも期待せずに希望さえもたず、投企を続けて今日まできました。投企とは、それ自身が最高のエロースで、ドキドキする悦びですから、結果を考えて迷うことはないのです。よく考え、こうだ、と思えることを「やってみる」「言ってみる」ーーそれ自体が人間として生きることの充実で、かつ楽しみで、気分が高揚し、心身の健康にプラスします。それが意味充実の生をつくるのです。
臆病に躾けられている、忖度するように躾けられている方は、自分を解放するよろこびの生をはじめてみませんか。言動に結果の保障はいらないのです。そんなものはあり得ないのですから。希望さえもたずに投企するのは、当たり前です。人間の生はそういうものです。
自由を核とし、理性がそれを守り、愛情がすべてを包むという恋知の三色同心円の精神を共に生きようではありませんか。実存の悦びです。
武田康弘 (写真は、2枚とも2021年9月・69歳)