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  • 207C. トルコ・ギリシャ、エーゲ海文明の旅 3/3

  • 207. トルコ・ギリシャ、エーゲ海文明の旅 3/3  ↑top

     

    今回の旅行で訪れた主要な都市と遺跡.
    目 次
    1. イスタンブール

    2. バンドルマからトロイ遺跡まで

    3. トロヤ遺跡

    4. アソス遺跡

    5. ベルガモン遺跡

    6. イズミール

    7. イズミールからエフェソス

    8. プリエネ遺跡

    9. 自然哲学発祥の地ミレトス

    10. ディディム

    11. 一時内陸へ ラオディケア、パムッカレ、アフロディシアス

    12. トルコからギリシャ サモス島へ

    13. デロス島

    14. クレタ島

    15. ギリシャ本土へ、スパルタ遺跡

    16. メッセネ遺跡

    17. オリンピア

    18. デルフォイ

    19. コリントス

    20. マラトンからアテネへ

    21. アテネ

    22. アクロポリス

    23. アゴラ

    24. アテネ考古学博物館

    25. アカデメイア

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    18.デルフォイ

    染谷 裕太 7月2日
    古代ギリシャでナンバーワンの神託地デルフォイ。 かつてデルフォイは世界の中心だと考えられ、ギリシャ外からも人が来るほどその神託は名高く、タレスの言葉とも言われる(正確に誰のものかは分からない)「汝自身を知れ」という言葉もここに刻まれていた。 デルフォイの神託にまつわる話は沢山あれど、タケセンのもとで哲学を学んできたので、デルフォイの神託と言えば、なんといってもソクラテス。 ソクラテスは、このデルフォイの「ソクラテスよりも知恵のあるものはいない」という神託をきっかけに、アテナイで知者と言われる人物を訪ねては問答をしてまわるのだけど、明らかになっていくのは、皆から頭がいいと思われ、また自身でもそう思っている人間ほど、実は何も分かっておらず、むしろそうではないつまらない身分の人間(奴隷など)の方が遥かに思慮深いということだった。 親切心に溢れる(笑)ソクラテスは、彼らに、いかに自分が何も分かっていないのかを自覚してもらおうと更に問答を続けていくが、意味や本質など問われたくない大人からは恨まれ、逆に本当のことを知りたい青少年には大ウケ。結果、ギリシャの神々を信じず青少年を堕落させる、という罪で裁判にかけられ、死刑になる。 というソクラテス晩年の人生の転機とも言えたデルフォイの神託。ずっと同じことを考えているようで常に新しく、本質を探究することにかけては執拗を超えて執拗。ソクラテスと問答をすれば神でも、というより神こそ逃げ出しそう(笑) ちなみにデルフィ市と日本の南砺(なんと)市はなんと、自然環境が似ているということから姉妹都市らしいです。戻ったら行ってみたい。本当に似ているのかを確かめに。


    デルフォイの町外れからの眺め。奥はコリント湾。谷はオリーブの森になっている。

    デルフォイの神域。アテナイ人の宝物庫。マラトンの戦いの勝利を記念して建てられた。

    アポロン神殿。

    劇場とアポロン神殿。

    劇場から10分弱上ったところにある競技場。

    トロス(前4世紀)。

    デルフォイの神域の模型(デルフォイ美術館)。

    パンクラティオン(レスリングとボクシングを複合させたような競技)で何度もチャンピオンになった選手の像。ギリシャ神話の戦争の神アレスをイメージしてつくっているように思える(前4世紀)。

    御者(前475‐470)。デルフォイでも戦車(馬車)競走が行われていた。

     

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    19.コリントス

     コリントスは、ギリシャ本土とペロポネソス半島とを繋ぐ交通、交易の要衝にあったため経済的に豊かで、アテネやスパルタと並んで有力なポリスでした。遺跡からも豊かで有力なポリスだったことがうかがえますが、それでもこの後に見たアテネの規模と中身の豊かさには遠く及ばず、アテネがいかに頭抜けていたのかを感じました。


    アポロン神殿(前540年)。ギリシャ神殿の柱は、一般には円筒の石を積み木のように積み上げますが、この柱は一つの石から掘り出されたもの。

    アポロン神殿(前540年)。ギリシャ神殿の柱は、一般には円筒の石を積み木のように積み上げますが、この柱は一つの石から掘り出されたもの。

     

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    20.マラトンからアテネへ

     コリントスの後は、ペロポネソス半島を縦断して船でピレウス港へ行く計画でしたが、少し予定を変更し、陸路でまずマラトンへ向かい、マラトンの南にあるラフィーナ港からフェリーでもう一度離島(ティノス島→シロス島→セリフォス島)へ行き、ピレウス港へと向かいました。変更した理由は、最後にもう一度離島の美しいエーゲ海で泳ぎたかったからです(笑)


    マラトン周辺。近くに街はなく、農地になっています。

    「マラトンの戦い」の戦勝記念トロフィーのレプリカ。

    ティノス島のポセイドン神殿(BC4)。

    最後に見たかったこの離島の美しい海。

     

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    21.アテネ

     イスタンブールから4ヶ月ついにピレウス港到着。アテネとピレウスは違う街ですが、アテネの海の玄関として、ほぼセットのようなもの。長い旅路ももう終わりが近いですが、感慨にふける間もなくアテネへと向かいました。見る所が山ほどあるアテネで、帰国まで猶予は7日。怒涛の1週間が始まります(笑)

     


    ピレウスからのエーゲ海。離島と比べると綺麗ではありませんが、一応泳げます。

    ピレウスから自転車で1時間ほど走った所で、パルテノン神殿が見えてくる。現代の街の喧騒や時代の違いなど遥かに超えて、悠然と佇んでいた。

     

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    22.アクロポリス

     説明不要のアクロポリス。古代アテネを象徴する建築。 あくまで神殿なので宗教施設ということになりますが、一民族の宗教という範囲を超えて、デモクラシーの理念を顕現させんとした建物のように感じました。

     


    アレオパゴスの丘からの見るアクロポリス。

    アクロポリスへと上るスロープから市街を見渡す。

    パルテノン神殿(前438)。東側。

    西側。現在修復工事中。かなり以前は神殿内部にも入れたようですが、現在は柵に囲われており、眺めるだけ。

    ちなみにこちらはパルテノン神殿を模して造った、イギリス大英博物館の正門。
     

    その大英博物館に展示されるパルテノン神殿のフリーズ。フリーズはギリシャがオスマントルコに支配されていた時代に持ち去られた。この彫刻の前で、ギリシャ人の親子が「ギリシャに返せ!」という看板を持って記念撮影をしていました。

    ギリシャで最古の劇場、ディオニソス劇場。劇場の奥にある黒い屋根の大きい建物は新アクロポリス博物館。

    新アクロポリス博物館。地下の遺跡がそのまま展示されている。中は撮影禁止の場所が多かったため、あまり撮れませんでしたが、西ヨーロッパ諸国に盗られた品々を取り戻して展示するためのつくりになっているので、現在はスカスカの状態でちょっと拍子抜け。アテネで展示が一番充実しているのはアテネ考古学博物館になります。

    ヘロディス・アッティコス音楽堂。こちらはディオニソス劇場よりもずっと新しく、ローマ時代(紀元後161年)につくられた劇場。現在も野外コンサートなどで使われるため、客席は完全に新しい大理石でつくり直されている。

    リカヴィトスの丘から見るアクロポリス。その向こうはピレウス

     

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    23.アゴラ


    手前の緑に囲われた場所がアゴラ跡(市場、広場)跡。様々な公共施設があり、民会や民衆裁判などもここで行われた)。市民交流の場であり、公共空間だった。

    ヘファイストス神殿(前416)。

    奥の長い屋根の建物がアゴラ博物館。古代のストア跡にストアを真似てつくられています。

    アゴラ博物館。強い陽射しが遮られ、風も抜けて心地よいので、ついゴロンと寝転がりたくなりますが、寝転がっていると係員に注意されます(笑)

    ゼウス柱廊跡。まさにこの場所でソクラテスが問答をしていた。

    ゼウス柱廊跡の説明書き

    ヘファイストス神殿が建つ小さい丘からの眺め。眼下にアゴラ。向こうにアクロポリス。

    こちらはアゴラから歩いて10分ほどの場所に残る牢獄。死刑判決を受けたソクラテスはここに幽閉されていた。

     

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    24.アテネ考古学博物館

     古代ギリシャの展示物を見るのであれば、最も見応えのある博物館の一つだと思います。もしヨーロッパ諸国に盗られた品がここに加わったらと想像すると、凄すぎて恐ろしい。頂点を極めたような彫刻が群れをなす博物館になります(笑)

     

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    25.アカデメイア

     プラトンが築いた学園アカデメイア(紀元前387‐紀元後529)は、529年に東ローマ(ビザンツ)帝国皇帝によって閉鎖され、900年の歴史に幕を下ろしました。現在は土台しか残っておらず、見るものがあまりないことと、観光客で賑わう中心地から離れた住宅街の中の公園の一角(鉄道駅からも少し遠い)にあるため、訪れる人は殆どいません。


    公園入口。

    僅かに土台が残るだけ。シーズン真っ盛りにも関わらず観光客はほぼいない。

    こちらはアテネ市街中心にあるアテネ大学。
    右はソクラテス。左はプラトンの像。
    柱の上に立つのはアテナ(左)とアポロン(右)。

    正門の置かれるのは「学問の祖」アリストテレスではなく、ソクラテスとプラトン。体系を整えたのはアリストテレスかもしれないが、知的な営みそのものを恋愛と結びつけたソクラテス(プラトン)こそ原点で、シンボルとして相応しい。

    アテネの大通りにあるペリクレス像。アテネ民主政の立役者。直接民主政社会の何たるかを語ったペリクレスの演説は凄まじい内容で必読。

    プラトンの弟子アリストテレスのリュケイオン(前335‐後529)。リュケイオンは、アカデメイアと異なり観光地からも歩きで行ける距離にあるので、決して多くはないものの観光客は来ていました。殆ど土台しか残っていないのはアカデメイアと同様。

    アテネに着いたら「クルレンツィスの生家を訪ねて」とタケセンに言われていましたが、手がかりがない上に一週間の滞在では行きたい場所に行くので手一杯で、全く無理!でした(笑) 一応ウィキペディアで調べて、クルレンツィスが学んだ(学んだのはアカデミックな音楽のツマらなさかもしれませんが)という国立音楽院には行きましたが、夏休み?なのか閉まっていました。

    アテネへは毎日メトロとバスで通っていました。市内の公共交通は安く、バスとメトロが5日間乗り放題のチケットが10ユーロほどだったので、帰国後JRの運賃の高さに驚いた(笑)

    アテネの陽気なおじさん。このノリと顔だちは西欧(特に北側)とは全然違う。

    帰国前日に、もう一度パルテノン神殿に入ろうと思っていたのですが、ちょうど日曜日で凄まじいチケット行列(左の行列が更にずっと後ろまで続いていた)が出来ていて諦めました。さすがハイシーズンのパルテノン神殿。

    入れなかったのが若干心残りだったので、アテネを発つ日の早朝、最後にパルテノン神殿を眺めてから空港へ。これで見納め。

     

     こうして1週間のアテネ滞在を終えて、7月23日イスタンブール経由で日本へ帰国。約4ヶ月半のエーゲ海文明の旅でした。 今まで殆ど活字と写真でしか触れてこなかった古代ギリシャですが、時代は違えど、実際にエーゲ海の地を旅してみて、今まで触れてきたのは結晶化した部分だったのだなと感じました。

     しかし今回、それらを生み出してきた土壌を生で見て、海も山も空気も直に感じて、古代ギリシャ人達が生み出したエーゲ海文明は自分がイメージするよりも、もっとずっと凄い文明で、もっと喜ばしいものだったのだなと思いました。

      一応、一般的にはかなり長い(笑)4ヶ月半という時間をかけてエーゲ海沿岸部を旅しましたが、それでも行けなかった場所は沢山あり、またお世話になった方達も沢山いますので、その辺はまた訪れる機会があれば(あったらの話ですが笑)、行けたらなと思います。

      
    今回訪れた主要な遺跡と街。

     

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    染谷 裕太 2019年9月7日


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