教育館同人の染谷裕太さんの自転車世界一周の旅の最後の締めはトルコ・ギリシャでした。
白樺教育館のソクラテス教室でソクラテス=プラトンをみっちり学んだ染谷さんにとっては、旅の最後をトルコ・ギリシャとしたのは必然的でもあり最大の楽しみでもあったでしょう。
ソクラテス=プラトンのいた時代の背景を頭に叩き込み、彼らの構想した世界像を描きながらの旅日記は、古代の実存思想と民主政を育んだかつてのギリシャ世界の片鱗を垣間見せてくれます。
その上、徒歩と自転車ですから地元の人たちとの直接的な触れ合いが嫌でも生じます。彼らの暖かいもてなしが旅の生々しさをさらに増幅させます。これぞ旅のだいご味。
圧倒的な実在感と目を疑うような色彩を放つ多くの写真とともに染谷さんの旅日記をお楽しみください。
撮影はもちろん染谷さんによります。写真はすべてSONY RX1-R.(35㎜フルサイズ ZEISSゾナーT*レンズ)
なお、 写真はクリックすると大きな画像で見ることができます。
2012年6月に自転車世界旅行を始めてからこれまで、南北アメリカ大陸、西ヨーロッパ、北アフリカ、東アフリカと旅をしてきましたが、最後の総まとめの旅として、2018年3月から7月までの約4ヶ月半、トルコとギリシャのエーゲ海沿岸部を旅してきましたので、その様子をレポートします。
これまでの旅では大陸縦断を一応の括りとして走っていましたが、今回は「古代エーゲ海文明の旅」と題して、トルコのイスタンブールから、エーゲ海周辺の古代ギリシャ遺跡を巡りながら、ギリシャのアテネを目指すことにしました。テーマを「古代ギリシャ」に絞ったのは、中学1年生の時からずっと武田先生のもとでフィロソフィー(恋知)を学んできたからでした。僕にとって、フィロソフィー発祥の地であるギリシャは、いつものように通りすがりのついで(笑)で寄っていくような地域lightbox1ではなかったわけです。
また今回は、自転車をやめて徒歩旅行に挑戦しましたが、旅を半分ほど進めたあたり(ギリシャのクレタ島)で、自転車を現地購入し、後半はいつも通り自転車旅になりました。旅行記は帰国後改めて書いた部分もありますが、日付の入った部分はフェイスブックにリアルタイムで投稿したものを元にしており、コメントのやりとりも載せています。
目 次↑ 目 次
ヨーロッパとアジアの境にあり、多様な人種、文化が往来し、古代から中世、近代に至るまで首都として栄え続けたイスタンブール。空路の移動が主になった現代でもなお交通の要衝として、空港でも街でも世界中の人が行き交っています。そんな、なんともロマン感じる街ですが、今回は、準備と観光を兼ねて一週間ほど滞在しました。
染谷 裕太 3月18日
イスタンブールに着いて5日。見たい場所が沢山あるので、毎日歩き回る日々ですが、この街には古代ギリシャ・ローマから、ビザンツ帝国、オスマン帝国時代の遺産が山のようにある。
ビザンツ帝国(東ローマ)時代の美術は主にモザイク画ですが、古代ギリシャ(とそれを引き継いだ古代ローマ)の美術はなんといっても彫刻。豊かな身体表現のある立体の彫刻から、キリスト教化した東ローマの、判を押したような二次元、平面のモザイク画。この違いは、もはや中身としての古代世界は跡形もないにもかかわらず、形式だけは、建前だけは最後まで「古代ローマ」を自認したビザンツ帝国という国を象徴しているように感じた。理念や理性ではなく、ただ信仰の世界への転回。
古代ギリシャのポリスであり、古代ローマ(末期)でも、東ローマ(ビザンツ)帝国でも、そしてオスマン帝国でも首都であったイスタンブール。歴史の中核の担ってきた文明が積み重なってできたイスタンブールには独特の空気があった、歴史が凄い厚みだ。
Osamu Furubayashi
ギリシャ以前の層も沢山あるからここの歴史の厚みは半端ないですわな。開いた口が開いたまま(=^・・^=)
行きたかったなあ。
武田 康弘
裕太君の解釈が見事で、聴き惚れた。実に意義深い旅の始まりだな。
「形式だけは、建前だけは最後まで「古代ローマ」を自認したビザンツ帝国という国を象徴している」
【理念や理性ではなく、ただ信仰の世界への転回】---まさしくそれが顕現している!
イスタンブールに滞在した後は、フェリーでマルマラ海を横断してバンドルマへ向かいました。ここからいよいよメインの歩き旅が始まりで、まず目指したのはギリシャ神話のトロヤ戦争で知られるトロヤ遺跡。距離は200㎞弱。
トロヤまでの一週間は思っていた以上の寒さに加え、悪天候も続き、さらに初めての歩き旅と、条件的にはキツいといえる状況でした。しかし、それにも関わらず、さほど苦労することもなく、かなり適当に(笑)旅ができたのは、間違いなくトルコの人々のお陰でした。旅人の間では「世界一親切」と言われることもあるトルコ人ですが、彼らの異邦人に対する屈託のない優しさや親切さに触れると、日本が得意げに言う「おもてなし」など、表面的なサービスの話、ただの商売の話だと思わされます。
バンドルマから1週間でトロイ観光の拠点となるチャナッカレに到着。遺跡までは約20㎞と少し距離があるので、今回は一番の最寄りの「テフフィキエ村」に宿をとって遺跡を見る事にしました。
シュリーマンによって発掘されたトロヤ遺跡ですが、残っている遺跡は小さな城塞都市といった様相で、特に凄いものとは思いませんでしたが(トロヤ戦争の時代にある層の遺跡はシュリーマンの発掘によって多くが消失してしまったらしい)、しかし、それにも関わらず、大型の観光バスが何台もとまり、トルコ国内、ヨーロッパ、アジアなど、様々な国から人が遺跡を見に来ていました。入り口付近には再現されたトロイの木馬が置かれ、遺跡の外には、新たに博物館も建設されていました。トロヤ戦争自体は神話として描かれている物語ですが、ここがその舞台だとされていなければ、これほど人は来ないだろうと思うと同時に、ホメロスの、あのギリシャ神話で彩られ物語がいかに魅力的で、いかに人々を惹き付けているのかが思い知らされる場所でした。
トロイ遺跡の次は「アソス」という遺跡へ向かいました。アソスはトロイのほぼ真南に位置する遺跡で、日本語のガイドブックには載っておらず、現地でトルコの人達に教えてもらった場所ですが、行ってビックリ。想像を遥かに超える風景が広がっていました。 古代よりも海岸線が後退してしまっている現在、遺跡からはもうエーゲ海が見渡せない、という場所は沢山ありますが、アソスで見たエーゲ海の眺めは、古代から変わらないのではないかと思えるものでした。古代ギリシャ人達の営みがこの美しいエーゲ海と共にあったという、当然とも言える事実を、全く理解していなかったのだなと感じさせる風景で、衝撃と同時に新鮮でもありました。ある意味、この旅で一番の発見だった遺跡です。
染谷 裕太 4月3日
トルコ人にお勧めされてきたアソス遺跡ですが、本当にここは良かった!古代ギリシャ人の営みは、この自然と共にあったのかと納得すると同時に新鮮だった。活字や写真でギリシャ文化に触れるだけでは絶対に分からない世界だった。現代とは世界が全く違う。海外色々なところ行ったけど、初めて住むことを想像した場所だった。
武田 康弘
ふへ~~。建造はいつ?
これでは、閉じた仲間内の神(一神教)など生まれようがない。開かれた恋知(フィロソフィー)は必然なのだな。
拙宅向かいの故・村川堅太郎(ギリシャ史家・アテネの歴史を中心とした世界史のリーダーで東大教授)がエーゲ海狂いになったのは必然だな。
染谷 裕太
神殿が前540年で、劇場は前4世紀で、その他の建築はそれ以降になります。
武田 康弘
神殿が紀元前540年!!!!
ペリクレスによるパルテノン神殿が紀元前430年くらいなので、その100年以上前に同じ形=思想の(低く水平な形は民主的な治世を現わす)神殿があったのだね!!なんと素晴らしいこと。
染谷 裕太
やはり今のトルコ側からギリシャ側へということなんでしょうかね。トルコ側はペルシャや他の先進文明国がより近いので、それは良くも悪くも大きな影響があったんだろうな~と感じます。
武田 康弘
うん、当時最大の国ペルシャにやられてしまったのだからね。
その後で、アテネ中心の都市国家連合(デロス同盟)がペルシャを破ったのだものね。
このエーゲ海は、民主政に味方するような海だよな~~、独裁や強圧は似合わない!(笑)ああ、そうか、デロス島に行かなくては。
「その歴史は古く、紀元前13世紀には周りに城壁が張り巡らした街ができ上がり、紀元前547~479年ごろまではペルシャが、その後はギリシャやローマの支配の時代を経て、14世紀にトルコ領となりました。」
という記載がネットにありましたが、アリストテレスの学校があったとも書かれてもいるーーこれは意味不明でどういうことだろか。アカデメイアの分校?調べてみるよ。
染谷 裕太
書き忘れてましたが、そう、アリストテレスが一時住んでいたようなんです。学校はつくった?のかな? このアソスでPythias(ピュティアス)という人と結婚しているみたいです。
*アリストテレスは、紀元前347年に友人のHermiasに招かれ(アリストテレスだけでなく、アカデメイアから数人のプラトンの弟子が招かれた)、このアソスの地で2年間ほどプラトンの理想国家つくりに協力していたとのこと。
Osamu Furubayashi
ふぇ~~~~~!
想像をはるかに超えてて声が出ない( ^^) _旦~~
実はアドリア海(旧ユーゴ)では泳いだりしたんですが、遠目にはきれいでも実はあまりきれいではなかった。
でも、エーゲ海は別次元の美しさですね~~。
染谷 裕太
マルマラ海、ダーダネルス海峡と、海が段々と輝きを増していき、エーゲ海まで来るとこの美しさです。しかも、遺跡の存在が風景の美しさを損なわず、むしろ一体になって互いに引き立てあっているので、より素晴らしい(笑)
遺跡には亀や蛇や、その他様々な生き物がいて、鳥は歌いながら大空を舞い、花は咲き乱れ、悠久の古代遺跡の向こうには海が眩いばかりに輝き、遠くから波の音が聴こえる。ここは人類のパワースポットです(笑)
感動のアソスを後にし、次はペルガモン遺跡があるベルガマへと向かいました。前回の2015年、欧州・アフリカ自転車旅行の際には、ペルガモンから持ち去られた祭壇があるペルガモン美術館(ベルリン)に訪れていましたので、今回はいよいよの現地訪問でした(残念ながら祭壇は修復中で見れず。ミレトスから持ち去られた市場門は見れましたが)。
ドイツが持ち去った遺跡にせよ、イギリス大英博物館にあるパルテノン神殿のフリーズにせよ、奪った品を堂々と展示する様は盗人猛々しいですが、なにより、広大な青空と美しく輝くエーゲ海に育まれた文化が、薄暗く窮屈で、カビが生えそうな室内に閉じ込められている姿は、なんとも不憫で違和感しかありませんでした。その様を見ていただけに、現地の空気、現地の風景がなんと爽快に感じたことか。大英博物館では、ギリシャ人の親子が彫刻の前で「ギリシャに返せ!」というプラカードを持って記念撮影していましたが、本当に、いい加減あるべきところに返すべきと思います。
染谷 裕太 4月10日
トルコを旅してみて、やはり西ヨーロッパは田舎だったんだなと感じる。「歴史」の最も古い時代から文明を生み出し、リードしてきたのは、常に中東や地中海、エーゲ海沿岸の地域であって、いま近代において多少の遅れがあったとしても、そういう生み出してきた土地の大きさや余裕、豊かさのようなものを感じる。こういう場所が、たかだかここ数百年でのしあがった西欧になびくはずがない。 トルコも自国の歴史に古代ギリシャ、古代ローマ時代があるけど、あるから逆に執着が薄いのだろうと思った。逆に、ない西欧は西欧文化のルーツだとして、ギリシャ・ローマに異様な執着をみせる。彫刻はおろか、巨大な祭壇ごと持ち去るほどに。 現在、その祭壇が持ち去られた現場である「ペルガモン遺跡」まで来ましたが、素晴らしい風景。ペルガモンは、他のイオニア都市よりも遅いヘレニズム期に最も栄えた都市で、特にペルガモンの図書館は、エジプトのアレクサンドリア図書館に次ぐ規模を誇ったそうです。
武田 康弘
「(普遍的な文明を)生み出してきた土地の大きさや余裕、豊かさのようなものを感じる。こういう場所が、たかだかここ数百年でのしあがった西欧になびくはずがない。」
なるほど、それを肌で感じるのだね。
素晴らしい体験だな!
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トルコのファジル・サイが作曲した交響曲「イスタンブール」だ。
染谷 裕太
う~む、管理された社会で教育される音と、大地に根差した生活から生まれる音と。クルレンツィスがインタビュー記事で、「農村の農夫が一本の弦を弾く、その音が本当に心を打つのです。音大でピカピカに磨いた音はジュースに過ぎない」と言っていましたが、西側の国と、エーゲ海地域と両方訪れてみると、こちらの人達の方が素朴で、なんというか土っぽい笑(悪い意味じゃなく)。
「近代」と括れる共通の価値意識をもった時代も、いずれ終わるのでしょうが、それを終わらせるのは東側の国々なのかな。前回エジプトを訪れた時、凄まじいエネルギーを感じましたが、西洋かぶれしてないアラブ圏、イスラム教圏がどのように変わっていくかは、この後の世界史を大きく動かすのだろうな~と凄く感じました。
Osamu Furubayashi
ギリシャの田舎、ローマ。ローマの田舎、フランス。フランスの田舎、イギリス。イギリスの田舎、アメリカ。アメリカの田舎、日本。
昔、こんな言い方があったような('◇')ゞ。
一周して、原点に戻るってのもいいよね~。
この間、仏陀の仏像の横にヘラクレス像が鎮座(擁護者)している写真を見ました。アフガンのある場所の写真。
武田 康弘
ギリシャ彫刻と仏教彫刻は融合していますね。ガンダーラからの仏像はみなギリシャ彫刻そっくりですし、インドを治めていたギリシャ王は、仏教に帰依しましたし、王が仏教徒に教えを請う対話も興味深いもの。印欧語族としての同一性があるのがよく分かります。
Osamu Furubayashi
デリーで見た美術館の彫刻もギリシャ彫刻と仏教彫刻がもろ融合。
西洋とは異質な東方世界でした。
いつまでもアメリカの属国やってるより、早く原点帰りを!です。
染谷 裕太
そういえばイスタンブールでの話ですが、トルコ人青年にハッキリと「日本はアメリカの属国になっている」と言われました。日本を気にかけている故の言葉という感じで。
武田 康弘
みな、分かられているんだね、日本人と日本社会の今の本質が。
日本では、相変わらずニッポン、ニッポン、ニッポンちゃちゃちゃの超超イカレタTELEVISIONの番組オンパレード。どんどん病気が進みます。
古代ではスミルナと呼ばれており、ホメロスの生地(正確には分かっていませんが)とも考えられているイズミール。現在は大きく発展しトルコ第三の都市になっているので、もっとヨーロッパよりの雰囲気かと想像していましたが、想像以上にトルコらしい街でした。特別な観光名所がなく(そこが良い所)、バザールや地元民が集う裏通りを散策すれば、それが観光地を見るよりもずっと面白く、田舎にはない賑やかなトルコを感じられる街でした。
染谷 裕太 4月19日
イズミールの考古学博物館にあったギリシャ彫刻。
ギリシャの彫刻を見ていると、フランスで見たマイヨールの彫刻を思い出す。表現の仕方は違っても、やっぱり似ている。どちらも世俗的でなく、理念的。
武田 康弘
20世紀の天才・マイヨールを唸らせ感嘆させたギリシャ彫刻。まるで美のイデアを見るがごとく。
神ではなく、人間、人間の裸体と顔。
素晴らしい!!
以下のURLは、4月15日のノット東響によるブルックナー9番の演奏評。ブルックナーなのに、「神ではなく人間」という演奏に感嘆したよ! https://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/7588fef966c2adb91e197d74d3765698
染谷 裕太
神話の神々の姿を彫ったのは、それを通して人間を表すため、と感じます。
ノットの演奏は聴いてなくてもタケセンの感想でなんか納得(笑) 前聴かせてもらったブルックナー八番も物凄く良いですよね。いくらでも聴いていられるような演奏。
武田 康弘 そうだよね、神とは比喩であり理念で、善美を目がける人間の理想化=典型→古代ギリシャのフィロソフィー(恋知)。 それを、実在物のように扱えば、唯一神に帰依する宗教になってしまう→キリスト教信仰。 パウロがアテナなどに入り布教して、彫刻を偶像だといい非難、それが大量破壊につながったのだから、恐ろしい。 今度は裕太が、キリスト教からの脱却=古代に帰れという21世紀のルネサンスを起こせ!(笑笑)
武田 康弘
あの素晴らしい8番に、とんでもない迫力がプラスされ唖然呆然!(笑・ホントウ)ノット・東響は、いま世界最高レベルで、解釈は歴史を変えるほどのもの。クルレンツィス・ムジカエテルと双璧かな。コンサートマスターのあまりの激しい動きで後ろの譜面台が弓ではじかれるし、肩当パットは吹っ飛ぶし、ふへ~だったよ。
染谷 裕太
なるほど!実在物のように扱えば、というのは確かに。
彫刻は良いものは欧米に持ってかれたというのもあると思いますが、多くは頭がなく、「壊れた」ではなく「壊された」ことを物語っています。
あの八番にど迫力が加わったら、それは本当に最高!(笑)。イギリス人のノットと、ギリシャ人のクルレンティスが、ロシアのペルミという辺鄙な場所とクラシック音楽後進国の日本で活動。不思議で面白いこともあるものですね(笑)
武田 康弘
うん、シュールだ”!(笑)
この世は意外性と面白さにあふれているよね~~
ノットが明示的に(言語で)何をどう語るかは分からないが、わたしの解釈を読んで(東響のメンバーから英訳を聞いて)なるほどそうか!と思うかもね(笑笑)。
何はともあれ、想像力動物である人間のやることは、面白い。
国家で大泥棒もやる、合法的に(その時々で、一部の支配的人間が勝手に決めた法律に合わせ)盗む。、立派な理屈を述べる=「神」の声とか意思とか言うのだから恐れ入る。それが超越宗教の怖さで、人殺しも正義の名で堂々と、だね。「神」を実在物として扱えば、なんでもできる。 日本も天皇を唯一神(生き神)として「大成果」と「大敗戦」。おお、なんということでしょう~~
柔軟で愛情に裏付けられた理性をもち、それを育みつつ生きていきたいものですね。
イズミールの次の目的地はエフェソスでしたが、その間に幾つか遺跡があったため、立ち寄れる範囲で遺跡を訪れながらエフェソスを目指しました。
エフェソスから50㎞ほど南、ミレトスからは20㎞ほど北の場所に位置するプリエネ遺跡。プリエネは、アテネをもとにして設計された町であり、アテネの行政下にあったそうです。人々はポリスの繁栄と平和に力を注ぎ、エフェソス人の様に高慢な態度で繁栄を誇示することはなかったとのこと。実際に見た遺跡も、エフェソスのような派手さはなく、彼らの素朴な営みが感じとれるようなものでした。
染谷 裕太 5月5日
プリエネからミレトスまでは20㎞ほど。もちろん歩いて向かいましたが、半分ほど進んだあたりで親切なトルコ人に「乗ってけ」と逆ヒッチハイクされた(笑)ので、ちょっとズルして、自然哲学発祥の地ミレトスに到着。「Miletos」と書かれた看板の前で降ろしてもらい、お礼を言って車を見送り、遺跡へと続く細い道の前に立つと、道の先には既にミレトスの劇場跡が見えてました。季節外れな暑さと、乾燥した心地よい風、明るく強い陽射し。海岸が後退した現在、エーゲ海は見えないけれど、港町として、国際都市として賑わった古代ミレトスを想像した。 「ここから始まったのか」 そう思わせる空気が、確かにこの地にはあった。 皆が当たり前に信じていた神話による世界像に待ったをかけ、世俗の価値に疑いをもち、一人、自らの頭で考えはじめたタレス。ミレトスは「個人」としての人間が始まった地でもあったのか。そして、ここから始まった自然哲学は、後にアテネのソクラテスによって、自然学的探求と人間の生き方の探求とで区別され、純粋なフィロソフィへと生まれ変わる。ミレトスからアテネへ。なんという土地なんだ。感動的。ただただ感動的なミレトス訪問だった。
ミレトスから南に20㎞ほどの場所にある「ディディム」は、かつてミレトスと参道で結ばれ、その参道には沢山の彫刻が並べられていた。ギリシャ本土のデルフォイと同様、ディディムも名高い神託の地でしたが、現在は美しいビーチのあるリゾートの街として賑わっています。
染谷 裕太 2019年9月7日