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  • 198. 真夏のきつ~い話題三つ. 「人間になろ~よ!」

  • 198. 真夏のきつ~い話題三つ.
       「人間になろ~よ!」

      暑気払いの、「いい加減、人間になろ~よ!」三連発。

    夏休みだ、海山行ってじっくり考えましょう (*^▽^*)

    □ 爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。
       気づかずに一生終われば幸せかな?

    □ 夏休みまで受験主義の勉強やらせるのは、虐待ではないですか? ふだんももちろん。

    □ 日本人は、総体としては、人間になっていない!?


    ■ 爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。
       気づかずに一生終われば幸せかな?

     日本語は、相手を呼ぶとき、自分を呼ぶとき、いつも必ず、上か下かを意識しないとなりません。この言葉の使い方は、無自覚領域にまで入り込んでいて驚きます。その実際のありようを説明したのは、「ことばと文化」(岩波新書)で、すでに古典的な書です。

     自分と相手のどちらが上か下か、というふだんの意識は、勝つか負けるか、という意識と重なります。勝ち負け、勝負、上下意識、目上、目下、というのは、人間的な柔らかさ、豊かさとは異なり、おれが上だ、お前を下にする(あるいは逆のヘリ下りでどちらも同じこと)、となります。

      それは、日本人の好戦的な気質そのものです。隣の家より上!?下!?とか、他人の不幸は蜜の味、とかの日本人の意識は、爬虫類の戦闘脳のようです。学習もお勉強と呼び、勝つか負けるかであり、経済も勝ち組vs負け組であり、ほんとうの助け合い=公共など不可能です。公共まで勝ち負け(笑)。

     スポーツも楽しみではなく、とにかく勝負ですし(スポーツという英語は元々そういう意味ではありません)、知的営みや芸術的営みも、勝負!!(笑)です。日本には受験勉強しか存在せずそれは全然知的ではありませんが(クイズの知にすぎない)、それに気づいている人も稀です。アインシュタインなどの天才は、日本の基準で測れば、落ちこぼれか不良です。

     どうやら、人生は、実存としての意味充実とは無関係で、内的豊穣とも無関係で、こころの内から湧き上がる自然なよろこびとも無関係のようです。上か下か、勝つか負けるか、という爬虫類のもつ戦闘脳に依拠した生を貫くのがわが日本人!!?? 確かに、よく言われる「政治的」国民(人を右とか左とか色分けし、政治の議論をするのはご法度!ーゆえに底なしに政治的)ですね。

     なにもかもシステム化され(天皇・元号システムはその頂点=象徴です)「システム内 人間」ですから、枠組み・システムをそれ自体を意識し、変更しようなどとは考えもしません。従順な生徒、従順な会社員、従順なお役人、従順な〇〇です。上下意識と勝ち負け意識で固められている日本人には自由(実存としての生)がありません。あんたより上よ!弁えなさいよ!とお上品な顔をして声に出さずに言う(笑笑)。それがわが日本人の正体かな。あれれ、なんとも愚かで不幸ですね、でも気づかないで一生終われば、幸せ?

    デルフォイの神殿跡に座るわがソクラテス教室のソクラテス爺。
    撮影は、昨年、染谷裕太君。


    武田康弘 2019-07-27 「思索の日記」より


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    ■ 夏休みまで受験主義の勉強やらせるのは、虐待ではないですか? 
      ふだんももちろん。

     ふだんの日でもそうですが、わが日本の学習とは、学習ではなく、お勉強。自分の頭を使って考える学習ではなく、テスト勉強。

     だから、今の日本には使える頭の人がひどく少数で、とりわけ、思想や人文や法律や社会関連の知的レベルは、低いというより冗談のレベルです。

     

     ただの暗記とパターン知を競わせることしかないので、というより、ほんとうの学習の意味も方法も知らず分からずですから、もう末期症状。

     頭そのもの=脳の人間化ではなく、どれだけ教えられた通り・決められた通りに覚えられるか、それが優秀さの基準というのでは、もやはマシーン=AIで、「東大脳」とよばれますが、もう終わっています。

     

     夏休みまで、受験主義の勉学、テスト勉強をする、させるというのは、一体何を想い、考えてのことでしょうか?  山や海での自然体験が少なすぎです。お父さん、こどもと一緒に自然に溶け込む体験学習をしていますか? 雲かと見まがう天の川-満天の星野。

     「学校知」に縛られずに、自分の心身と頭全体で知り、想い、考える学習、ほんらいの学習を少しはしたらどうでしょうか? 受験塾に何万円も払うお金があるなら、博物館、科学館、プラネタリウムや美術館などを丸々一日かけてじっくり見る、そこに提示されている資料を読み、解説や映画などを視聴して、学芸員に質問する、という中身の濃い学習をする、させる、というのが、よい=正しい知的教育のはずです。 

     こどものクラシック音楽会もこの時期、各オーケストラが催していますから、コンサートホールで音楽を聞く。その体験はとても大切です。1度ではなく2度いくと、身に入ってきますし、その後、秋から冬にかけてのシーズンでも学生(小学生~大学生)は、半額とか1000円程度で聞けますから、人間脳をつくる基盤となります。日本人が思想音痴で自分の頭で考えられないのは、音楽(心身と頭の全体を刺激する音楽)を体験する経験が少ないことと符合していると思います。ピアノのお稽古=習い事というレベルとは異なる音楽体験が必要です。 

     直接体験として知るという基盤がないインチキな受験テスト勉強は、「よろこびのない学習という非人間的訓練の正当化」を当然とするような不毛な思想を生みだします。みなが不満や不全感・疎外感をもつのは当然ですが、この思想&システムを是認するために、スタティックな形式主義の道徳を押しつけて、なんとか秩序を保とうとしているのがわが日本の現状です。この不幸=知的退廃を変えるには、あなたの価値意識の転回が必要です。「エリート」&もどきの人ほどダメです。

     武田康弘 2019-07-29 「思索の日記」より

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    ■ 日本人は、総体としては、人間になっていない!?

     勝ち負けで生きる日本人、学歴が、名前が、経済力がすべてという日本人は、とても「人間としての生」にはなっていません。

    2019.7 武田康弘(67才)

     内的世界、内的豊穣、内的充実、内から湧き上がるものを持たないで、外なる価値意識に縛られて生きるいまの日本人は、個人としての精神、自分の思想を持てない存在で、自己の精神に誇りをもつ存在=人間としての生という次元にありません。

     哺乳類に共通の優しい目をもたず、無表情で、爬虫類のような攻撃性か、あるいは、上位者に従う奴隷のような従順性のどちらかですが、両者は、一つメダルの表裏で、同じことです。内面世界=精神世界がないのです。 すべての価値が恐ろしいまでに「単線的」で、人間性の面白さ、楽しさ、豊かさをもたらす「精神の自立」がまったくありません。深く意味ある話などできません。ただ少しでも金のある生活をしようとアクセクしているだけの存在です。金のある人はただ生活が楽なだけで、「いたづらに生死を繰り返すのみ」(ブッダの言葉)です。

     金メダルのために、多額のお金のために、世間価値の上位に行くために、勝つために生きる、それしかない、そういう人間であっては、自分が生きる意味(人間性の豊かさ=魅力)という一番大切な価値をもちません。

     以下は、一昨日のBlogですが、ぜひお読みください。
    爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。気づかずに一生終われば幸せかな?


    人間になる=自己の精神をもつ誇れる存在として生きようではありませんか。 恋知の生を。

    クリックでもう少し大きな画像が現れます。

    「恋知」ポスターです。作成は大変でしたが、とっても有意義と思います。恋知という発想を広めるのに役立たせます。みなさまも、ぜひ、ご活用を!  
    なお、このポスター風の恋知案内は、細かな説明文も含めて、すべてわたしのオリジナルです。 それから、中央のはがきの絵(86%縮小)と「恋知」の字を書いて送って頂いた長崎の本村典子さんには、とても感謝です。

    武田 康弘 2019-07-22

     

     


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