元号と西暦についての大いなる勘違いを解くため、以下の二本の論考を載せます。
ぜひ、ご覧ください。
中国にならった「元号」の制度は、「大化」(645年)にはじまり、二度の中断をはさみ、「大宝」(701年)から続きましたが、その伝統は、江戸時代と共に終わりました。
明治からは、一世一元という新しい元号制度=天皇と元号を結び付けて、近代天皇制と呼ばれる天皇中心主義国家のシンボルとなったのです。国民に一世一元の元号を使用させることで、日々、自然に天皇という存在を意識させるのが、明治政府の目論見(もくろみ)でした。 明治維新が、大化から慶応まで1200年あまりの日本の伝統を壊して作った「天皇現人神」という国家宗教=国体思想=靖国思想は、大きく深く日本人に浸透し、いまなお続く呪縛力にはただ驚くほかありません。
一世一元の元号の果たす役割(天皇という存在を人々の深層心理にまで入り込ませる)は恐ろしいほどのものと言えます。
江戸時代までの伝統の元号とは、大化(645年)から慶応(1868年)までの1223年間に244の元号ですから、一つの元号の平均の長さは、5年強です。天皇在位とは結びつかず、頻繁に変わる時代名でした。江戸時代では庶民は、時間を測る尺度にはならないので、干支(12年×5=60年で一巡)を使っていました。 ちなみに、最初の「大化」は、4年8カ月。次の「白雉」も4年8カ月、「朱鳥」6カ月、「大宝」3年1カ月、「慶雲」3年7カ月です。 最後の江戸時代末は、「万延」11カ月、「文久」2年11カ月、「元治」1年1カ月、「慶応」3年5か月です。
※また、天皇という中国にならった呼び名は、天武(673年)が最初であり、平安初期の村上天皇までで、その後は800年間もの間「天皇」と呼ばれる存在はいませんでした。天皇と呼ばれた一族は、実権を失い、京都のローカル王にすぎなくなったからです。「天皇」の復活は、江戸時代後期の光格天皇まで待たねばなりません。しかし、今日でも、今上(こんじょう)とか御門(みかど)などと呼称され、死後は「〇〇院」と呼ばれた存在もみな「天皇」としているのは、明治維新による歴史の改ざんのままです。明治政府の方針(日本の歴史は天皇の歴史というウソ)にいまなお従っているのでは、あまりに愚かです。スサマジイまでの洗脳が続きます。
武田康弘 2019-07-04 「思索の日記」より
ADとは、ラテン語で、アンノドミニ(Anno Domini)の略です。「主(イエス・キリスト)の年に」という、キリスト紀元と言う意味ですが、このキリスト紀元という暦は、10世紀ころから欧州で使われはじめ、15世紀以降に一般化したものです。なお、キリストの誕生は紀元前4年ないし5年ころと推定されますから、生誕年とは一致しません。
19世紀以降は、キリスト紀元ではなく、世界暦にするために、CE(Common Era=「共通紀元」)に変える動きが広まっています。紀元前は、Before Common Era(BCE)。
もともと、西暦と呼ばれる現在使用されている暦の基本はユリウス暦で、これは、BCE(紀元前)45年にローマ共和国のユリウス・カエサルが制定した「4年に一度閏年(うるうどし)を置く太陽暦」ですから、キリスト教とはまったく関係ありません。
ただし、1年を365.25日(365日と四分の一日)としていますので、より正確な1年=約365.2422日とはわすかなズレが出ます(1年間で11分強)。それをユリウスによる制定から1600年ほど経った1582年に修正し、400年間に100回の閏年を97回に減らしましたが、この「修正ユリウス暦」を「グレゴリオ暦」とまったく別の名前に変えました。
グレゴリオというローマ教皇の名によって誤差修正を行い、ユリウス暦をキリスト教会の暦であるかのよう見せるために名称を変えたのです。ユリウス暦はキリスト教とは無関係(キリスト生誕前)でしたが、ユリウス暦の修正とは言わずに、グレゴリオ暦という異なる名称にしたのは、ローマカトリック教会の詐術なのです。そういう事情で、現在の暦はグレゴリオ暦と呼ばれているのです。
なお、1年を12カ月に分けて365日とする太陽暦(一カ月を30日として最後の5日間は特別の祝日とした)は、BCE(紀元前)4000年以上の昔からエジプトで用いられていたもので、エジプト暦と呼ばれています。
武田康弘 2019-05-14 「思索の日記」より