村山邸(旧柳宗悦邸)
庭から見た村山邸
左奥に小高い丘があり、そこに
リーチの登り窯があった.
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2001年3月26日(月)村山邸にお邪魔しました。
顛末記でもちょこっとだけ触れましたが、ここは旧柳宗悦(むねよし)邸、またの名を三樹荘といいます。
白樺文学館から300メートル程でしょうか。(文学館の地図を参照してください.)
柳の叔父(おじ)で近代柔道の創始者・講道館の創設者である嘉納治五郎(かのうじごろう)は、1911年に我孫子に別荘を建てました。彼はこの地に小学校から大学までの理想の私立学園を創ろうと考えたのでした。しかし、残念なことに文部省の反対と資金難から計画は頓挫してしまうのです。
一方、大恋愛の末に中島兼子と結婚した柳宗悦は、この叔父の誘いで我孫子に移り住んだわけです。
この場所で柳とリーチは熱い激論を交わしつづけ、後に生涯最良の時代であったとリーチに言わしめました。
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