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54. 思想 と 心情

 学校で、あるいは職場、市民活動の場で、より良い環境を作りたいと思い立ち、他人と議論をしはじめたはいいけど、ひどく消耗してしまうことがあります。感情的な[場]が出来上がってしまい、いくら誠意を持って対話しようとしても議論にならない、そんな経験をしたことはありませんか。
 心情に振り回されてしまっては、言葉はその心情を守るための鎧と化します。より良い世界をつくあげようという場が失われてしますのです。広い意味での思想を大切にしたいものです。



思想 と 心情

武田康弘

 私たち日本人は、しばしば思想の問題をなし崩し的に回避し、心情の問題にずらせてしまいます。

 そうとは自覚せずに、その人の言動の本質を規定しているのは、広い意味での思想(=価値観の集合)ですが、この思想のありようをよく見ることを回避し、心情の清さー純粋性を基準にして善悪や良否を決めてしまうのは、おそろしく危険なことです。

 第二次世界大戦での天皇教の日本人の言動も、過激な赤軍派などのセクトの言動も、この心情によって自他を見、判断している点でまったく同じです。「涙した」とか「一心で純粋だ」とか「わが身を省みず命がけで」という心情のありようだけで善し悪しを判断することは、おぞましい結果を招来してしまいます。

 個人であれ組織であれ、そのありようの善悪、良否は、その言動の背後にある思想(=価値観の集合)を深く知らなければ、判断できません。確かな構想力に裏打ちされた考えか否か、吟味された見通しのよい考えか否か、深い納得をもたらす優れた考えか否か、その考え=思想のもつ価値―その有用性の程度を、それとして見定める営みが必要です。

 心情主義から脱却するためには、深く大きく思考する精神が不可欠です。掘り下げ吟味する力を養い、心身の健康を生み出したいと思います。

(2004.4.23)


2004年5月22日  古林 治

 
 
   
 
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