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53. 精神的「自立」のための条件とは?

 今日は、タケセン からの宿題を一発。
ギクッとする方もいましょうが、じっくり考えてみてください。教育とは子どもの問題ではなく、大人の問題なのですから。



精神的「自立」のための条件とは? 武田康弘

 心=精神の「自立」を可能にする条件とは何か?
政治の次元で言うと、「市民自治」を可能にする条件とは何か?
言葉やカッコウ=外見ではなく、内容において、ほんとうに「自立」を可能にする一番大元(おおもと)の、一番大事な条件とはなんですか?
答えてみて下さい。

 

 それは、
意味をつかむ知の追求です。毎日の生活の中で、一つ一つの知識、情報、物事、出来事、行為の意味を考え、意味を明確にしようとする営みです。
その実践です。
大人の生活も、子どもの勉強も、意味の探求なくしては、「自立」はもちろん「生きる喜び」そのものが得られません。
単なる「事実学」の積み上げは、自我主義の満足=他者を抑圧すること以外の価値をもちません。無用の長物です。

 意味の自覚的な探求と、それを整理し分かりやすく他者に表明すること。
これは、「自立」の条件であると同時に、倫理的価値の出発点です。
私は、何に依拠し、何を価値だと思い、何のために、何を目がけているのか?それを明白にする努力―実践。それこそは、偉がりや誤魔化(ごまか)し、習性となった自己美化のウソ=自己欺瞞(じこぎまん)を乗り越える唯一の方法でもあるのです。

 意味をつかむ勉強の仕方―生き方、そこから、より深みのあるーより価値の高い意味を生み出していくこと、それは、人が自立し、自己欺瞞を脱し、エロス豊かな生を生きる(それが本来の意味の倫理です)ための必須の条件です。

 いい年をした大人であれば、こういう原理的な核心事を自分が了解するだけではなく、周りの人にも広める実践が求められます(このペーパーをコピーして、その一助にして下さい)

 さあ、何はともあれ、意味をつかむための努力と、意味として知の重要性を訴えていく努力をはじめましょう。人間にとって単なる事実など存在しません。意味を問題にしない事実の羅列!には何の価値もないのです。<「事実学」から「意味論」へ>。実践が必要です。

(2004、2、16)


2004年5月22日  古林 治

 
 
   
 
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