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オラクル社内報表紙
日本オラクル社内報
”ジャイロスコープ” 2001年3月号
ニセバーチャルツアー
”白樺文学館の巻”

佐野力著作
辞めた起こした成功した
辞めた 起こした 成功した! そしてロマン 日本オラクル代表取締役 佐野 力
2000年6月8日 浩気社
● 誕生秘話 ●

9.白樺文学館の記事 -日本オラクル社内報

 以下に紹介する文章は、「日本オラクル」の社内報で、『白樺文学館』開館時に武田康弘文学館館長(当時)が取材を受け、作成されたものです。
 なぜ、日本オラクルか、というと、オラクルの初代社長・会長が佐野力さんだったからです。

 佐野さんは武田康弘主催の「哲学研究会」(いまは「恋知の会」)の一番熱心な参加者でしたが、彼の発案で「志賀直哉文学館」をつくることになり(資金は佐野さんが全額負担)、武田がその労を担うことになりました。しかし半年が経った時点で、志賀直吉(直哉の長男)さんから、「父の遺言により、記念館の類をつくることは、一切お断りします」との手紙が日本オラクルの佐野力社長宛に届き、志賀直哉文学館の創設は頓挫してしまいました。

 そこで、武田の発意で「白樺文学館」へと発展させ、白樺派全体を顕彰する学芸館として、21世紀のはじまり2001年1月11日にオープンとなったのです。そういういきさつがあって、この社内報がつくられたわけです。貴重な一資料と思います。

ニセバーチャルツアー
白樺文学館の巻

「こんにちは。おじゃまします。」白樺文学館の一室に通された私達が見たものは、あわただしくお昼ご飯のカップラーメンをすする武田館長でした。

こちらの武田康弘館長は「辞めた!起こした!成功した!そしてロマン」の中でも、「「野に賢人あり」の典型のような、理論に終わらず哲学を生活の中で実践している人物」と紹介されている方です。当日は武田館長自ら案内していただけるということで、ジャイロ読者とジャイロ編集員6人で千葉県我孫子市にある白樺文学館にお邪魔しました。
 

武田さん:
佐野さんが志賀直哉が大好きだということもありまLて、二人で何かやりたいと話Lていたんです。しかし、そんなお金はない。1999年2月4日(そう、あの日です。)佐野さんから突然お電話がありまして「事情が変わった!」と。それでこの計画が実行に移ったんです。

武田館長のお話はとどまるところを知らず、白樺派の活動に始まり、天文からオーディオ、カメラにいたるまで様々な分野の造詣の深さに私達は聞き入るばかり。


武田さん:
白樺の運動というのは文学だけにとどまらず、芸術、思想など非常に多岐にわたります。ロダンをはじめて日本に持ち込んだのも彼らです。既存の権威に妥協することなく、自分達が本当に良いと思ったものだけを扱った。そういう被らの息吹をメッセージとして発信できるようなスペースとして、この白樺文学館を創ったわけです。


手賀沼からそう離れないところに静かにたたずむ白樺文学館、建物自体はそれほどど大きなもものではありません(一見すると街の公民館!?)。しかし、そこに込められた武田館長、佐野さんの情熱は訪れる人の心を打ちます。皆さんも、是非、一度訪れてみてはいかがですか。



佐野力(さの ちから)  当時の略歴
1941年 北海道生まれ。
1963年 小樽商科大学を卒業後、日本1BM入社。 26歳で課長に昇進後、米国1BM(ニューヨーク)出向、中国事業開発部長、西部支社営業本部長など歴任後、
1987年日本IBMと住友電気工業の合弁会社「S&I」の社長に就任。
1990年9月同社退社。同年10月より 日本オラクル代表取締役社長に就任。 米国オラクル上級副社長兼務。


参 考: 白樺文学館 誕生秘話
  「8.武田康弘氏のこと・・・佐野力 著

 

  「白樺文学館開館セレモニー挨拶」 2001年1月11日

 

古林 治 2017年11月2日


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