4.リーチの絵、柳 宗悦のこと(2000年3月8日)

リーチの絵
柳宗悦のこと


リーチの絵

武田先生から相談があって、先生宅にお邪魔した。
『リーチの絵が手に入ったんだけど、ちょっと読めない文字があるので見てくれないか。』
ということで出かけたわけです。下の絵がそうなんですが、売り手が何の資料もつけていないし、もともとリーチに関する資料は希少で調べようがない、とのこと。

B-5サイズくらいの小さな絵、リーチが20代の頃に書いたもの。 左の絵をクリックするともっと大きな画像が出ますので、解読に興味のある方はトライしてみてください。
当日夜、カミさんに聞いたら、3の後ろはアルファベットのOではなく、数字の0ではないか。
で、その後ろはth。つまり、1916 30th March らしい。1916年3月30日とあるこの絵の意味はいったい何か?武田先生いわく、白樺の雑誌を全部見てみるか。
調査は尽きることがないようで・・・

左上のデフォルメされた文字は明らかに、1916年を指してるようです。真中のRはリーチの頭文字でしょうね、きっと。とするとその上の羽模様はバーナードと引っ掛けたものかな?
右上がまたちょっと見難(みにく)い。3 of Marchかなぁ? だとすると、リーチが我孫子に来たのは1916年の12月だから、その直前てことになるなぁ。
うーん、という会話がしばらくあって、話は民権運動の方へずれ込む。

柳 宗悦のこと

武田先生が改めて柳の本を読み直してみて思ったこと。 『柳という人間は、民芸の運動家としてしか知られてないけど、すばらしく知的な人ですよ。中国、欧米、日本の思想に精通し、おそろしく平易(へいい)な文章で現実に根ざした行動を伴う哲学・思想を表現する人なんですね。』 話がはずんで結局3時間近くお邪魔することになってしまった。
沖縄に対する標準語強制に対しての公開討論の提言、茶の湯への徹底的な批判と新しい茶の湯の提言と実行、山県有朋(やまがたありとも)らが作った官僚システム内「エリート」による民主派への執拗(しつよう)な弾圧との闘い。(明治時代から今と大して変わらない状況だったんですね。困ったもんです。ちなみに軍部がこの国を完全に牛耳ったのはほんの一時期のことです。基本的には昔も今も東大法学部卒の官僚による支配。)
いずれ、開館の折にはそんな話がちりばめられ、簡潔にわかりやすく説明されるのではないだろうか。楽しみです。
ちなみに武田先生は市井(しせい)の哲学者でもあります。

今日のところはこれでおしまい。

(古林)

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