previous
《12/23金さん・武田さんを軸にした白樺討論会》について  10
next

「偉い・劣る」とは無縁のところから希望はひろがる

染谷 博美 (46才・主婦)

染谷

12月23日の白樺討論会で話したように、わたしが今思うことは、やはり自分自身や家族や身近な子供たちのこと。
 近所の小さな子どもたちと触れ合う時がたまにあるけれど、幼い子はほんとうに生き生きとしていて、人が本来持つ〈よい・悪い〉をみんな持っています。そのままの姿をさらけ出して、どんなことでも、「どうして?」と聞いてくるし 鋭く的をついた面白いことを言い、平気でやるからハッとさせられる。
 小さい身体から無限の大きさと希望を感じると、逆に子供に守られているみたい。大人のほうが「ありのままでいいんだよ」って優しく肯定されて包まれてしまう感覚になるときがある。
 でも大きくなる程(小学生くらいでもすでに) その生き生きした心と体が狭い固定観念に閉じこめられて壊れていくのが分かるのです。 表情から豊かさ・伸びやかさが消え、話す言葉は親や教師らの固定観念を映したものになってしまう。
 近所のA君に表れた変化もその一つだ。問題は大人の世界にある。人一倍感受性の強いA君は、小学校に入り固い枠に閉じ込められると、ひどい拒絶反応を起こして親を困惑させていた。タケセンに出会って(白樺教育館のソクラテス教室に通うようになって)からのA君の驚くような変化は、傍目にもはっきりと分かり、それはほんとうに喜ばしく感動的でさえある。子供の情緒が安定し、生き生きした感じが戻っただけではなく、以前には見られなかった明るさと活発さが現れてビックリ。目の前で「奇蹟」を見る思いがした。
 わたしたち大人は、なぜ、ソクラテス教室に通うことでA君が自分を取り戻せたのか?そのことに気がつかないといけないと思う。ただ、これほどおかしな情報があふれている社会で暮らしていては、一人で考えても無理だし固定観念にひどく縛られている大人同士で話しても、内容が薄っぺらで堂々巡り、何の進展もしない。
 わたしは、2年ほど前からタケセン(武田先生)が主宰する「愉しい哲学の会」に通うようになってから、白樺教育館で実践している 民知の思考(自分の頭で考える実践)は実際の生活の中で一番重要で土台になるということを痛いほど感じるから、自分自身、家族、 そしてほんとうによいことは?を追い求める心をやめていない周りの人たちと 対話を続けていきたいと強く思っている。
 何かの疑問にぶち当たった時に、そのことは一体どういうことで、何に・どこに問題があるのかを突き詰めて話していくとすごく楽しいし充実感がある。近所の人と悩みを話し合っていた時に、人を変えようと考えるのは無理だし変だよね、じゃあ自分の思考をこんなふうにもってみたらどうだろうって話し合ったことがあるけれど、その時のその人の、キラっと輝いた目が焼きついている。
 ああっ、こんな対話を続けていけるのは幸せだなって感じた。こんなふうに自分で自由に考えて話すことができるのは、白樺教育館が誰にも何にも負けないで、民知の実践を力強く進めているからだと思う。今年で31年目だそうだ。凄い!
金泰昌さんを中心に公共哲学を進める学者の人たちが白樺教育館に関わってきているのは 、とてもよいことだと思うし、面白い。これから更に「本当の対話」がなされていけば、キムさんの並々ならぬ覚悟がよい成果を上げることができると思う。とてもたのしみ(笑)。ゆっくりと大きな大きな革命がおきるべく進んでいるような気がする。

 誰が偉いの劣るのということとは無縁なところで、ほんとうに自分の考える頭が動くと、限りなくひろい思考と希望があたりまえのようにあるんだ、そうわたしは感じている。

previous

 

next