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金泰昌-武田康弘の恋知対話 はじめに
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はじめに、金泰昌氏と武田康弘の『恋知対話』に到る経緯について。

わたしと金泰昌氏との出会いは、二年前の6月です。まったく未知の方であった金氏とのご縁は、本紙2005年7月号に書きました通り、わたしが、白樺派の精神を現代に生かそうというコンセプトの下につくった「白樺文学館」(出資者は日本オラクル初代社長の佐野力氏)の基本理念を東大教授の山脇直司氏が金氏に送ったことに始まります。この基本理念は、今は白樺文学館ではなく、「白樺教育館」のものですが、それを読んで感動・共感された金氏がわたしとの対話のために来館されたのです。
金氏は、都合4回白樺教育館を訪れ、白樺に集う大学生や市民たちとの自由対話を楽しみ、皆に大いなる刺激を与えましたが、その間にもかなりの頻度で電話での対話を続けました。それは、従来大学で行われてきた哲学=「哲学史 内 哲学」ではなく、もっと有用な広い意味での哲学=生活世界でふつうの市民が哲学する道を切り開くためにはどうしたらよいのかを模索する対話であったのです。それを皆に示すことで、「哲学の民主化」のために多くの方のお力を得ようではないかという共通了解に達しましたので、公開することを前提として「往還書簡」という形での対話を始めることにしたのです。
ぜひ、これを読まれて、遠慮のないご意見・ご感想をお寄せ頂ければ幸いです。なお、この『恋知対話』を掲載して下さる本紙「公共的良識人」紙の関係者の皆様には、厚くお礼申しあげます。

最後に、自己紹介をします。
わたし武田康弘は、1952年5月東京神田生まれで、大学では哲学を学びましたが、それは哲学の専門家になるためではなく、自分で哲学するための一助と考えてのことでした。在学中から哲学を現代社会に生かす「意味論としての学習」を行う教育機関をつくろうと決め、1976年に独力で小さな「私塾」を開きました。
それが「白樺教育館」の前身「我孫子児童教室」ですが、そこでの教育実践を哲学するために同時に「我孫子児童教育研究会」を開き、それが後に管理教育是正のための市民運動を推し進めることになったのです。その経緯は、岩波書店からの依頼による「我孫子丸刈り狂騒曲」(「世界」92年8月号)に詳しく記しました。
わたしは、1986年に始まる教育改革運動の直前からの数年間、哲学者の竹内芳郎氏に師事し、言語論を中心に、宗教論、文化論を学びました。1987年から「哲学研究会」を開きましたが、その主要メンバーであった佐野力氏の依頼で1999年2月から「白樺文学館」の創設に全精力を注ぎ、2001年1月の開館からは初代館長を務めましたが、そこでの活動を活かして、より明瞭に当初の理念を生かすべく2002年初頭から二年をかけて「白樺教育館」をつくり現在に到っています。

では、刺激的な恋知対話、ぜひ最後までお読み下さることを。

白樺教育館館長 武田康弘
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