思想 と 心情
武田康弘
私たち日本人は、しばしば思想の問題をなし崩し的に回避し、心情の問題にずらせてしまいます。
そうとは自覚せずに、その人の言動の本質を規定しているのは、広い意味での思想(=価値観の集合)ですが、この思想のありようをよく見ることを回避し、心情の清さー純粋性を基準にして善悪や良否を決めてしまうのは、おそろしく危険なことです。
第二次世界大戦での天皇教の日本人の言動も、過激な赤軍派などのセクトの言動も、この心情によって自他を見、判断している点でまったく同じです。「涙した」とか「一心で純粋だ」とか「わが身を省みず命がけで」という心情のありようだけで善し悪しを判断することは、おぞましい結果を招来してしまいます。
個人であれ組織であれ、そのありようの善悪、良否は、その言動の背後にある思想(=価値観の集合)を深く知らなければ、判断できません。確かな構想力に裏打ちされた考えか否か、吟味された見通しのよい考えか否か、深い納得をもたらす優れた考えか否か、その考え=思想のもつ価値―その有用性の程度を、それとして見定める営みが必要です。
心情主義から脱却するためには、深く大きく思考する精神が不可欠です。掘り下げ吟味する力を養い、心身の健康を生み出したいと思います。
(2004.4.23) |