Home > 教育館だより目次 > 46. 白樺教育館落成を前に
 
 

46. タケセンー武田先生―武田さんー武田康弘

 今日、午後1時から白樺教育館・本校舎の落成を祝う集いが開催されます。その様子については後日改めて報告させていただきます。
 今日は、その【教育館の建築】理念についてお知らせしておきましょう。あわせて、タケセン(白樺教育館 館長・武田康弘)の自己紹介も改めて載せておきます。

白樺教育館の建築理念

特別ではなく普通、特殊ではなく当たり前。
建造物としてゆるぎなく強く安定している。
シンプルで美しく、使いやすく気持ちよい。
さりげなく濃やか、細部は創意工夫の連続。
虚飾を排し、気の流れがよく、親密な空間。
オーソドックスで新しく、黙って永遠存続。

建物のコンセプトとディテ−ルの決定
武田 康弘
営業設計
椿谷 法子(大成建設)
実施設計
佐藤 美帆(大成建設)
施工
大成建設(株)
ドアーの手の彫刻
中津川 よし督・ふみ章(彫刻家)
前庭と駐車場のデザイン
武田 康弘
実施設計と施工
スペース・ガーディニング(株)
(庭木はオリーブの木―人類最古の栽培植物の一つで、生命力と平和の象徴)
家具、照明器具等の選定、家具組み立て、ラック等制作
武田 康弘
看板のコンセプトとステンレス板の磨き仕上げ
武田 康弘
デザイン
佐藤良二(デザイナー)
抜き文字の溶断
松岡信夫(クラフト、造形作家)
書き文字
灰玉平(はいだまたいら)タカコ
旧館と旧・我孫子町役場の基礎の取り壊し
シラト工業
片付け、引越し、運転、掃除、各種作業、買い物などのボランティア
 
 
鎌ケ谷「とわの会」の方々(2003年度会長は野老富子)。
児童教室=ソクラテス教室OB(秋元佐予、管剛文、阿部憲一、古屋光司、綿貫信一、阿曽賢司成毛兄弟、中野牧人、飯島剛、中西準也、など)。
小学生の宮内智子、中学生の高城光寿、高校生の古林到、染谷裕太。武田百代。その他多数、感謝です。


武田康弘(たけだ やすひろ)の自己紹介文
(参議院総務委員会調査室からの依頼により記述)

武田

 わたしは、従来の履歴書のような紹介はしたくありませんし、されたくもありませんので、内容的な紹介文を書きたいと思います。

 まず、生まれは千代田区の神田須田町ですが、文京区の向丘と半分ずつの生活でした。複数の大学で哲学の授業を受けましたが、どうにも大学の哲学にはなじめず、1976年、24歳のときに千葉県の我孫子市に私塾を開き、同時に教育の本質を考える『我孫子児童教育研究会』を主宰して、自力で哲学する営みを続けました。30歳を過ぎてからサルトルやポンティの邦訳者でもある哲学者の竹内芳郎氏に師事し、言語論・文化論・宗教論などを学びました。

 その後、竹内氏と共に1989年より東京の狛江市で『討論塾』を開き、新たな対話文化を生むための活動に取り組みました。また、その少し前の1987年より、市民の直接参加による政治をつくるための新たな哲学=「実存論を基底とする公共的な思想」を生むために、『我孫子哲学研究会』を立ち上げました。そこでの近代民主主義社会の原理論とフッサール認識論を中心とした哲学研究は、その後、同志の福嶋浩彦(当時我孫子市議・1995年から2007年まで我孫子市長)により、我孫子市政の現場で活かされることになりました。

 これとほとんど同時期に、我孫子市の中学校で行われていた管理教育を是正する市民運動を起こし、体罰と丸刈り強制の撤廃を実現しましたが、その運動の経緯は、岩波書店から依頼された原稿(「世界」92年8月号「我孫子丸刈り狂騒曲」)に記しました。

 また、1991年に「オンブズマンと情報公開を考える会」をつくり、千葉県ではじめて、決済前の文書と議会情報を含む情報公開条例の制定に力を注ぎました。

 1999年からは、白樺派のコロニーであった我孫子の地に『白樺文学館』を創設するための仕事に全精力を傾け、白樺思想の定義と資料の収集から始まり、建物のコンセプトとディテール決定を含む全コンセプトを作製し、初代館長を勤めました(オーナーは、初代オラクル社長の佐野力氏)。

 現在は、私塾『ソクラテス教室』を発展させた『白樺教育館』(2004年に私が建造)において、小学生から70才過ぎの方までの「意味論による教科の学習」と「対話方式による哲学授業」を行っています。なお、金泰昌氏との出会いは、『白樺教育館』の基本理念―「市民大学・白樺フィロソフィーと民知の理念」によるもので、2005年6月に金氏が『白樺教育館』を訪れたことから交際が始まりました。

わたしの思想的な立場は、「哲学史 内 哲学」という狭い世界から抜け出し、生活世界に立脚して「ふつう」のことばで自由対話する哲学運動=「民知」の提唱ですが、それこそが本来的な公共哲学(市民みなの哲学)である、と考えています。

武田康弘 1952年生まれ 現住所 千葉県我孫子市寿2−27−11

2008年1月 武田康弘

以下の紹介文は古い(2004年2月)ヴァージョンです。参考までに残しておきます。

タケセンー武田先生―武田さんー武田康弘

 武田康弘のことをどう説明したらよいか。 ちょっと難しい?

「塾の先生をやっている武田さんです。」
「武田さんって学習塾を開いている人です。」
そのように一般化して言うと、どうもしっくりきません。
「学習塾経営者」=税務署の人が規定するような規定をすると、ひどく座りが悪いです。

武田康弘の考え方―生き方をよく知っている人は、
「武田さんは、実践的哲学者で、私塾を開いている人です。」
とか、
「皆がタケセンと呼んでいる武田さんは、新しい教育のために私塾をやっている哲学の実践者なんです。」
とか、
「武田先生は、白樺教育館を創って新しい教育に挑戦している実践的な哲学者です。」
とか、
「タケセンとは、声が大きく、筋肉隆々で、いつも精力的に動き回っている、そんな哲学者なんです。」
などと言うようです。

 私は、学者や評論家ではありませんし、政治家や社会運動家でもありませんし、経営者でもありません。人間性豊かな愛のある本物の教育者でありたい、人間力の強い不屈な愉快人―実践的な哲学者でありたいと願っている者です。
 私は、今日までの半生を、一人ひとりの感覚・生活と結びついた「意味」をつかめる学習、言い換えれば、心身全体での会得―「納得」できる学習によって、一人の人間としての自立性を生む教育を考え、その必要性を訴え、その価値を広め、実践することに費やしてきました。
私は、何よりもこの「意味論」としての知を探求し、新次元の教育を生み出すことに、人間としての最大の価値と喜びを感じてきたのです。それは同時に、私自身が深く納得のいく新次元の人生を開拓していくことと軸を一にしています。

 自負を込めて、私が自分のことを規定するならば、武田康弘とは、創造性に富む人間であり、「深く納得の得られる学習と生き方を伝える教育」をつくりだすことに燃える実践的哲学者(私の信じるところ、本来の意味での哲学者)だ、となるでしょう。                      

2004年2月 武田康弘


2008年2月9日修正
2004年2月1日 古林 治
 
 
Top  
 
 
 
Home > 教育館だより目次 > 46. 白樺教育館落成を前に