1995年、市民派というか、ほとんど革命派(笑)のような我孫子市長選挙は、実に楽しかった!! 通常の選挙ではなく、20歳そこそこの若い人が大勢参加! 多くはわたしの教え子たちだったが、おじさん選挙ではなく、女こどもの選挙だったのだ。 候補者の福嶋浩彦も36歳。20代に見えるようなわたしが撮ったニコニコ笑顔のポスター写真。
福嶋浩彦は、この後の選挙は、形だけの選挙(対立候補が共産党だけ)となったので、実際上は、これがただ一度の選挙選だった。公約通り3期つとめて退職した。
地盤・看板・お金、全部なし、筑波大学を無期停学=>除籍になった学生活動家が市長になるなど、誰も予想さえしていなかった。
わたしは、社会主義(マルクス主義)の発想を哲学の大元から代える【現象学・実存論】による思想的土台を提示し、その上に乗った新しい市民の直接参加の民主主義を目がけて、選挙もまた古いスタイルとの戦いになった。11万部も発行した『緑と市民自治』紙は、【楽しい政治】を理念として編集した。
(桁違いのミニコミ紙「緑と市民自治」発刊の経緯については、=>)
残念ながら、今は、また従来の保守的な路線に戻ってしまったが、若い人は、ガチンコかつパワフルに戦ったこの時を蘇らせるといい。わたしも力になる。無遠慮で行こう!!
以下は、当時の写真集(クリックで拡大します)。
94年11月の寿市民センターに始まる選挙選、 途中で拙宅に集まっ人々(わが家の台所で料理するスーパー京北の創業社長の石戸さん・笑)の写真もあり、最後は、95年1月24日の初登庁の日(福嶋さんから、職員の写真は上手くないので、武田さんに撮ってほしいと言われて)。
=> 参考:【福嶋我孫子市長誕生までのドラマ 舞台裏を今だから明かせます。 】
2022年10月10日
武田 康弘