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2. 「神話」の消去

 白樺教育館の学芸・研究部門は、実はかなり昔からタケセンが継続的に行ってきた哲学研究会/市政研究会の延長上にあります。単なる理論をこねまわすのではなく、あくまで現実に立脚した生きた思想、哲学を目指す研究会です。昨年12月の哲研(哲学研究会/市政研究会)は第298回目で、そのときのレジュメの一つが今日ご紹介する「神話」の消去です。

 ちょっと難しいですかね。いずれ時間のあるときに、コメント付きで説明してみようかな。というわけで、今日は原文だけでご勘弁を。


「神話」の消去

 権力者・支配層は「神話」をつくる。支配階級の利益に適(かな)う体制の維持は、「神話」に拠(よ)る。
 彼らの共同意志がつくりだす「神話」とは、知・歴・財の所有による支配の正当化でしかないことを白日の下に暴(あば)くことで、その「神話」を雲散霧消(うんさんむしょう)させる力を持つのは、イデー(理念・ロマン)とイマジネーション(想像力)である。存在そのものを輝かすことを可能とする意味に満ちた魅力あふれるイデーとイメージの創出は、支配層のつくりだす「神話」を消去する。
 そのイデーとイメージとは、形式に囚(とら)われる心や権威に従う心、体制側に立つ人間の毒素―詐術(さじゅつ)や脅迫(きょうはく)から人間の意識・心を解放するものである。それは、人間の本来性―自然性を回復する装置なのだ。
 魅力あるイデーの構築とイマジネーションのひろがりを持てない時、人間は、単なる現実、単なる事実学、単なる事実人の世界へと陥(おちい)る。そこには人間は存在しない。ただ事実としての「人」がいるだけだ。事実としての「人」は、即物的な価値以上の価値を知らない人間の抜け殻(がら)である。自由への可能性のない物体のような人の停滞し澱(よど)んだ精神からは、腐臭(ふしゅう)がただよう。それは自由で生き生きした心とは全く相容(あいい)れない。
 しなやかさ・柔らかさ・のびやかさ・おおらかさ・率直さを失い、物のように固定し、硬直した意識―権威と知・歴・財の所有に価値を見る人とそれを生み出すシステムを変革すること。それが私の企てだ。
人間の自由と抒情性(じょじょうせい)の回復、全(すべ)てはその一点に向けられる。

2001.12.12 武田 康弘

 

2002年1月16日 古林 治

 
 
 
 
 
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