5. 書簡 [斎藤一二氏宛て] 柳 兼子
白樺文学館に来館される方々にはいろいろな人がいます。
志賀直哉について記述した文章を見てケラケラ笑いながら二度三度と(自分のお小遣いで)くる小学生。
偶然立ち寄ってびっくりして帰る方。
取材に来て、のめり込んでしまう方。
北海道から沖縄まで、遠方からわざわざ来館された方達。
音楽を聞きに来て白樺派の面々の生き方に感動して帰る方。
中には、
『私にとって、柳兼子先生は音楽だけじゃなく、人生すべての先生でした。』
『柳宗悦先生の授業を受け、個人的にも親交がありました。兼子さんの手紙も持っています。』
『志賀直哉編集の写真集を持ってるんですが、お貸ししましょうか。』
こんな方たちもいます。
既に皆他界し、私たちにとっては過去の人である白樺派の人たちと直接的にかかわりのあった方たちのお話はとても感動的です。とても身近な存在に感じられるという意味で。
今日は、その中で柳兼子の書簡を紹介しましょう。
書簡の持ち主は、斎藤一二(かずじ)氏です。
柳宗悦(むねよし)は1940年から4年間、専修大学の教授を務めていました(その前は講師)。主に講師時代にその授業を受けたのが斎藤一二氏で、氏は1938〜40年、専修大学で、柳宗悦の哲学概論、論理心理を受講していたわけです。
斎藤氏はその後、宗悦と個人的にも親交を持ち、柳兼子からの手紙も所蔵されていたのです。
下の写真は斎藤氏からお預かりした書簡のコピーです。
いずれ、ちゃんと複写したものを展示する予定ですが、今のところ文学館にはコピーが展示されています。
1946年 10月8日 投函 ※ 所蔵品のコピー
(読み:清水 光子、石曽根 四方枝)
書簡の内容は、日常のあいさつなのですが、ここに年がら年中飛び回っている柳宗悦の姿を見ることが出来ます。
また、何より驚くのは、この兼子のおそろしく力強く健全な文字そのものです。時代の大波を、音楽の世界で直面した幾多の壁を、個人として味わった多くの障害を乗り越えてきたしたたかな強さ。あふれ出る情熱と優れた知性が均衡する健全さ。そんな印象を受けます。
文学館には宗悦や漱石、志賀、武者などの書がありますが、これらともまったく異なります。たとえば、漱石の書は、おそろしく繊細でうまいですが、危(あや)うい感じを与えます。こんな違いを実際に見ていただくと面白いかもしれません。
この資料、文学館にとっても貴重なものです。文学館にはこれまで兼子の資料は音楽以外ありませんでしたから。
この場を借りてお礼申し上げます。
1946年 10月8日 投函の封筒 ※ 所蔵品のコピー
ちなみに、上の写真は書簡の入っていた封筒です。下右を見てください。 OPENED
BY の文字が生々しく入っていますね。もちろん、占領軍によるものです。すごい時代を通り抜けてきたという感じがしませんか。
この他、志賀直哉編集の写真集、座右宝(ざうほう)を貸してくださった方(富山県の方)もいます。また別の機会に紹介できると思いますので、ご期待ください。
Top |