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白樺文学館オリジナル・ホームページより (体裁のみ変更)

●白樺だより


 
 
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3.ホームページ、トップメニューの変更

 ホームページのトップメニューの一部、【文人】を【白樺派の5人】としました。

白樺派に関する過去の記述が非常に矮小化したものだということは、以前にもちょっと触れました。(顛末記の17.志賀 直哉と武者小路 実篤/ 志賀直哉/ 『文学館』書体  を参照してください.)
【白樺の文人たち】という表現もまたその延長上にあると思われるのです。これは武田館長の指摘でもありますが、白樺派の5人の内、純粋に文人と言えるのは志賀直哉のみであり、武者は文人の側面もありますが生き方を変革する運動に携わってきました。
柳宗悦は哲学、思想の分野で活躍するばかりでなく、民藝運動の創始者でもあることは有名です。また、官憲ににらまれながらも日韓の民間交流を活発に行うという行動の人でもありました。その宗悦の妻である兼子は本場ドイツで高い評価を受けた初めての日本人リート歌手でした。
バーナード・リーチは周知のように陶芸家であります。

 白樺派は文学、美術、音楽、陶芸、思想、哲学、社会変革といった多岐にわたる運動体であったのです。その中核の思想については白樺文学館の理念を参照していただくとして、【白樺の文人たち】という表現が白樺派を矮小化してしまうものだということはこれでおわかりでしょう。

 というわけで、【文人】を【白樺派の5人】としました。
些細なことではありますが、【白樺派の封印を解く】というのが文学館の理念でもありますから、それを具体化しようという意思があれば、この変更は至極当たり前のように思えますよね。

 

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2001年5月1日 古林 治
 
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