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Home > 誕生秘話 > 4.白樺派の5人- 肖像画(周剣石・画) 誕生の経緯
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周さんと_大澤家

大沢家にて.左から武田、大澤夫人、周さん(武田の絵を描いているところ).
2000年6月10日 撮影:大沢治平さん

周さんと_大沢家

大沢家にて.左から武田、周さん.完成した絵を受け取る瞬間.
2000年6月10日 撮影:大沢治平さん

周さん

熱心に写真に見入る周さん.
武田宅で. 撮影・武田康弘

白樺派の5人

白樺派の5人
画・周剣石さん(現在、中国精華大学美術学院教授)

白樺文学館パンフレット

白樺文学館パンフレット
(12ページ・発行5万部)

● 誕生秘話 ●

4.白樺派の5人- 肖像画(周剣石・画)
  誕生の経緯

 「我孫子に白樺派を記念する文学館を開き、運営するのならば、その彼らの燃えるような青春の息吹を伝えるものでなければ意味がありません。「白樺」廃刊後の功なり名遂げて別々の道を歩んだ彼らの後年を記念してもダメです。」と以前書きましたが、
「白樺文学館」を創るにあたって、わたしは、我孫子時代の若き彼らのよい顔写真が揃わず、困っていました。

 そのとき、『哲学研究会』(主宰・武田)に参加したことのある中国人の画家・周剣石さん(東京芸大の大学院で漆絵を研究した後日本に滞在)が、中国精華大学の副教授の職を得て帰国することになりましたが、帰る前に「武田先生へのお礼として肖像画を描かせて下さい」という申し出がありました。そこで、周さんを紹介してくれた大沢治平さん(わたしの生徒のお父さん)の自宅(我孫子市高野山)で描いてもらうことになりました。

  絵が出来上がったとき、閃きました。そうだ、我孫子に集まった白樺派の人たちの顔を周さんに描いてもらおう!と。そこで早速そのアイデアを話したところ、周さんは快く引き受けてくれました。その日と翌日、都合10時間にも及んで、白樺派の5人の人柄・思想・行動、それに時代状況などを話し、出来るだけ鮮明な我孫子時代の彼らの顔写真を渡しました。残念ながらリーチの若い頃の写真は鮮明なものがなく、イメージ喚起のために後年の写真も含めました。

 周さんは、わたしの話から日本における白樺派の価値を深く認識し、強力な同伴者であったリーチを含めた5人(柳宗悦兼子志賀直哉武者小路実篤バーナード・リーチ)の顔を描くことに全精力をかけ、短期間で仕上げてくれたのです。それが「白樺派の5人」の肖像画で、12ページの豪華パンフレット(発行部数5万部)の表紙にはこの絵を使ったのです。

 我孫子市教育委員会の発行する社会科の副読本―『ふるさと手賀沼』には、「文化を育てた人々」として白樺派の紹介がありますが、そこで使われている写真は、みな彼らの晩年のもので、これでは生徒に誤解を与えてしまいます。彼らが我孫子に住み、白樺派として創造的な文芸活動をしたのは、血気盛んな20代〜30代だったのですから、この周さんの描いた肖像画を使うようにしたらよいと思います。

参考  
(1) 白樺文学館 開館顛末記
9.佐野さんのこと、周さんのこと
白樺文学館オリジナルホームページより
(2) 白樺文学館 開館顛末記
13.文学館の顔、小林多喜二への書簡
白樺文学館オリジナルホームページより

2009年 5月9日  武田康弘

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