7月15日(土)の哲学研究会・市政研究会には数ヶ月ぶりに最初から参加できました。今日の収穫はなかなかのものです。まずは文学館の顔から。
文学館の顔
もう最後だと思っていた周さんがお土産持参で参加。ホントの最後の参加になりました。お土産は『白樺文学館の顔』です。
文学館もいよいよ理念を具体的な形に落とし込んでいく段階です。その一環として、文学館の扉にかける白樺派の文人達の絵を誰かに描いてもらい、その絵を元に扉のデザインを構想するという話が進んでいました。実はその絵をタケセンは周さんに依頼していたのでした。
ところが、その絵があまりに圧倒的な存在感を持っていたため、これを扉のためだけに展示するのはもったいないという話になりました。下の絵がそうなんですが、いきさつを聞いてみれば、確かにその存在感にはなるほどと思えるような事情があります。
左の絵をクリックするともっと大きな絵が見れますよ。
上は柳夫妻、下は左から志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・リーチです。 |
絵の依頼があって、周さんとタケセンの間で丸々一日、質疑応答というか議論があったそうです。それはこんな具合です。
リーチという人はこんなことを考えて生きていたんです。
それはこういうことですか?
なぜそんな風に考えたんですか?
柳兼子の生き方は・・・
それはこういうことなんですか?
いや、それはむしろ・・・
じゃぁともかく兼子の唄を聴いてみましょう。
なるほどこういうことなのか。
延々何時間もこんな会話があって、周さん自身が白樺の文人達のものの考え方、生き方を自分なりに深く理解し、その人間像を心の中に創りあげて表現したものだったのです。参考にした写真のいくつかはぼやけていて明確に人間像を判別できるものではないにもかかわらず、これほどの存在感を表現できた理由が良くわかる気がします。内容が形を生み出すという創造活動の一端をここに垣間見ることができるのではないでしょうか。
本質とか内容という言葉の響きからは、ほとんど形骸化(けいがいか)したものを想像しがちですが、これを見るとなるほどと納得してくれる方も多いのではないかと思います。私も久しぶりに良いものを見せてもらいました。
実際、 これだけ健全なエネルギーに満ちた人間像を現代に生きる私たちは見る事ができるでしょうか。もしも世の大人たちがこんな眼をして生きているのであれば、子供たちはもっと幸せに生きられるでしょうに。過去の伝統や文化を継承する意味はこんなところにあると思いませんか。
ところで、この『文学館の顔』からどんな扉が生まれくるんでしょうね。これはまだ誰にもわかりません。創造の現場に立ち会えるのはエキサイティングなことですよ。
また報告します、お楽しみに・・・
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小林多喜二への書簡
同日、見せてもらった最新の貴重な資料のひとつが志賀直哉から小林多喜二への書簡です。前にも触れましたが、佐野さんにとって志賀直哉と小林多喜二はともに敬愛する文人ですから、これはぜひとも手に入れたいものだったのでしょう。幸運にも、運命とも言うべきか、入札でなんと八千円の差で手に入れることができたんだそうな。
ちなみに、この資料はその世界ではきわめて有名なものだそうで、入札には多くの人が参加したそうです。
もうひとつ付け加えるならば、この書簡が送られてまもなく、小林多喜二は官憲の手による拷問で惨殺されたのでした。
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写真クリックでもう少し大きな画像が開きます。 |
手紙は、基本的には多喜二に対する高い評価と激励の内容です。
どんな思想をもつことも自由であるが、文学は決して思想の道具となってはならないというニュアンスも含めて。実際には『主人持ちの文学』(共産党のプロパガンダ)とならないように、という記述のようです。
この手紙を受け取って、小林多喜二はひどく喜んだということが伝えられています。このすぐあとに悲惨な結末を迎えることになってしまいましたが。
これも私たちの歴史のひとつだということを冷静に受けとめる必要があるでしょうね。
ほかにもブレイクの手になる100部限定の水彩画と詩(シリーズもの)などを見せてもらいましたが、ま、これはまたの機会に・・・
2000年7月16日 古林 治 |