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77. 教育の本質
   受験を目的に生きる!?
   体遊び→豊かな心→優れた頭

 また久しぶりの更新になります。
30年間にわたるタケセン自身の実体験から紡ぎだされた教育論<教育の本質>をお届けします。
 白樺教育館はさまざまな活動を行っていますが、そのすべての活動の基盤がここにあります。小難しい理屈や理論ではなく、どのように生きるかを考える基本中の基本、本物の哲学がここにあると言っても過言ではありません。
 ご意見、お待ちしてます。もちろん異論・反論、大歓迎!

古林 治


教育の本質
   受験を目的に生きる!?
   体遊び→豊かな心→優れた頭

                         白樺教育館館長 武田康弘

受験を目的に生きる!?
そういう少年・少女時代をおくった人は、人間的に豊かでしょうか? 自他への愛が育っているでしょうか? 生きるよろこびを広げているでしょうか? 芯の強さをもった優しい心の持ち主になっているでしょうか? 余裕のある心身、豊かな実力をもった魅力ある人間に成長しているでしょうか?

私は、30年間、多くの子どもたちと深く交わってきました。多くの相談を受けてきました。多くの家庭崩壊を見てきました。目先の狭い了見や外的価値に基づくプライドによって、人生を暗く、重く、悦びの少ないものにしている人たちを見ると、「ほんとうに不幸だな」、と悲しくなります。自分で自分の首を絞めている、でもそのことに気づかない。形だけを整えようと必死になり、どんどん中身は狭く固くなる。情報に振り回され、他者の目を気にして自分の心のありよう・物事の本質を見ようとしないために、「出口のない世界」でもがき苦しむ。
そのことで一番犠牲になるのは、誰でしょうか?

ほんとうは、一つも難しいことはないのです。
自分と子どもの「ありのまま」をよく見ること。善悪を抜きに、まず、そのままを受容すること、それがはじめの=絶対の一歩です。理想・あるべき姿を追わず、目の前の現実を素直に見て、それを肯定し、受け入れるのです。

子供たち

そういう心が基本としてあれば、自ずと心身は動き出します。ありのままを受け入れると、世界が変わるのです。受動的な意識・脅迫神経症(きょうはくしんけいしょう)のような不安定な心・他者の評価に怯(おび)える弱い精神は、だんだんと薄らいでいきます。そうして、自分がよいと思うこと、自分がほんとうにしたいと思うことに「真っすぐ」になれると、心は、積極的・能動的に、強くなります。他者がどう言うか?ではなく、少しずつ自分を信じられるようになり、心は安定を得るのです。

大人(親・教師)子ども共に、そのような心の安定・広がり・発展があってはじめて、「勉強・学習」に落ち着いてとり組むことが可能になります。「心」を豊かに強いものにすることと一緒にでなければ「頭」も鍛えられないのです。これは人間の生の原理です。けっして切り離すことはできません。

おんぶ

では、豊かな心を生むための基本となる条件は何でしょうか?
それは、心身全体で子どもと交わることです。抱っこ、オンブ、たかい・たかい、ふざけ合い、取っ組み合い、肩もみ(足もみ)し合い、いろいろ工夫して体遊びをすることが必須です。率直、自由、柔軟、臨機応変・当意即妙のしなやかな心は、【心身全体による豊かな触れ合い】が生み出すもの。一本調子、融通(ゆうづう)が利かない、頑固、臆病、ギクシャク、固い自我、厳禁(げんきん)の精神、暴力性、居丈高(いたけだか)、尊大・・・は、豊かな体の触れ合いのなかった人に共通する悲劇(人生の失敗)です。

このような心の持ち主は、生きた有用な頭の使い方ができません。意味をつかみ、全体を把握(はあく)できる健康な頭脳とは無縁です。公理・公式にあてはめるだけ、ハウツーによるパターン思考、丸暗記の事実の羅列(られつ)、情報に操(あやつ)られる判断。こういう死んだ頭・機械のような不幸な頭は、上述した固く貧しい心がつくるもの。

二人

(とら)われの少ない意味をよくつかめる生きた頭は、情報に操作されずに、自分が真に自分自身としてよく生きるための絶対条件です。自立した優れた頭を、私は民知という知=頭と呼びますが、この民知の頭をしっかり育てれば、特殊な受験校(不健全な学校)以外ならば、特別な勉強などしなくても、入試は簡単です。私は30年間、哲学しつつ教育に携(たずさ)わってきた者として、自信をもって断言・保障できます。

楽しく・面白く触れ合い、たくさんおしゃべりすることが、力のある優れた頭脳を育てる必須の条件。どんな話でも、「へ〜、そうだったの、そうなのか」と聴くことが何より一番です。それは子どもの心を心地よくヌクヌク満たします。そういう心になってはじめて、いろいろな知識や考えを吸収する準備が整い、頭が回り出すのです。子ども・人間は機械=ロボットではありません。心と頭と身体は切り離せないのです。悦(よろこ)びのないところに、よきものは何一つ生まれません。みなの役に立つ優れた頭脳は育ちません。

心身の豊かな触れ合い、楽しい対話、この何より一番大切なことが極めて不十分にしか行われていないところに、教育からはじまる日本のすべての人間・社会問題の元凶(げんきょう)があります。これが、型はまりの様式主義の文化を生んでしまいます。
子どもの話を聞かずに、「こうしなさい、こうすべきです」、という躾(しつけ)と称する言説は、正直な心、自分の感じるところ・思うところにつき、そこから真に自分の頭で考えるという何よりも重要な営みを元から潰(つぶ)してしまいます。哲学は成立しようがありません。 頭の芯に「脅迫観念」が植えつけられて、紋切り型(もんきりがた)の面白みのない人間や、肩書きだけで実力と魅力に乏しい人間しかつくりません。テレビで政治家や官僚の顔を見れば誰でも分かるでしょう(全員とはいいませんが・笑)。まさに「顔は顕現する」(レヴィナス)です。

子どものありのままを受け入れ、よく付き合い、それを楽しむこと、それが教育の本質=原点です。理想・あるべき姿を追う愚かで弱い精神からの脱却が急務です。「幸福をつくらない日本というシステム」(ウォルフレン)を変えていくためにも。有用な優れた頭を育てたいならば、何よりもまず楽しくなれる「心の環境整備」が必要です。闘争・蹴落(けお)とし・勝ち負け・ギスギスの心は、遅かれ早かれ必ず人格破綻(はたん)をもたらします。

他者への優越・抑圧に過ぎない単なる「事実学」の集積ではなく、生活世界に根差した生きたほんものの知=「意味論」でなければ、有用な価値ある「知」にはなりません。心身全体による豊かな交流が、意味の分かる生きた有用な頭を育む、が結語です。

3人
タケセンー54才・式根島で昨年8月

(2007.3.19)


2007年3月20日
古林 治

 
 
 
 
 
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