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  • 229. 『緑と市民自治』(我孫子市全戸配布・福嶋裕彦発刊)誕生秘話        


    『緑と市民自治』紙 2号
    (1988年10月2日)で竹内哲学を
    解説・紹介した文章です.
    本文テキストは、
    教育館だより227を参照ください.

     一つの時代を切り開いて、福嶋我孫子市長誕生の原動力となった「緑と市民自治」紙は、いかにして誕生したのか?
     発行の意義を福嶋さんに提起し、記事を書き編集も共にした武田康弘館長の証言を以下に載せます。松戸のミニコミ誌「たんぽぽ」の依頼を受け、2006年に書かれたものです。我孫子市政治史の貴重な資料といえるでしょう。
     武田館長の影響で、社会主義=客観的理論を柱にしていた福嶋さんは、実存論=主観性の知へと改心し、大きく歩を進めることになったのです。

     また、「緑と市民自治」紙の2号では、哲学者・故竹内芳郎氏の我孫子での講演会=【盗まれた自由】の案内を載せ(講演文は1989年に筑摩書房から『ポストモダンと天皇教教の現在』として発刊された)、竹内哲学について武田館長が紹介しましたが、それは、小冊子『1991年討論塾・討論会』の中に全文を収めてあります。

     なお、同じく「たんぽぽ No.160 2004年1月1日」1で恋知者を育てる白樺教育館ソクラテス教室が紹介されています。その記事も載せておきます。

    ※「緑と市民自治」第1号 1988年6月12日 =>PDF
      「緑と市民自治」第2号 1988年10月2日 =>PDF

    「たんぽぽ No.185 2006年2月1日」

    豊かなを主観性を!
    逆転の発想

    福嶋我孫子市長の原点
    武田 康弘


    「たんぽぽ No.185 2006年2月1日」

     まず、皆が自分のありのままの「思い」を肯定し、そこから出発しようではないか。深く豊かな「主観性」を形成しあおうではないか。誰でも自分の頭の外には出られないのだから、絶対的な合意は得られないことを互いに了解しあおうではないか。

     人間・社会問題においては、「客観的な真理」という想定は背理であること。したがって、目指すべきは、原理的にありえない「正しい」人間や社会とは? を考えるのではなく、「魅力」ある人間や社会とは? を考えること。これが武田の思想ですが、その思想を支える哲学的な基盤は、解釈し直された「現象学」(最大の功労者は私の旧友・竹田青嗣さん)です。

     1987年の冒頭から始めた「哲研」(哲学研究会)では、従来の客観主義的な思想や哲学(その象徴は社会主義・共産主義)と様式主義=「型」 の文化(その象徴は近代天皇制・靖国思想)とは全く次元を異にする「実存論」的な思想とそれを支える「現象学」の探求をその主要テーマとしました。

     私の心友、現・我孫子市長の福嶋浩彦(当時33才・我孫子市議会議員)は、最初から「哲研」のメンバーでしたが、1988年に私の提案を受け入れ、個人紙「緑と市民自治」を発行。我孫子市の全家庭に新聞折込による配布を始めました。
     福嶋さんと私の二人で作成・編集したそのミニコミ紙の内容は、上記の思想・哲学に基づいたもので、当時まだどこにもなかった「考え」をつくり、それに拠る新しい社会運動を創造しよう! という意気軒昂なものだったのです。

     あえて文学的な言い方をすれば、私は私に閉じ込められているという「絶望」からの出発が、深い地点で、生産性に富む思想の湧出と、人間関係の深化・拡大を可能にしたのです。

     当時、社会党市議だった福嶋さんが依拠していた「社会主義」という体系的な思想から「市民自治」という「民知」 に基づく不定形な思想への跳躍が、その後の飛躍を可能にした原動力だと言えます。
    「合意」とは得がたいものであること、「客観的な真理」や「絶対的な基準」とは背理であることを互いに自覚しあうことが、非生産的で無用な言葉の応酬や、互いの「真理」の主張による深刻な対立を回避するための基本ルールではないのか?

     こういう当時としては (今でも?)逆転の発想は、人を強くします。自ずと心を鍛えます。しがみつく「学の伝統」や「思想信条」や「権威ある他者」は存在しないわけですから、皆の知恵、生活世界から立ち昇るふつうの知=健康な知だけが頼りであり、それを生かし合う道だけが残されている、ということになります。真理の保持者はいない、という民主制社会の原理=初心を絶えず賦活化させるこの「考え」を貫くことができるか否か?それが核心。

     当時、一人の社会党市議であつた福嶋浩彦は、実は、社会党内のルール破り!
    全戸配布の個人新聞-「緑と市民自治」を出すことで、一人の自立した政治家への道を歩み出したのです。この新聞の発行はその原点です。地域割りして出していた「社会新報・福嶋浩彦版」を廃止し、市内全域に配布する個人新聞を出すということは、当時どれほどの勇気を必要としたか?は、今では想像し難いことでしょうっ。

     最後の確認、「青別り」を前にして、柏の岡田印刷・待合室で再び悩む彼の姿は、今でも鮮明に脳裏に焼きついています。「もし、社会党内で困った事態になれば、私が責任をもって彼らを説得する。私が強引に全戸配布を決めたのだから。」という悪魔(笑)武田の断固たる囁き?で、善良な社会党市議・福嶋浩彦は、ルビコン川を渡ったのでした。
    白樺教育館・我孫子市在住


    「たんぽぽNo.160  2004年1月1日 」

    グループ紹介 (153)

    白樺教育館ソクラテス教室


    「たんぽぽNo.160 2004年1月1日 」

     我孫子でユニークな教育活動の会を主宰されている武田さんのことを聞き、すぐ連絡してみた。

     電話から子どもたちと未来を語るよどみない声が聞き取れた。

     我孫子市の中学校で行なわれていた、丸刈り強制を廃止に追い込んだ過程など、具体的で「哲学する」ことは、実践すること、という姿勢に大いに共感できた。

     手賀沼畔の段丘の一角に位置する「白樺教育館」に武田さんを訪ねる。
    玄関横の広い応接間兼書斎に案内された。温もりのある空間だった。後でそこもソクラテス教室の場と知った。

     武田さんがこの私塾を始められたのが1976年で、以来、我孫子周辺ではよく知られ、市の広報で武田さんは市民哲学者と呼ばれている。

     「哲学」と聞くとアレルギーを感じる人は、ぜひ武田さんのお話しを伺うといいかもしれない

     出発点は、「学」ではなく「生活」、ひとり一人が生きること、生き方を考えることである。

     「正しい社会」があるとしてしまうと「こんなふうに生きたい」という生への魅力が生じない。決められたことに従うだけの教条からは、より豊かに生きる方法は見つからない。

     現在の日本の教育は、近代思想をそのままに背負い、生活と学問をバラバラにしている。結果として現代日本社会を批判するわけで、最初から批判を意図しているわけではない。

     武田さんはこの原点から出発して、この私塾(小・中・高校生対象)以外に成人も対象とした哲学の会や講座も主宰されている。その一方で、市民チームを作り、社会運動を実践されている。
    丸刈り強制撤廃(89年)のほかに情報公開条例制定(95年)、白樺文学館創立(2001年)などと、地域に根を置きつつも、全国と全世界へ発信できる質を持った運動を展開されている。

     我孫子を舞台に活躍した白樺派に対する思いもまた、強く、武田さんたちの創造と実践という点で、1世紀を隔てて繋がっている気がした。たんぽぽとしても定期的に交流を持てたら、相互に刺激的ではとも思った。
    小林孝倍

     連絡先・本部館長 武田康弘さん
     我孫子市寿2-27-11
     ℡ 04.7182.7853

     発行=松戸市民ネットワーク
          『松戸で生きたい私たち』

     


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