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  • 214. 哲学対話 小笠原晋也‐武田康弘
       ‐ハイデガー存在論について‐

     精神分析家で東京ラカン塾主宰の小笠原晋也さんと館長・武田康弘の「ハイデガー存在論」についての哲学対話をご紹介します。

     下記のやり取りは散在している両者の投稿を西山 裕天さんがとりまとめたもので、そのまま掲載することにします。内容は少々煩雑ですが、最後のまとめだけでも読む価値があると思います。

     ちなみに、小笠原さんは「ハイデガーとラカン ―精神分析の純粋基礎としての否定存在論とそのトポロジー 青土社」の著者でもあります。



     小笠原さん、武田さん、横から失礼致します。
    ご両名が議論なさっている事について、個人的に非常に興味がありますので、注意深く拝見しております。
    ただ、ブログからフェイスブック、さらにツイッターと、媒体が多岐に渡っているようで、単純に各々の議論を時系列で追うのも困難となっています。
    そんなの勿体無さすぎる!
    ぜひ、広く皆様に紹介できればとの思いもあり、ご両人の文章をほぼ原文のまま整理してみました。
    個人的な整理ですので、間違いがあればご指摘ください。

    ① まず、小笠原さんが自身のブログ上で行った、「ハイデガーが親鸞に帰依した」云々の真偽についての指摘が、今回の出発点ですね。
    以下、発端となった小笠原さんのブログでの指摘です。

    まず、ハイデガーが親鸞へ帰依したという内容が書かれた中外日報掲載の記事を検証してみると、その些かドラマティックな書き口から疑いが投げかけられ、以下のように検証が進んでいきます。

    ・ 資料の裏付けができない
    ・ 出版されているハイデガーの日記「黒ノート」中にこの事柄への言及が無さそうであるという点
    ・ 60年代のハイデガーの思想に於いて東洋思想への言及が皆無である点
    ・ 英文で読みドイツ語で記されたであろう日記を日本語に訳したにしては、歎異抄の原文が不自然に正しく再現されている点
    ・ かつハイデガーが当該記事で言われる意味で「匂い」という比喩表現を使用するテクストを見たことがない点

    等を挙げ、ハイデガーの親鸞への傾倒を、松野尾潮音氏のでっち上げであると結論付けております。
    (すみません、ブログ全文を載せる事が困難でしたので、要約させていただいております。間違いがあれば訂正をお願いします。)

    ② これに対し、武田さんが

    「ハイデガーは、1966年のシュピーゲル対話で、自身の存在論の挫折を語り、哲学にはもはや何も期待できないと語りました。哲学のかわりは、科学、サイバネティクスだと述べていますから、その点からは、親鸞に傾倒したという話もありうるのではないか、と思います。
    われわれ人類は、いつか(何百年後?)現れる神のようなものを待つだけだ、と語るハイデガーは、自らの名において、デカルトにはじまる近代西欧哲学(スコラ哲学の改革)の終焉を語ったと見るのが妥当だと思いますが、如何お考えでしょうか。」

    とのコメントを小笠原さんのブログに投稿しました。

    ③ これに対する小笠原さんの回答は、

    『Heidegger は,1966年09月23日,ドイツの代表的な報道週刊誌 Spiegel を創立したジャーナリスト Rudolf Augstein (1923-2002) によりインタヴューされました.
    が,Heidegger の要望で,それが誌上に発表されたのは,彼の死後,1976年05月31日付の同誌においてでした.今は GA 16 に収録されています.
    Spiegel-Gespräch mit Martin Heidegger 1976年05月31日付 Spiegel に発表されたテクスト(原文ではここにURL)
    A 16 に収録されているテクスト(原文ではここにURL)
    父の著作権の相続者である Hermann Heidegger は,Spiegel 誌による部分的改変を修復したテクストを GA に収録しています
    ともあれ,親鸞会が喧伝している「Heidegger の親鸞への帰依」は,その元ネタを 1963 年に作った 故 松野尾潮音 氏の言う「ハイデガーの老後の日記」がまったくのでっちあげである以上,虚語にすぎません.
    1966年の Spiegel-Gespräch においても,Heidegger は こう断言しています。
    ハイデガー:「わたしの確信は,つぎのとおりである:世界において,そこから 現代の〈科学技術が支配的な〉世界が発したところの場所[つまり,西洋]— その同じ場所からのみ,ひとつの転回も 準備され得る;その転回は,禅仏教 または そのほかの東洋的な世界経験を借用することによっては,起こり得ない.思考転回のためには,ヨーロッパの伝統と その新たな習得とが 必要である.思考は,同じ由来と規定とを有する思考によってのみ 変えられる」(GA 16, p.679).
    つまり,Heidegger にとってかかわっているのは,存在の歴史を,形而上学の歴史の可能性の条件にさかのぼって,問うこと,かつ存在の歴史における形而上学の歴史の可能性の条件について問うことによって,形而上学(= 哲学)の歴史が その満了において 行き着いた 現代のニヒリズムの本態を明らかにし,かつ,それによって,いかにして現代のニヒリズムは超克され得るか を問うことです.』

    ここまでの文章にて、今日はここまでと区切っておられます。

    ④ 次に武田さんのコメントです。

    『小笠原さん、わたしは、ハイデガー自身が語った大きな思想の転換についてお尋ねしようと思います。
    1966年に行われた※「シュピーゲル対話」におけるハイデガーの哲学敗北宣言についてです。 (※最初の邦訳は1966年9月の「理想」520号で題名は「ハイデガーの弁明」。それに手を加え、表題をドイツ語の原題通り「シュピーゲル対話」として平凡社ライブラリー『形而上学入門』1994年刊に収録されている)。
    その中で、ハイデガーは、「われわれは不在の神の前で没落している」「いつか現れる神のようなもを期待して待つことしかできない」「哲学は無力だ」と述べ、
    「哲学のかわりは、サイバネティクスとなる。哲学は個別諸科学へと解体する」(390ページ以降)と述べています。
    そして394~5ページ、シュピーゲルは、ハイデガーに質問します。
    「あなたは2年ほど前に、ある仏教僧 (※西山注) との対話の中で、「思惟のある全く新しい方法」ということを言われ、思惟のこの新しい方法は、「さしあたりただ少数の人間にとってだけ遂行可能」であると語られました。・・・」
    ハイデガーは、
    「ごく少数の人々が、その洞察をある程度まで言うことができるという全く根源的な意味においてそれを『待つ』のです。」と応えています。
    この流れで言えば、浄土真宗=親鸞に接近した可能性は、思想次元においては、大いにありうることと思いますが、どうお考えでしょうか?』

    ⑤これに加え、さらに武田さんから、

    『なお、わたしの考えの最大のポイントは、【ハイデガーの思想の大転回】の問題です。
    ハイデガーの存在論の挫折は、皆が承知していますが、
    人間の意識・関心を超えて「存在とは何か」を問えると考えるのは、「神が世界を創造したという一神教的思い込み」が背後にない限り不可能であり、
    『存在と時間』で宣言した存在そのものの記述は、はじめからありえぬ話で、敗北宣言は必然とわたしは見ています。
    それが「シュピーゲル対話」でフィロソフィーと個別科学の次元の相違さえも分からなくなるまでに混乱し、無様な姿をさらすことになったのだと思います。
    結論を先取りして言えば、彼をもって17世紀デカルトに始まる近代西欧哲学(スコラ哲学の改革版)は、幕を閉じたというのがわたしの俯瞰です。
    なおハイデガーがギリシャ哲学、ソクラテス以前の自然学を持ちだして西洋とし(ギリシャやその思想を西洋とすること自体が歪んだ見方)、その伝統云々というのは、極めて一面的な理解でしかないのですが、それはまた後で主題化しましょう。』

    とのコメントが続きました。

    (※西山注)この部分についての別の質問
    武田さんのコメント

    「ここにある【仏教僧】とは誰をさすかは分かりません。
    独自の禅哲学の久松真一さんとの対話(久松信一全集に収録されている有名なもの)は、1958年なので、彼でないことは確かです。66年の2年ほど前ではありませんので。
    なお、久松さんは、「覚」の立場で絶対者と自己との同一を説き、キリスト教も浄土教も「間」をもつために、「覚」(真の自覚)にはないと批判します。」

    これについて小笠原さんからの回答、

    「1963年秋に Heidegger のもとを訪れた仏教僧は,Maha Mani という名のタイ人です.最初の対話は二時間以上続いたそうです.より短い対話が,1963年11月に,テレビカメラの前で収録されました」

    ⑥ これに対する、小笠原さんの回答が以下になります。

    『まず,Heidegger が親鸞思想(浄土真宗)に関心を向けたことは ない,ということは,昨日も指摘したように,松野尾潮音の言う「ハイデガーの老後の日記」は まったくの作り話であること,および,Spiegel-Gespräch で Heidegger が「仏教を借用することは問題外だ」と述べていることからも,明らかです。
    ついで,Heidegger は Spiegel-Gespräch において「彼の存在論の挫折」について語ったのでしょうか?「ハイデガーの存在論の挫折は 皆が承知している」のでしょうか?日本ではそう思われているのかもしれません.しかし,世界中で Heidegger を研究している者たちは,そうは思っていません.
    まず,Heidegger が単純に「哲学」と言うとき,それは,形而上学のことです.「哲学は終わった」[ die Philosophie ist zu Ende ] (GA 16, p.672) と 彼が言うとき,それは,「形而上学は終わった」ということです.いつ? Heidegger は,形而上学の満了 [ Vollendung ] を,Nietzsche に見てとります。
    武田康弘さんの思考は,認識論の次元にとどまっているように思われます — 西洋的なものであれ,仏教的なものであれ.Heidegger は,認識論は問題にしません.彼の思考 — 彼が das andere Denken[ほかの思考]と呼ぶもの — は,抹消された「存在」の穴について問うことに存します.
    抹消された「存在」[ das durchgekreuzte Seyn ] の穴について問う思考を,Heidegger は,das Denken des durchgekreuzten Seyns[抹消された「存在」の思考]とも呼びます.そして,その思考は,die Geschichte des durchgekreuzten Seyns[抹消された「存在」の歴史]を問うこととして 展開されます。(原文にはここに図が添付)
    die Geschichte des durchgekreuzten Seyns について問題になるのは,源初論的な「抹消された存在」の穴の閉塞と,終末論的な「抹消された存在」の穴の到来です.ですから,Heidegger は,die Eschatologie des durchgekreuzten Seyns[抹消された「存在」の終末論]という表現も使います.
    今,Heidegger の Schwarze Hefte[黒ノート]を読んだ我々は,彼の Spiegel-Gespräch に 終末論的な調性を 明瞭に見て取ります.抹消された「存在」の歴史の終末に 何が成起するのか?抹消された「存在」の穴の開出 [ Aufgang ] です.それを Heidegger は「自有」[ Ereignis ] と名づけます.
    周知のように,Ereignis という単語の辞書的な意味は「出来事」や「成起」です.しかし,Heidegger が Ereignis と言うとき,それは,単純に,存在の歴史のなかに位置づけられるひとつの出来事ではありません.そうではなく,それは,終末論的な「出来事」であり,終末論的な「成起」です.』

    ⑦小笠原さんはここで一度区切り、以下のように続きとなる回答を投稿しております。

    『Heidegger は 哲学者として 成功したのか,失敗したのか?彼の哲学は 勝ったのか,負けたのか?というような問いを,わたしは措定しません.
    Heidegger 自身,彼の Gesamtausgabe[全集,全 102 巻]の第 1 巻の巻頭に,"Wege — nicht Werke" と記しています.
    "Wege — nicht Werke" : すなわち,Heidegger の Gesamtausgabe は,ひとつの思考の歩みの道[足跡]であって,「ハイデガー思想」や「ハイデガー哲学」の体系的な構築のために著わされた作品[著作]ではない.
    我々にとって問うべき問いは これです:何を我々はHeidegger の足跡から学び得るか?
    何を 我々は Heidegger の思考の足跡から 学び得るか?
    ある人々にとっては,学ぶことは さしてないでしょう.
    Heidegger からよりは,親鸞から学ぶことの方が多いのでしょう.
    他方,Lacan は,Heidegger から多くを学びました — 精神分析の純粋基礎づけのために.我々は それを 否定存在論 と名づけます
    「ハイデガーの存在論」があるとすれば,それは das Denken des durchgekreuzten Seyns[抹消された「存在」の思考]です.
    それを 我々は より簡潔に「否定存在論」[ die apophatische Ontologie, l'ontologie apophatique ] と呼びます —「否定神学」[ la théologie apophatique ] にならって.
    Heidegger の思考の歩みにおいて「方向転換」[ Kehre ] があったとすれば,それは このことに存します :『存在と時間』におけるように 形而上学から出発して「存在の意味」について問うことから離れて,逆向きに,終末論的な Ereignis[出来事]—「自有」— から出発して,存在の歴史を振りかえること.
    Heidegger の思考の歩みの方向転換を画するのが,1936年の Beiträge zur Philosophie (Vom Ereignis)[哲学への寄与(自有から出発して)]です.しかし,それが出版されたのは 1989 年のことです.さらに,抹消された「存在」の重要性を証している「黒ノート」が出版されたのは,ごく最近のことです.
    したがって,Heidegger 研究者たちが Heidegger の思考の歩み全体の意義について何とか問うことができるようになったのは,やっと この数年来のことです.
    ですから,武田康弘 さんにも「Heidegger について何か決めつけをするのは まだまだ時期尚早ですよ」と申し上げたいと思います.
    ただ,Lacan は — Lacan だけは — 早くも 1950年代に Heidegger の「抹消された存在」と その topologie の根本的な意義に 気づいていました.それは,Lacan が「精神分析の終結」という終末論的な問いを 常 日頃から 問うていたからにほかならない,と 今 我々は 言うことができます.』

    ⑧次に武田さんより、小笠原さんからの指摘⑥に対する返答が入っております。

    『西山君の書き込みで、はじめてツイッター上の小笠原さんのことを知りました。
    わたしはツイッターをやっていないので(登録だけしてある)、短すぎて何だか訳がわからなかったので、とてもありがたい。助かります。
    で、はじめに、「武田さんは認識論の次元に留まっている」、との小笠原さんの批判についてです。
    ハイデガーも師のフッサールにより現象学(認識の原理論)を学び、それを彼の存在論へともっていったわけですが、
    そもそも純哲学的領域ともいうべき認識論を踏まえないのなら、存在論もまったく意味をなさない独断に陥りますから、「ハイデガーは認識論を問題にしない」というのであれば、存在論は根の張る場所をもちません。
    小笠原さん、ハイデガーは現象学(認識の原理論)を踏まえないで=問題にしないで自身の存在論を書いている、という判断でよいのですね。
    一度にいくつもですと混乱しますから、まず、この問題について対話しましょう。』

    ⑨さらに武田さんによる、小笠原さんからの指摘⑥に対する返答コメントが、

    『2.次にハイデガー存在論の「敗北」についてです。
    彼は、戦前に書かれた主著「存在と時間」の冒頭で、存在すべてについての記述を宣言し、まずは、人間存在(ハイデガーは現存在と造語)の分析と書きましたが、その後、肝心なはずの第二部(存在全般について)は、書かず、書かない理由も書いていません。
    それはふつうの言語で言えば「敗北」です、ハイデガーはそう思わないと言っても話になりません、言語は一般意味がベースですから、自分にしか通用しない言語では、言語の資格がありません(言わずもがなです)。
    それを「存在開示」の哲学から、【ほかの思考=存在の穴(抹消された「存在」の歴史)を問う】と言ってみても、なぜどのような理由で変えたのか、の説明すらないのは、あまりも不誠実ですし、そもそも「存在の穴」についてもまったく分明にしていません。
    彼の不誠実で自分勝手な論理=言動は、自らナチ党員となり、学生に向けてナチに加盟するようにヒトラーばりの大演説をした(映像が残されていてNHKでも放映)自身の言動についての反省・自己批判がないことで証明済みですが、後期の彼は、ヘンダーリンの詩に心酔して、詩を思索の代りにしたのには呆れ果てます。明晰な言語で語ることができないまでに追い詰められても、それを認めない。
    形而上学を否定し、従来の西欧哲学(形而上学)は、諸科学に分解されるというのは、そもそも【フィロソフィーとは何か】を明瞭につかんでいない証拠です。【知+恋愛の情】(philosophis)という意味でソクラテスが造語した地点に戻るべきだ、とわたしは確信しています。
    「自然学」ではなく、「恋知」が誕生した意味を知れ!ですね。個別科学(学問)が、対象を狭く限定し、出来得る限り質的相違を数量化することで得られる一定の「客観性」は、それゆえに、総合判断は不可能で、理性(総合判断)のための手段に留まるのです。これは、初歩的な原理です。』

    と続いており、現在も進行中です。

    もうすでに結構な量ですね。(9/16 10:00)
    いや文句なしに凄い分量です。(9/17 0:30)



    以下、まとめ第二弾です。前ページ⑨からの続きになります。

    ⑩小笠原さんからの返答です。

    『問題のひとつは,認識論 (Erkenntnistheorie) の位置づけです.確かに Heidegger は Husserl のもとで 認識論的現象学を学びました.しかし,Heidegger が Husserl のもとから離れた(Husserl は それを 裏切りと感じました)のは,まさに,Husserl の現象学が認識論的なものにとどまっていたからです.
    Heidegger は,現象学をこう定義しています。
    :自身を示現するもの[すなわち,存在]を,それが みづから 自身を示現するがままに,それ自身から発して,見えるようにすること
    [ das was sich zeigt, so wie es sich von ihm selbst her zeigt, von ihm selbst her sehen lassen ].
    『存在と時間』における この現象学の定義は,実は,既にフッサール的(認識論的)なものではなく,むしろ,ヘーゲル的です.
    つまり,かかわっているのは,Hegel が「精神の現象学」と言うときの「現象学」です.
    であればこそ,Heidegger は「存在論は 現象学としてしか 可能ではない」と言います.
    認識論が「認識する」や「知る」や「認知する」にかかわるのに対して,Heidegger の存在論(我々が「否定存在論」と呼ぶもの)は「生きる」や「死ぬ」や「存在する」や「入滅」[ Untergang ] や「開出」[ Aufgang ] にかかわります.
    否定存在論を「証明」することはできません.それは一種の公理系です.
    否定存在論にもとづいて,我々は,「知る」や「認識する」を行うのではなく,生を実践します.
    特に,我々 精神分析家にとってかかわるのは,精神分析という生の実践です.
    それは,Heidegger の用語で言えば,「自有」[ Ereignis ] を目ざします.
    精神分析の用語で言えば,「欲望の昇華」を目ざします.
    Heidegger 自身は,Spiegel-Gespräch において,彼の教えの目的をこう表現しています:人間を「存在事象への堕落(頽落)」[ die Verfallenheit an das Seiende ](要するに ニヒリズム)から解放すること.
    その表現を用いるなら,「自有」[ Ereignis ] は,「存在事象への堕落からの解放」に存します.
    Heidegger が目ざす(そして,期待する)自有は,何らかの知や認識にかかわるものではなく,存在事象への固着からの解放によって実現され得る ひとつの存在様態(生きざま)のことです.問題は,「如何に 我々は 知り得るか?」ではなく,「如何に 我々は 存在し得るか,生き得るか?」です.
    認識論と否定存在論との決定的な相違を,我々は,Lacan に準拠して,こう述べることができます。
    :認識論は「大学の言説」[ le discours de l'université ] の構造のなかにとどまるのに対して,否定存在論は「分析家の言説」[ le discours de l'analyste ] の構造への移行の可能性を基礎づける.(原文ではここに図)
    いきなり Lacan の用語と図式を持ち出してきても,武田康弘さんは面食らうだけでしょう.
    より詳しい説明は 来週に譲ります.ともあれ,認識論は形而上学的であるにとどまるのに対して,Heidegger と Lacan と 我々にとってかかわっているのは,形而上学の超克と,それによる ニヒリズムの超克です.』


    外部からのコメント1  2020. 9.18  Osamu Furubayashi

      以下、感想です。 小笠原さんの主張、
    【認識論が「認識する」や「知る」や「認知する」にかかわるのに対して、Heideggerの存在論(我々が「否定存在論」と呼ぶもの)は「生きる」や「死ぬ」や「存在する」や「入滅」[Untergang]や「開出」[Aufgang]にかかわります. 否定存在論を「証明」することはできません.それは一種の公理系です。 否定存在論にもとづいて、我々は、「知る」や「認識する」を行うのではなく、生を実践します。】

    という箇所に象徴されると思いますが、 フッサール現象学をきわめて狭義に捉え、意識の指向性とか欲望論とはとらえていないように見えます。
    【「生きる」や「死ぬ」や云々】という話は、むしろフッサールとその認識論の上に発展させたサルトルの方が、切羽詰まった生々しい思索の中にはるかに優れた形で現れていると思えます。
    フッサールとサルトル、どちらも難解ではありますが、足が地についています。
    かたや、「否定存在論」という超越的な概念を持ち込んで論を展開する小笠原さんの主張、それにシュピーゲル対談のハイデッガーの主張も「言葉が上滑り」している印象です。
    私には、一神教世界が生み出した幻影と独り相撲を取っている姿が思い浮かびます。
    まさに西洋哲学の末路であがいているのではないか。
    サルトルはその点ではもはや西洋哲学の枠組みを超えているのだな、という実感を最近持つようになりました。

     

    ⑪武田さんによる⑩を受けての返答と、今までの議論全般に対する返答です。

    『神学であれ、否定神学であれ、存在論であれ、否定存在論であれ、本質は同じで、【言語論理中心主義】で、赤裸々な人間存在を照射することは不可能です。
    人間の生きる意味、人間とはどのような存在かは、各自が一からつくる以外にはありません。個別科学ではないのですから、存在意味も存在価値も各自が自由と責任により豊穣化させる以外はなく、積み上げはできません。
    フッサールの「意識の志向性」(意識だけを取りだすことは不可能で意識とは必ず何ものかについての意識である)という哲学革命に学んだサルトルの【現象学的存在論】(『存在と無〗)は、各自の実存(赤裸々なその人の存在)とは、本質(予め定まった人間の定義)に先立ってあるという有名なテーゼ(「実存は本質に先立つ」)の通り、一人ひとりの人間としての生を、正しく個人に返すもので、思想=論理により解決できるレベルの問題ではありません。
    ③ の結語 (※西山注) は、ヨーロッパ中心主義もいいところで、かつタレスもソクラテスもみな西洋という括りでは、欧米人の我田引水の見本です。現トルコーギリシャの古代エーゲ海文明は、インドとの近親性をもち、紀元前3~2世紀には仏教とギリシャ王たち(ポリスの王)たちと仏教徒たちとの哲学的対話が残されていますが、多くのギリシャ王は仏教に帰依しています。
    だいたい周辺革命はトインビーが言い出し、今では常識の部類です。同じ場所で漸次発展するものではないのです。
    また、古代インド(ブッダ以前)の思想の深さ・豊かさは驚くべきものです。
    いま細論はできませんが。
    ⑦の終末論的な「自有」から出発して、存在の歴史を振りかえること、という思想は、完全に宗教であり、内在的に考えをつくり鍛えるというソクラテス出自のフィロソフィーとは無縁です。
    いま、目についた点について少しだけ記しましたが、もう夜遅いのでこれくらいに。小笠原さんの現象学理解は大いに疑問で、書きたいことは山ほどありますが。』

    さらに続きます。

     いま、読み返していて、これは書いておかないといけない、と思いましたので少し。
    「ともあれ,認識論は形而上学的であるにとどまるのに対して,Heidegger と Lacan と 我々にとってかかわっているのは,形而上学の超克と,それによる ニヒリズムの超克です」
    との小笠原さんの結語についてです。
     認識論は、カントまでであれば、「形而上学的」という批判も甘受できますが、ハイデガーの師のフッサールは、そうではなく、原理的にこういうしかない、という地点まで追い詰めています。フッサールの現象学は人間認識の意味と価値の問題について分明にし、主観対客観の難問を見事に解いたものです(内容を詳しく説明するのは、対話の領域を超えてしまいますので今はできませんが)。 なお、フッサール自身がかれ以前の哲学者をどのように位置付けていたかは、「ヨーロッパ諸学問の危機と先験的現象学」(講演を基に書籍化)に詳しいです。現象学は「イデーン」ですが、その「おわりに」(本の先頭)に、最重要な「志向性」の概念についての明瞭な説明があります。
     また、【ニヒリズムの超克】は、意識の内側から行うもので、すでに紀元前の根源的実存思想(ソクラテス・ブッダ・老子)が果たしています。その芯を受け止めることが何より重要というのがわたしの考えです。高校生なら、中学生でもおおよそは分かるように「恋知第2章」に書きました。ネットで読めます。 「人類文明の三分類と恋知」も。

     =>恋知第2章   =>人類文明の三分類と恋知

    (※西山注)
    この部分、引用がないので一応要約したものを載せておきます。
    ③の最後で紹介された、

    「現代世界の転回は、現代世界の母体である西洋からのみ考えるべき。またその転回は、伝統的な形での、また新たな形での”西洋の伝統”の習得によるもので、東洋思想が取って代わる事は無い。思考は、淵源を同じくする思考によってのみ転回し得る。」

    という、ハイデガーの語るハイデガー自身の確信、及びそれに続く小笠原さんの結語、

    「ハイデガーにとっての問題とは,形而上学が担ってきた存在への問いを,”形而上学の展開次第であり得た可能性としての形而上学”の条件を探り、問う事だった。この問いから、現実の形而上学(= 哲学)が行きついた現代のニヒリズムを理解し、それを超える事だった。」

    の部分と思います。
    (私の理解による小笠原さんの論説の要約です。間違っていたらご教示願います。単純化しすぎた気もしますし……。)

    外部からのコメント2  2020. 9.19  内田卓志

    内田卓志さんからのメールです。
    ーーーーーーーーーーー
    私の興味の中からメールします。
    ハイデガーが親鸞から影響されたか、されていないか。
    分からないし、どちらでもよい。道元の場合も同じ。
    ただ、鈴木大拙や三木清から聞いているかも。翻訳者の川原先生のほか、親鸞らを知る日本人の弟子や訪問者が多かったでしょうから。
    ただ、渡辺二郎先生らのように、近年の日本のハイデガーの権威の方々は、ハイデガーと仏教思想とは関係ないと断言する方が主流のようです。ひと昔の理想社版などはかなり仏教用語を使ってますね。今の創文社全集も『有と時』と訳したり
    仏教的か・・・・(笑)。
    ハイデガーが、晩年形而上学・哲学の絶望したとか・・・。私も武田先生と同じで形而上学だけでなく、近代哲学全般に対して、もっとさかのぼってソクラテス以来の哲学に対して絶望したのではと思っています。
    木田元先生やデリダのハイデガー解釈を読んでいると私の誤読なのか、やはり反哲学とか解体とかそんな感じを受けます。
    →対話でのハイデガーが、形而上学や哲学に絶望したとの見解については、翻訳者の川原栄峰先生に伺っておけばよかったと後悔しています。比較思想学会で何度かお目にかかりました。面白い先生でした。
    今は昔です。
    「武田さんは認識論の次元に留まっている」、との批判にたいして、先生はハイデガーも師のフッサールにより現象学(認識の原理論)を学び、それを彼の存在論へともっていったわけですが、そもそも純哲学的領域ともいうべき認識論を踏まえないのなら、存在論もまったく意味をなさない独断に陥りますから、「ハイデガーは認識論を問題にしない」というのであれば、存在論は根の張る場所をもちません。
    以上の先生のご見解は、武田先生さすがだと思います。フッサールの理解の深さでしょうか。
    後期のハイデガーは、どうも人間の認識を飛び越えて存在に直参してします。(笑) 人間存在、つまり認識の主体は、二次的になっていきますので認識論に留まるとの見解になるのでしょうね。
    サルトルならどう考えたか。ハイデガーを無神論的実存主義といってましたね。サルトルから考えるとよくわかるような感じがします。
    最後に、武田先生らしいご見解、
    人間の意識・関心を超えて「存在とは何か」を問えると考えるのは、「神が世界を創造したという一神教的思い込み」が背後にない限り不可能であり、『存在と時間』で宣言した存在そのものの記述は、はじめからありえぬ話で、敗北宣言は必然とわたしは見ています。
    今回、先生のハイデガー解釈が明確になったと思います。ここが芯、肝ですね。実存を超えて、存在を問うことはできない。それが可能なのは、宗教の業であり、人の行為ではないということでしょう。ハイデガーも認めるでしょうけど、ereignisは、実存の行為や作為ではないのですから。
    今度お会いした時に、ゆっくりとまたご教示ください。私もまたハイデガーを思い出してしまいました。川原先生のことも。

    ⑫小笠原さんから返答がありましたが、ここに掲載した文章と重複すること、膨大な引用により全体として長大なものとなっています。また仔細に入り過ぎ、そのまま掲載すると論旨がよくわからなくなってしまいますので、下記を参照ください。可能であれば後日要旨を掲載します。

    武田康弘氏への答え  2020.9.21

    ⑬ 武田さんによる⑫を受けての返答です。 2020.9.21

    小笠原 晋也さん、丁寧にありがとうございます。
    一読して分かるのは、小笠原さんは、人類の思想史を事実として知らないために、根本的に間違った認識をもっている、ということです。
    それは日本人の学者や研究者によくあるふつうのことですので、順を追って、反省していこうと思います。すでに書いたものもありますので、それらを交えて。
    この営みは、生産的になるのではないかと思います。
    では、また後で。

    さらに続きます。

    小笠原さんの返信は、たいへんな分量ですが、
    まず、事実関係の問題から一つづつ明瞭にしていきましょう。
    小笠原さんは、ハイデガーの西洋理解を追認にして、それが真理だと考えていますが、まず、ソクラテス以前の哲学者たちを生んだ現トルコからエーゲ海の島々とアテネを中心にして「古代エーゲ海哲学の旅」を4か月かけて行った染谷裕太君’(中1から10年以上の教え子)のレポートをお示しします。
    エロースの愛を動力源とする【古代エーゲ海文明】と、
    セム語族から生まれ、印欧語族との融合により誕生した【キリスト教の思想】(古代ギリシャ哲学を換骨奪胎して神学に変えたもの)=【エロース=性愛と恋愛の情】を否定して【アガペー=神への愛や同志愛・兄弟愛】を説いた文化の根本的な違いが映像や文章からよく分かると思います。人種からして違います。

    トルコ・ギリシャ、エーゲ海文明の旅

    アソス遺蹟(トルコ)と こどもたち
    最高の写真と興味深い対話です。ぜひ、ご覧下さい。
    クリックで大きな画像見れます。


    アクロポリスから少し下った場所にある劇場(前4世紀)。

    ラオディケア近くの村の子ども達。内陸に入るとより素朴。

    ⑭ 武田さんの投稿が続きます。 2020.9.22

    以下は、小笠原信也さん(ラカンやハイデガーの研究者で精神分析医)との討論的対話の続きです。

    「形而上学」について。

    小笠原さんは以下のように書いています。

    「・・今や,地球上のどこであれ,科学と資本主義が支配的であるところは すべて「西洋的」である — アジアであれ アフリカであれ.それは,現代の科学と資本主義が,西欧において始まり,西洋諸国から出発して 全世界を支配するようになったからにほかならない.
    我々の課題は,科学と資本主義によってもたらされた 現代のニヒリズムを超克することである — なぜなら,ニヒリズムこそが 現代世界が陥っている行き詰まりの核心を構成するものであり,そして,科学と資本主義によって規定されたニヒリズムは,今や,人間を単なる労働力として非人間的に搾取するだけでなく,全人類の共通の家である地球を破壊し,人類の存続そのものを危うくしているからである.

    そのようなニヒリズムの超克は,Heidegger が我々に教えているように,東洋思想をどこからか借用してくることによってではなく,しかして,科学と資本主義の支配をもたらした西洋の形而上学そのものの 源初 [ Anfang ] と 満了 [ Vollendung ] とを見極めることによってのみ 可能となる.そのためにこそ,Heidegger は,Vorsokratiker を含む古代ギリシャの哲人たちと Nietzsche とに取り組んでいるのである.」

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    対話の核心中の核心である「形而上学」についてわたしの見方をご紹介します。

    日本では馴染みのない言葉ですが、
    古代エーゲ海文明(エーゲ海周辺の現地人とアーリア人の混血による)を【換骨奪胎】して自分たちのもとした西欧人(【我田引水の見本】ですが)には、馴染み深い言葉=概念です。
    形而上学は、プラントの弟子のアリストテレスに始まります。

    以下に、2013年に書いた「恋知」第2章の結語から一部です。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     プラトン(ソクラテス思想)に教えを受けたアリストテレスは、恋知・哲学の核心であるイデア論を否定し、再び「自然哲学」を中心とする思想に戻ってしまいます。倫理学も自然哲学から導かれるものとなります。

     彼の『自然学』(正式には『自然学講義』)は、自然研究の原理論ですが、『形而上学第一巻は、『自然学』において定義された概念・思想を前提にしていますので、『自然学』は、アリストテレス哲学全体の原理を提示したもの、と言われます。

     そこには、有名な「四種類の原因」が提示されています。生成と消滅、自然におけるすべての変化の「原因」は4つあり、それは、「質量・素材因」と「形相ないし範型」と「始動因」と「目的因」だとされます。いま詳しい説明は省きますが、問題は、最後の「目的因」です。当然、人間の製作物なら目的はありますが、自然(の変化)に目的があるとは?彼は、自然の研究者は、四原因をすべて知らなければならないと言い、雨が降るのも偶然ではなく、穀物を成長させるという目的がある、と言います。

     この「自然によって存在し生成するものの中には目的が内在する」という主張は、キリスト教が水と油のギリシャ哲学を換骨奪胎していく原因となった、とわたしは見ています。神=創造神が人間を含む全自然をつくったとする一神教であるキリスト教(前身のユダヤ教・旧約聖書に始まる)にとって、人間と自然の一切を説明する「神学≒学問」をつくることは必須でしたが、そのためには、キリスト教思想とは全く異なるギリシャ哲学(世界最高峰の知)を使うほかありませんでした。

     ソクラテス・プラトンの「善美への希求という座標軸」(それがイデア論の核心)をもつ恋知においては、自然研究(研究者の知的好奇心による)と、人間の生き方(万人にとって必要な探求・吟味)とは次元を異にする知との考え方でしたので使えませんが、アリストテレスの哲学は、すべてにおいて「万能の神の計画」があるというキリスト教神学には好都合で、ピタリとはまります。自然学と倫理学とは一つになり、壮大な物語がつくれますので、全世界・全人類をキリスト教神学≒学問で覆う(支配する)ことが可能となったのです。

     では、なぜ古代ギリシャのアリストテレスが「目的因」という非学問的な思想を哲学の中心に入れたのでしょうか。それは、彼が、知の核心であるイデア論を否定することでタレスに始まるプラトンまでの全ギリシャの知を統一しようとする意図をもったからなのですが、今は詳しくは書けません。

     問題の核心は、「善美のイデアへの希求」という座標軸がなくなると、人間の生の意味と価値について吟味する足場が失われてしまうので、人間と自然のすべてを貫く「目的因」という物語をつくらざるを得なくなったことにあります。これによって、倫理や政治までも自然学から演繹されることになりましたが、それは、近代のドイツ観念論を通して遠く戦前の日本を代表する哲学者・田辺元(数学・物理学・哲学)にも影響し、天皇制の正当化の理論=「天皇を中心とする日本の国体は、太陽系と同じで、宇宙の原理に合致する」にもなっています。

     このように自然学から意味不明の演繹をする異様な思考は、すべてに目的があるとする神話的な考え=「目的因」と重なっていますが、わたしはそこに、幼児のもつ「万能感」の延長がつくる歪みを感じ、怖さを覚えます。肥大した外的自我の怖さです。それは、国家主義の論理を生み、一人ひとりの生への抑圧を正当化します。更に言えば、自然征服という人類中心のエゴイズムが生じたのも、この「目的因」という強引な概念のねつ造に深因があるように思えます。

    武田康弘

     

    以下、武田さんによるまとめです。 2020.10.19

    小笠原晋也さんとのやりとりのまとめ。 ー西欧哲学を超えてー 哲学から恋知へ。  

     小笠原晋也さんから、わたしとの対話拒否の意思が示されましたので、
    最後に簡単にまとめを書きます。

     思想・哲学に携わる日本人の多くは、
    ヨーロッパ中心主義者ですが、小笠原さんは、それが正しいと強く主張しますので驚きます。【カトリック信仰とハイデガーとフロイトとラカン】を一体化させ絶対化させます。

     そもそも、西欧人が主張するように「学問・哲学は西欧の専売特許!」ではありません。
    紀元前6世紀にいまのトルコ・ギリシャのエーゲ海沿岸ではじまった自然哲学(学問の総称)は、アテネで
    ソクラテスが「恋愛+知(プロソピア・フィロソフィー)」という新語(日本では西周により「哲学」と訳されていますが、直訳すれば「恋知」です)をつくり活躍した後、弟子のプラトン、アリストテレスを経て、ローマに伝わりますが、その前、紀元前3~2世紀には、ギリシャの都市国家の王たちとインドの仏教徒たちはさかんな交流をもち、多くのポリスの王たちは仏教に帰依しています。

     ローマ時代は学問の中心はアレクサンドリアでしたが、それは、7~8世紀にギリシャ語から
    アラビア語に翻訳されてイスラム世界に伝えられ、化学、医学、天文学などが花開き、インドでのゼロの発明が十進数を生み、現代の数学がつくられたのでした。

     アラビア語およびギリシャ語からラテン語に翻訳されてヨーロッパに学問が入ったのは12世紀ころからのこと。
    一番遅れたのが西欧なのです。

     なお、哲学史=学問史=科学史は詳しく展開したらキリがないので、お知りになりたい方は、村上陽一郎さんの著作で学ばれるとよいでしょう。

    ともあれ、スコラ神学の改革として生まれた西欧近代哲学を絶対化させる見方は、キリスト教の絶対化と重なり(無神論という主張は強い一神教への対抗理論で思考法としては表裏一体です)、
    一神教的な偏りをもちます。ハイデガーが自身の存在論を書けなくなり数多くの日本の仏教者らと対談したのは、出口を探してもがいていたからですが、それは最終的に1966年の「シュピーゲル対話」での敗北宣言となったのでした。平凡社新書で出ている「形而上学入門」の末尾に付いていますので、それを読まれれば、どなたでもお分かりになるはずです。小笠原さんの主張する事柄は、ただの一つも出てきません。


     西欧の一神教的思考法と元から縁を切ったのは、フランスのサルトルでした。処女作「イマジネール」(=「想像力の問題」)で、知覚からはじまる認識意識ではない想像意識を自由の根拠としたサルトルは、『存在と無』で、
    「実存は本質に先立つ」という哲学原理により西欧哲学の革命を成しましたが、それは近代西欧哲学という枠組みを超えてフィロソフィーが古代エーゲ海の初発に戻り、世界の実存思想(ソクラテス・ブッダ・老子)にかさなった瞬間でした。
     彼の提唱した【実存的精神分析】は、汝自身を知れ!の20世紀バージョンで、経験的・事実的心理学を超えた本質学としての人間精神の探求です。サルトルは1964年に西欧の生んだ人間格付=ノーベル賞受賞を、彼らしく「断固として拒否する!」と言いました。まさにこれにて一巻のお終い~~!(笑)

    武田康弘

     

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