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白樺文学館 設立の趣旨
民知を創り出すコミュニティー・スペース
白樺文学館設立の主目的は、イマジネーションにあふれる新しい文化=民知を生み出すために、20世紀の日本最大の文芸・思想運動であった
〈白樺派〉の封印を解くことにあります。
民知とは
深い納得を生む民衆の英知のこと。
生活世界の体験に根 差す知こそ本当の学問であるという主張‐意味であり、武田康弘(白樺文学館・館長)による造語です。
権力や権威に頭を下げず、既存(きぞん)の道徳に敢然(かんぜん)と挑(いど)んだ「白樺」の若き獅子(しし)たち。強烈な自立心をもち、なにものをも恐れなかった彼らの息吹を吸うための愉(たの)しく素敵なスペースを創ること。それが白樺文学館の企図(きと)です。
1910年、明治政府は、大逆(たいぎゃく)事件で幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らの思想家を処刑し、
韓国を天皇直轄(ちょっかつ)の植民地として日本に併合しました。この暗雲たちこめる年に、学習院出身の「異端者」たちは、文芸同人誌『白樺』を創刊したのです。時に、柳
21才。武者小路 25才。志賀 27才でした。
『白樺』の中心メンバーだった柳宗悦(やなぎむねよし)、志賀直哉(しがなおや)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)と
声楽家で宗悦の妻の兼子(かねこ)、強力な同伴者のバーナード・リーチは、1914年から相次いで我孫子に移り住み、彼らのその後の人生を決定することとなる激流のような創作や非妥協的な実践活動に入ってゆき
ます。
その当時「白樺村」とも呼ばれたここ我孫子は、文字どおり創造の地だったのです。
白樺文学館は、白樺資料室(1F図書室・2F展示室)の他に、音楽室(特別設計のオーディオルーム)と、喫茶、談笑、展示会および 民知をつくりだす市民大学『白樺フィロソフィー』のためのコミュニ
ティー・ルームを持ちます。
ただの文学館ではない文学館、「白樺」の息吹を吸うことで、民知という新しい文化=考え方・生き方を創りだしてゆくコミュニティー・スペース。それが白樺文学館です。
〔2000年10月12日 武田康弘〕
設立の趣旨(デジタル動画)
開館式での佐野さんのあいさつと館長・武田さんの説明をデジタル動画でご覧下さい。
白樺文学館とは何か、何をやろうとしているのか、ナマの声をお届けします。
内容について。
本来ですと佐野さんがあいさつで、この文学館の基本理念、コンセプト、その他を創りあげた館長自身が【白樺文学館とは】の説明を行うはずだったのです。が、佐野さんの意気込みと喜びの大きさからでしょうかね、佐野さんがかなりの部分を説明してくれちゃいました。ですから、【白樺文学館とは】をお知りになるにはお二人の話を聞くことが適切だろうと思います。
なお、デジタル動画の再生にはRealPlayer8
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【白樺文学館の理念】へ
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