民知の図書館
19.『哲学者の誕生』 ― ソクラテスをめぐる人々(納富信留著・ちくま新書)
納富 信留 著 ちくま新書 (2005年8月刊・945円)
一年前に本書が出たときに簡単に紹介しましたが、改めて推薦図書としてご紹介します。
哲学の単なる研究論文―大学で職業としての必要から書かれる論文ではなく、哲学することを自らに課して書かれた書物は、極めてわずかしかありませんが、本書は、その極めてわずかな部類に属する良書です。
この書は、日本におけるソクラテスについてのはじめての本格的な研究書と言えましょう。従来、ソクラテスについては、おもにプラトンの対話篇を通してさまざまに語られてきましたし、また、一部にマニアックな閉じた叙述による研究書はありましたが、その思索の実像に迫る有意味な書物は、わたしの知るところ皆無でした。
生きた言葉に満ち、ソクラテスの思索の本質に迫る本書は、間違いなくソクラテス研究の新たな基準=始発点になることでしょう。事実学の次元ではなく、本質論―意味論としてソクラテス恋知(哲学)の全体像に迫る本書は、一般にひろく読まれる価値を持ちます。 ここで論証されている「『無知の知』は誤読である」とは、ソクラテス思想の真髄を知るための鍵です。
「哲学はいつ始まったのか? 最初の哲学者は、ソクラテス――あるいは、タレスやピュタゴラス――というよりも、彼と対話し、その記憶から今、哲学を始める私たち自身でなければならない。 哲学は、つねに、今、始まる。」(本書末尾―305ページ)
まったく同感、その通りですね。国や時代や立場を超えた普遍的了解性を生み出すための営みと、個人の実存的真実を掘り進める営みとはひとつメダルの表裏で、それを恋知(哲学)すると呼ぶのですから。私は、すべてを「永遠の相の下」に見、「響きあう実存=響存」として生きたいと思っています。「ナショナリズムと天皇制こそ国の根幹」などという想念しか持てない人間(たとえば安倍晋三)では、哀れです。
(ただひとつ、本論には直接関係しませんが、哲学館(現・東洋大学)創設者の井上円了を国粋主義者と規定しているのは間違いです。訂正されることを望みます。)
2006.9.1 武田康弘
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