白樺文学館 開館顛末記 より
19.バーナード・リーチ
10月22日(土)の哲学研究会で学芸員の塚本さんからリーチに関する報告がありました。 私事で渡英した折に集めたリーチに関する資料の発表も含めて。
今日はちょっとそのお話の内容を超圧縮してお披露目です。 リーチに関しては私も断片的にしか知らず、特に『白樺』とのかかわりが
よくわからなかったもので、とても興味深く聞くことができました。
ちなみに私の小学校時代(台東区立根岸小学校)の講堂には岸田劉生(きしだりゅうせい)の絵がかけてあり、
友人は日暮里(リーチが最初に住んだ場所)、入谷(乾山(けんざん)のいたところ)、桜木町にいたもんで、さらにとても身近に感じました。ちょっと私事ではありますが。
バーナード・リーチ Bernard Howell Leach
1887年(明治20年)1月5日 香港生まれ。
1979年(昭和54年)没。
幼少の頃、日本に居たこともあってか、日本にあこがれていたリーチはある日、 留学中の若き日の高村光太郎に出会います。
エッチングを教えながら日本で生活すれば何とかなるかも、そんなアドバイスを受けてついに日本へ。
『東洋と西洋の結婚』を夢見ながら。
東京下町の上野桜木町(台東区)の自宅でエッチングの公開教授をはじめたとき、そこに柳、志賀、武者、児島喜久雄(こじまきくお)、里美ク(さとみとん)の『白樺』同人が参加し
ます。 のちに岸田劉生も参加した模様。
これが『白樺』の中心人物たちとの最初の出会い。
高村を通じて知り合った 富本憲吉と親交を結び、生涯の友となります。 富本を通訳に頼み、弟子を取らなかった六世
尾形乾山(おがたけんざん)に弟子入りを達成。 ついでに富本も弟子入り。
エッチングを教えるどころか、陶工を学ぶ立場に変わり、ここに陶芸家リーチが誕生することになります。 後に二人は皆伝目録を受け、七世
乾山を名乗ることを許されます。
白樺派の思想的中心人物は柳宗悦でした。柳の思想を決定づけたのがウィリアム・ブレイクであったことは前にも触れた通りです。
当時、イギリスでも異端視されていたブレイクを高く評価し、柳に紹介したのがバーナード・リーチだったのです。
柳とは我孫子時代に熱い激論を交わしつづけた仲で生涯の友でもありました。 のちに『我孫子時代が自分の生涯で最良の時代であった。』とリーチは述懐(じゅっかい)
しています。 それほど魅力的な親交が白樺文人たちとの間にあったのでしょう。
そんなある日、若き日の 濱田庄司が我孫子の柳とリーチを訪れます。
陶芸の大家(たいか)、濱田庄司と民藝運動の誕生の瞬間です。 後に濱田とともに帰英し、ヨーロッパで最初の登り窯を築くことになります。
帰英後、リーチもまた英国の民藝(スリップウェア)の復興、柳の論文の英訳、 陶芸活動に励み、英国でも三指に入る陶芸家として活動を続けました。
日本民藝館設立の際には、柳宗悦・
河井寛次郎・濱田庄司とともに協議に参加。
その後も柳や濱田とは生涯の友として世界を舞台にともに活動を続けました。
リーチを陶芸家としてだけ見ると、あまり面白くないような気がします。
もちろん、作品そのものが面白くないといってるわけではありません。 もっと面白いものが見えなくなってしまうという意味です。
『東洋と西洋の結婚』を夢見ながら、リーチは異質なすばらしい人たちとの出会いを通じて多くのものを生み出すことになりました。
自身も人との出会いを通じて陶芸家になっただけではなく、柳を始め、『白樺』の人々に学びつつ、又その活動の思想的核心にも影響を与え、民藝運動の発端にもかかわることになりました。
振り返ってみると、リーチは『東洋と西洋の結婚』という自身の夢そのものを生き抜いたといえるんじゃないでしょうか。
1909年(明治42年、リーチ22歳) エッチング。
リーチが訪日した1909年に制作されたエッチングで非常に興味あるものです。
ブレイクの影響とまだ使いこなせない日本の筆の影響が見られます。 『東洋と西洋の結婚』の始まりです。 余談ですけど、イギリスで塚本さんが160ポンド(大体1ポンド200円くらいですか)
で手に入れたもの。
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益子焼 ミルクピッチャー
あちらでもリーチの大きな作品となると数百万円はするそうな。 これは高さ8cm程の小さなもので450ポンド。この作品は本体の方は3番目の奥さんの ジャネット・リーチによるもので絵付けがリーチという夫婦合作の作品だそう
です。 リーチは轆轤(ろくろ)の方はあまり得意ではなかったようです。 塚本さんがイギリスで撮ってきた写真もたくさんあるのですが、これはまた別の機会 に、と思っています。請うご期待。
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富本憲吉 遺書
リーチと富本憲吉の間柄を象徴的に示す憲吉の遺書です。墓を作るなという指示とリーチの作品について触れています。
これは最近タケセンが神田の八木書店経由で手に入れた貴重な資料。ちょっと読みにくいでしょうからテキスト化しておきます。
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灰を風に飛ばして
墓を造るなというのが
私の妻子に対する
唯一の願望である
今 遠くこの盒(ごう)の
作者りーチと相対して
この小盒(こごう)は写真以上に
強く深く自分に話しかける
あるいは直接彼れに会う以上かもしれない
作者の生命は
ただ作品にありて
墓の不必要なることを しみじみ思う
リーチ作
雀(すずめ)の図、盒(ごう)
憲吉
※盒(ごう)ふたつきの陶器
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