タケセン(武田康弘)が長年にわたり真摯に受け止めた上で、建設的に批判し乗り越えた日本を代表する二人の哲学者 ‐竹内芳郎氏と柳宗悦(やなぎむねよし)‐ に関するブログを以下に紹介します。
21世紀の今日、活字中心の「理論の哲学」から、生活世界を基盤とした「体験の哲学」へと歩を進めなければならないことが分かります。
寄せられた多くのコメントもそのまま掲載します。ご意見・ご感想をお待ちします。
かつてわたしは、サルトル、メルロー=ポンティらの翻訳者+解説者で、独自の思想をもつ哲学者の竹内芳郎さんに師事し、深く交流を持ちました。20年以上 前のことですが、竹内さんの全著作を読み、主要な哲学作品のレジュメも作成し、『討論塾』の立ち上げ時にはその中心者となりました。
また、『白樺文学館』(わ たしが主宰する「哲学研究会」の熱心な参加者であった佐野力さんがお金を出し、わたしが全コンセプトを作成して創設、今は我孫子市が運営)をつくるときに 集中的に取り組んだのが、柳宗悦の思想です。10年以上前のことですが、柳宗悦全集を購入し、鶴見俊輔さんや水尾比呂志さんらの解説、松橋桂子さんの『柳兼子伝』、また最近では中見真理さんの『柳宗悦』にも学びながら、その思想の核心を探る努力をしてきました。
わたしは、彼らの語る思想に感心してよきものを得ましたが、同時に異和も覚えました。端的に言えば、彼らの思想は、イデオロギーの次元における「優秀さ」以上のものを持たず、現実に生きるわたしの心身にまでは届かない、そんな風に思えたのです。
民芸運動を支える実践的な柳宗悦の思想―直観力に優れた彼の哲学思想といえども、観念性が強く、ビビットな現実感覚から遠く、真のリアリティを持たないのです。
現代に生きる竹内芳郎さんの思想も、「具体的経験」の哲学を謳い、現実問題に応答することを強く意識しながら、やはりその明晰さは言語世界に留まり、広がりを持ちません。固い論理に支配され、生々しい現実を支える豊かさ、強さ、柔軟性とは遠いのです。
お二人は時代も立場も異なりますが、評論家としての思想家や大学内の哲学教師とはまったく比較にならぬほど優れた思想を展開しました。しかし、わたしはそ こに書物=活字に価値を置く哲学の限界を感じてきたのです。彼らはイマジネーションの広大な世界に着目しながらも結局は言語中心主義から脱却できず、「理 論」としての哲学が優先し、「体験」としての哲学は中途半端に終わりました。その原因をわたしは、自らがその哲学の核とした概念に対して【不徹底】である からだと見ています。そのために「哲学の原理」の提示とはならず、「イデオロギーとしての思想」の次元に留まらざるを得なかったのです。
竹内芳郎さんは、自身の哲学の方法的装置として「具体的経験」を掲げてきましたが、それは、先のブログに記した通り、間接経験と直接経験との違いに無自覚 な経験概念でした。「具体的経験」とは、あくまでも「マルクス主義という極めて客観主義的な理論体系と切り結ぶ」(岩波書店刊『具体的経験の哲学』のはじめにvi)ための方法だとされ、哲学の原理ではありませんでした。
「具体的経験」は、わたしのように直接経験にまで還元することで哲学の原理になりうるのですが、還元が不十分な為に「原理」とはならず、「理論を賦活化さ せるための装置」として位置づけられました。この不徹底さが、竹内さんの哲学を一思想(イデオロギー)の次元に留めることになってしまったと言えます。
「今は受け入れられなくても本=理論書が後世に残れば」、という竹内さんの言い方は、「生きられる現在」以上の価値を理論に与えるものですが、それが、日 常言語とは異なる第二次言語(理論)としての強い自立を目がける努力となりました。その姿勢から「知識人と大衆」とか「大学人と一般人」という二分法が生 じ、両者の不断の交流をめざすべきという主張が出てきますが、こういう二分法は現代ではリアリティを欠くと同時に、よろこびが広がる生き方や民が主役の社 会をつくるためにはプラスになりません。
わたしは、人間の対等性(自由と平等)を基盤とする民主的な倫理思想がなければ、哲学(善美に憧れる人間の生)は「原理」を持てず、ただのイデオロギーに 陥ると考えていますが、それでは弱い思想にしかならず、人間の生の現実を輝かせ、支える力を持ちません。わたしが具体的経験を直接経験にまで還元する哲学 を提唱するのは、哲学を原理にもたらすためなのです。
『体験(明証性)から出発する哲学――「具体的経験の哲学」批判U――』をぜひご覧ください。
わたしには、サルトルの過ち(自身の実存主義という思想を、マルクス主義を賦活化させる寄生的理論と規定してしまった)を竹内さんは後追いしているように 思えます。具体的経験という貴重な概念を、「理論を賦活化させるための装置」にしたのでは、具体的経験(生きられている今の経験)は光を失ってしまいま す。サルトルも竹内さんも自らの中心テーゼに不徹底であるがゆえに、日々の「体験」を輝かす「民」の哲学にまで進むことが出来ず、知識人の優越という次元 に留まったのです。厳しい言い方をすれば、次に述べる柳宗悦の思想と共に彼らの哲学は、現実世界への「対抗イデオロギー」としての役割を果たすのみで、 「私」の生を支える「哲学の原理」にまで深まることがなかったと言えます。
では、次に柳宗悦についてです。
柳は、哲学徒(東大哲学科)としての出発の前、学習院の中等科のころから『自己信頼』等のエマソンの著作に親しんでいた早熟の若者でした。21歳で同人誌 『白樺』の創刊に参加し、白樺運動における「哲学と思想の中心者」となりました。彼は、声楽家の兼子(かねこ)と結婚してすぐ伯父の加納治五郎の勧めで我 孫子に移り住むと、志賀直哉、武者小路実篤、バーナード・リーチを集め、我孫子を白樺派の拠点としたのです。
柳の思想の原点は、24歳のときに『白樺』に載せた論文に明瞭です。
「自己をおいて哲学には一切の出発がない。・・自己を離れ自己の要求をおいて、哲学は何らの力ももたらさない。あらゆる特殊性を排除する客観的態度は許されない。個性は哲学にとって永遠に絶えることのない神前の燈火である。」
柳自身の生き方について見れば、その後の様々な活動による変化の中でも、この原点を踏み外すことはなかったと言えます。彼は、外なる思想体系ではなく、内 からの衝動=内発性を重んじ、それを自身の原理とし、実践的思想家として「民芸」運動を中心に様々な活動を行いました。しかし、その思想を生きたのは知識 人としての彼のみでした。
民芸運動における知識人と工人については、優れた知識人による工人の指導という見方で、工人と個人作家(知識人)を二項対立させた上で、互いの学び合いを 主張したに過ぎません(「民衆は方向性はないが、無心で篤信である。かたや知識人は、方向性はあるが、無心になりきれない」)。また、社会変革の問題で も、民衆を従順で受動的な存在と位置づけ、主体的な存在とはせず、民衆自身が哲学者(哲学する者)・社会的実践者となっていくことには否定的でした。
個性・内発性を自身の哲学の原理としていた柳が、なぜ知識人以外の民衆の個性・内発性を否定してしまったのか?
このエリート主義をもたらしたのは、【内から、という原理の不徹底】にあると思います。この不徹底ゆえに、民芸運動は、民主主義とは遠い啓蒙主義に留まり ました。自らの【内】から(体験=直観)という座標軸を民衆一人ひとりのものとする哲学原理をつくることに失敗したのは、柳が西洋とは異なる日本文化の独 自性を見出したいという強い欲求を持っていたからです。
日本民族の独自性=【民族】という視点は、内から、という原理と衝突します。一人ひとりのありのままの存在仕方につくのではなく、外なる基準=超越項(柳の場合、民族という視点)から見るというのは、内からの哲学ではなく、外なる宗教的思想に陥ります。
一般に、民族、国家、王(天皇)、神、他者、理論・・・・なんらかの【超越項】を置き、そこから自分や世界をみるという思想は、一つのイデオロギー=主義=宗教に陥り、「私」の存在から出発し、自らの体験の明証性を原理とする哲学とはなりません。
柳は、正しく「客観主義」を否定し、「主観性の知」につく哲学を宣言しながらも、自身と民衆の「内」からの見方に徹底することができなかったゆえに、さまざまな外なる基準(民族、神、地方性・・という超越項)を導入せざるを得なくなったのです。
人間存在の対等性という民主的倫理につき、一人ひとりの存在を超えた絶対者を認めず、各自が座標軸となるという内からの哲学の原理を徹底すれば、「超越 項」を置くという弱い思想≒逃避的思考≒エリート主義≒超越哲学というものは、知識人を中心とした人間の不安感情が生んだ幻影でしかないことが分かりま す。内から生きる、という恋知(哲学)の生は、理論ではなく日々の実践であることが了解できれば、無用な理窟の山は消え、柳が求めた「ふつう」(健康なエ ネルギーに溢れた生、日常を大切にする生、無心・自然な生)がやってくるはずです。
敷衍して言えば、
理論家とか哲学者と呼ばれる人が書いた本を読み、それを立脚点にして自分の人生や社会のありようを考えるという逆立ちから解放されなければ、「私」を座標 軸とする自分自身の人生は始まらないはずです。ほんらい、書物の良否や他者の言説は「私」の日々の生活世界の経験から感じ・思い・考えることを基に評価す べきことなのですが、どうもそうはなっていません。
どのような書物であれ、書物の思想が基準になって「私」の生活世界を律するのでは逆立ちなのですが、「主観性の知」の育成がない学校教育のために、人生や 社会のありようまで権威者が示す正解があると思い込まされています。困ったことに、まだまだ「哲学理論の真理」に従う!?という逆立ちした想念が漂ってい ます。哲学も「東大やハーバード大の先生が偉い」では、「私」からはじまる優れた生は永久に始まりませんし、民主的倫理も成立しません。
超越項を置かず、内からの、という【 日々の体験の省察に基づく明証性の哲学】を原理とする人生を歩みたい、わたしはそう思い、生活しています。けだし、哲学とは、知識の獲得や理論の構築ではなく、深い納得を目がけよく生きようと欲すること=実践なのですから。
11月3日のブログーー「内」からではなく「外」を先立てる--日本の根源問題もぜひご覧ください(これは、核心中の核心です)。
武田康弘
タケセンの『思索の日記』より 2011-11-25
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