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9. 人間としての立場 (憲法と私)

 保守と革新なんて対立が一昔前までありました.似たような議論で、護憲か改憲かっていうのもありますね.こっちは今でもやってます.
でも実感として、不毛な議論であるように感じている人も多いのではないでしょうか.何か本質的な議論をしてない.そんな感じがします.

 かつて、戦前、戦中、白樺派の何人かは多くの文化人が時代に流されていく中でも、その姿勢を変えることはありませんでした.ちょっと引用してみましょう.

『・・・志賀・里見などのように、日本人のこまやかな情緒を筆にしたといわれる小説家が、同時につねに人間として人間に語りかけるという流儀を、国家主義と日本への回帰の時代にも手放さなかったところに、私は白樺派の日本文学史における珍しい役割を見る.  ・・・中略・・・  
この特徴は、民芸の批評という、国家主義・民族主義にのめりこみやすい仕事を運動として続けながらも、人間としての立場から一歩も身を移すことのなかった柳宗悦の文体とその物の見方にも、よくあらわれている.横光利一や伊藤整が、いざ戦争がはじまると、国境のこちら側の日本人しか目に入らなくなったのと対照的に、柳宗悦には、戦争の向こう側にいる人々の姿がいつも見えていた.』

《柳宗悦 鶴見俊介(つるみしゅんすけ) 平凡社 より》

 柳をはじめとする白樺派の人々のこのブレのなさ、徹底性、は一体どこから来るんでしょうか.
《人間としての立場から一歩も身を移すことのない深い思索としなやかさ》、それが今最も求められているような気がします.

 もし、そのような深い思索としなやかさをもって、あの不毛な議論に光を当てるとしたらどんな風になるでしょうかね.そんな興味がわきませんか.
もしかしたら次のような感じになるかもしれません.
以下、1995年に書かれたタケセンの原稿です.
いつかどこかでこんな公開討論が出来ると面白いと思うんですけど、いかがでしょう.


憲法と私

 私は今年で43才。神田生まれ神田育ちの私は、越境入学で文京区の誠之小学校に通っていた。小学校5年生のときに始まったクラブ活動に、私たち数名の生徒の希望で「政治クラブ」というのができた。社会の問題に強い関心を抱いて新聞の政治欄や社説を読んでいた生意気な?小学生だった私は、このクラブで資本主義と社会主義の優劣や、アメリカ合衆国とソビエト連邦の比較、はては「人間の幸福とは何か」についての激論?を交わした。

 そんなわけで、大日本帝国憲法との比較をしながら、日本国憲法もよく読んでいた。とくに戦争放棄をうたった9条と、基本的人権について定めた10-40条は、権力や集団的な力から自分をまもるための最高の味方・武器だと感じていたから、勉強することは、ほんとうに楽しかった。どんな遊びよリも面白かった。

 自由と責任をもち、権利を行使し、義務を果たす主体としての人間-個人としての尊厳とプライドをもつことの輝かしさの保証。それが、小学生の私にとっての憲法であった。「ぼくの人生は、ぼくのものだ」「個人の自由・基本的人権を奪おうとする権力者は、絶対に許さない」。

 リンカーンの
government of the people, by the people, for the people.
(人民の、人民による、人民のための政府)という言葉とともに、フランスのヴォルテールのつぎの言葉にも酔いしれていた。
「わたしは、あなたの言うことに一言も賛成できない。しかし、あなたにはそれを言う権利がある。わたしは、その権利を死を賭しても守るつもりだ。」

 民主主義とは、権力者の横暴から個人を守り、自分の生き生きとした楽しい生を保証するための思想-だからこそ知り、守り、育てるに値するものと強く確信していた。私にとっては、民主主義や人権、それを具体的に条文として定めた憲法は、始めからとても親しいものであった。もっとも幼い私にとっての権力者とは、戦争への恐怖や憎悪から、それを行う国家の権力者や天皇であると共に、生活の中においてはまず母親であり、問答無用型の教師であった。

 私は改憲派である。ただし、読売新聞のような内容でではない。

 共和国(大統領制)憲法として作りかえるのがよいと思っている。天皇の一族は、京都御所で政治とは離れて自由に生活してもらうのがよい。個人"人間としての権利を奪われ、状況次第で七変化する 〈象徴天皇システム内ニンゲン〉にされてしまっている彼ら天皇一家を解放するのは、人権を真面目に考えるわたしたちの責務のはずだ。人権を剥奪されたニンゲンを「日本国民統合の象徴」としているのでは、いつまでも人権後進国であり続けなくてはならない。

 戦後50年、もうそろそろ天皇制を廃止して新しい憲法をつくるための民衆の会ができなくては、と思う。社会党左派の方、護憲を旗印にする「革新」なるもののコッケイさに気づいてほしい。もっとも、このような新しい運動をつくるには、従来の党派的なやりかたや啓蒙主義的な言動からの根本的な発想の転換・脱却が果たされなければならない。民主主義の哲学(認識論)上の基盤は〈現象学〉であり、方法的には、予めの「真理」を排除して主観からの出発を徹底させたソクラテスの間答的対話だ、と私は考えている。

 最後に、読売新聞の主張やそれに同調する人々に一言しよう。それは、自由(権利)と責任(義務)についてだ。この二つは同時に生じるのではない。まず始めに自由(権利)の行使がなければ、責任(義務)という概念は出てこないはずだ。自分が主張し判断したのではなく、学校や会社や所属団体の空気に同調していたり、他者の命令で動いていたのでは、個人としての責任(義務)は生じようがない。これは原理である。

 したがって、「権利ばかりが主張され、責任や義務が果たされていない。」というのは、ひどい間違えである。わが国では、権利がきちんと主張されることがあまりにも少ないために、責任や義務が生まれないのだ。半世紀以上も前にアメリカで作られた「日本を知れ」という映画の中に、「日本には道徳は存在しない。いつもただ目上の人に従うだけである。」というくだりがあるが、これは、個人として善悪の判断ができない日本人のありようを的確に指摘した言葉だと思う。いまだに何も変わってはいない。

 全てを暖昧にしてしまう無責任性や集団同調主義の別名でしかない象徴天皇制とは、そろそろ縁を切りたいものである。

武田康弘
1995年5月9日
雑誌『ひろば』依頼原稿より


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2001年8月18日 古林 治

 
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