● 誕生秘話 ●
コーヒーブレイク
1.
よい趣味こそ人生最大の得ーわたしの半生
ここで、わたし自身のことを少し書きます。
わたしは小学生のころから「好きなこと」が多く、いくつもの趣味をもっていました。考えること=物事のなぜを考え、何がほんとうなのかを追及し、生きるに値する人生とはどういうものかを思案するのは、幼い頃よりの習い性でしたが、同時に、いつも好きなこと=趣味を追求してきました。
幼少からの【動物】好き、小学3年生からの【写真】撮影は父親の影響でしたが、5年生からは【社会・政治問題】を知り考えることに興味を持ち、小学校に「政治クラブ」をつくってもらいました。また、6年生のときからは【天文】に関心を持ち、中学1年生のときに買った貰った反射望遠鏡を担いで、親友と二人で高尾山に幾度も登りました。神田神保町の本屋で天文関係の本を立ち読みするのが楽しく、習慣になりました。中学2年生のとき父親に頼んで入手した一眼レフ(PENTAX)での写真撮影は、ドキドキする楽しみでした。写真部の暗室で現像や焼付・引伸しもしました。【カメラ】に凝り、友人と各社のレンズの撮り比べをするのも面白いことでした。【音楽】は幼い頃から好きで、幼稚園の時に音楽映画の主役となりましたが、中学3年生の時からは、レコード(LP)を買い集め、ブラスバンドでトロンボーンを吹きながら、よい音を聴きたくて【オーディオ】にはまりました。秋葉原の視聴室に入り浸り、オーディオ工作に明け暮れたのでした。また同時に【哲学】書を読む習慣ができ、高2のおわりに『資本論』を哲学書と見立てて読み(第一巻のみ)、感動しました。また、幼い頃から海好きでしたが、大学に入ったころからは【ダイビング】を趣味とし、一人で伊豆の海などで素潜りを楽しんでいました。後に月刊『マリンダイビング』誌に依頼されて、日本ではじめて「子どもたちのキャンプ&ダイビング」について連載するようになったのは、そのせいです。【山登り】も好きで、定期的に奥多摩や秩父に行き、北岳など南アルプスも数回、主に単独行で登りましたし、また【サイクリング】で房総半島や奥武蔵などへのツーリングも楽しみました。
これ以降の大人になってからの趣味は記しませんが、これで、わたしが受験勉強(=うんざりするほど意味のない丸暗記やパターン知)を嫌悪する理由も分かって頂けると思います。自分で好きなこと、興味のあることを学ぶのは、深く意味を探究することになり、物事の核心に迫る最良の方法です。ほんらいの哲学と通底するものと言えましょう。通り一遍の知ではなく、深く、かつ実用性を持った知の追求が【趣味】のもつ素晴らしさだと思います。
なお、ここで注意が必要です。それは、「趣味の人」と「オタク」とは全く異なることです。オタクは、閉じた「私」の世界ですが、趣味は、公共性への通路を持った開かれた「私」の世界で、普遍的なよきものを目がけるのです。ものごとを表層的に知るだけの「一般性」のレベルを突き抜けて深く知り、「普遍性」を獲得しようとするのがほんらいの趣味の世界だと言えるでしょう。まさに、<楽しさ・深さ・実用性>の融合なのです。オタク的な知り方は社会性を持ちませんが、趣味の知力は、豊かな公共性を拓くにも大いに役立ちます。
よい趣味を持ち、しっかり追求している人は、自分の仕事や公共性が必要な場面に「私性」(嗜好)を忍ばせるようなことはしません。自分の好き嫌いを他者に押し付けるほど厭らしことはありませんが、よき趣味を追求している人は、私性(嗜好)、一般性、普遍性の次元の相違をわきまえています。もし、この次元を混同すれば、公共性の世界に私性(嗜好)をそのまま持ち込むことになりますが、日本人はよい趣味を持つ人が少ないためか、こういう愚を犯しがちです。
もう一度言いますが、
一般性に縛られず、「私」から出発して普遍的なよき世界をめがけるのがほんらいの趣味人です。一般的な「よい」しか追求しない人は、魅力のない一般人にしかなれませんし、逆に、オタクは閉じた「私」の住人でしかなく、社会性・公共性を持ちません。
しばしば、一般人として生きてきた人が年を取ってから趣味を持つと、開かれた趣味にならず、オタク化しがちです。言うまでもありませんが、「一般人」と「オタク」の両者を行ったり来たりでは、よき世界を拓くことができず、外見だけの不毛な世界に陥ります。内側から湧き上がる魅力=よさ・美しさを持てないからです。
よき趣味をもち、それを追求をすることは、人生最大の得であり、よろこびです。わたしは、これからも「私」から始まる「普遍性」の探求を続けていこうと思っています。最後にひとこと。趣味が力を発揮する条件、それは「粋」であること=俗的価値観から解放されていることです。
武田康弘 2009年4月21日
追記(白樺MLのメール)
よい「趣味」を育てることがないと、「一般人」や、あるいはその裏返しの「オタク」に陥ります。教育に個人性から出発して普遍性を育てる観点(=よき趣味を見つけ追求する)を導入することが重要だというのがわたしの考えですが、そういう視点を持つ教育者は残念ながらいないようです。これは、日本の精神的貧困の証です。「一般性」に留まる・留まろうとする空気が蔓延していると、人間の生気が奪われます。人間として生きるのではなく、「一般人」として生きるただの「人」。これでは、外なる価値ー地位や金や権力に従い、それに飲み込まれる人生しか与えられないと思います。周りに合わせて、「一般的」で無難なことから出ようとしなければ、人間―個人の輝きは失せ、人間として生きる意味が消えてしまいます。フッサールの言葉で言えば、「単なる事実人」(ただ事実として人であるだけ)。
武田
タケセンの「思索の日記」 より抜粋
2009年 5月31日
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